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羨む、歩む。

深夜のサービスエリアは、まるで別世界に来たようで好きだ。
僕は用を足しながらそんなことを考えていた。
計3回のトイレ休憩が気になって、結局、深く眠れない。
当然、窮屈な足元と、馬鹿みたいに揺れる意味の無いカーテンも眠れない要因ではあるのだが。
金もなく、時間もないのに、僕は岡山を飛び出した。
行く先は東京。
目的は無い。
ただ、東京に向かう。
憧れか?はたまた逃げたいのか?
知らない。
知らないと言っておきたい。
トイレの真横に所狭しと並べられた自動販売機がジリジリ光っている。

早朝6時の東京駅はサラリーマンで埋め尽くされていた。
夥しい数のサラリーマン達は怠惰な表情を浮かべつつ、乗降口の列を綺麗につくっている。
機械工場みたいで奇妙だった。
向かいのホームには、生きているのか死んでいるのか判別がつかないおじさんが寝転がっているし、その隣にはヘッドホンをかけて踊り狂っているおじさんがいた。
「最っ高」
僕は彼らに釘付けになったが、ロボット達は一切それに気を止めなかった。
ロボット達は僕が背負っている大きなリュックを注視し、軽蔑の目を向ける。
対抗する術もなく、僕はリュックを抱き抱える。

満員電車は、岡山にいた時と同じで居心地が悪かった。
全員が全員を邪魔だと思い、少しでも多く自分の陣地を広くしようと奮闘する。季節問わず悶々と立ち込める熱気の気持ち悪さと言ったらなかった。次から次へと変わっていく東京の景色を眺めている暇もなく、名前の響きだけで選んだ高円寺という駅で下車。
目的地は決めていない。ただ、赴くままに歩く。知らない土地を歩いていると、別人になった様な気分になれる。誰も僕を知らない。僕も誰も知らない。大学のことも、友達のことも、家族のことも、いつまで経ってもできる気配の無い恋人のことも、夢のことも、今は考えない。脳みそを空っぽにする。そして【高円寺を歩くバックパッカー】を演じる。この瞬間が僕はたまらなく好きだった。【田中歩】というなんの特徴もない名前も、【男】という性別も、気がつけば自分を縛り付ける鎖みたいになって、複雑に絡み合っていた。

通学中の学生カップルが楽しそう。
あんなキラキラした学生生活を送りたかった。
目につく物全てに好奇心を見せる犬と眠たそうな飼い主。
いくら気だるくても散歩に連れ出してくれるその愛情を受けてみたい。
決死の形相で駅のホームにダッシュするサラリーマン。
僕は今までこんなに必死になったことがあっただろうか。
ゴミ袋に群がる烏と遠くから聞こえてくるゴミ収集車の音…
「ダメダメ…」
考えすぎてしまう悪い癖は厄介で、脳みそを支配している。
少しスピードを上げて、少し顔を上げて、少し胸を張って、歩く。
ほんの少しの勇気。
肩で風を切る。僕はバックパッカーだ。
「こらこらそっちダメ!おらん!!!」
飼い主の制止を振り切り、僕の足元に駆け寄ってきたのはモップみたいな犬。しっぽをブンブン振って、大きな目でこちらを見上げている。
「もう、すみません本当に」
「あ、いえ全然全然」
真っ赤なナイキのウィンドブレーカーに身を包んだ男性が焦った様子で駆けてくる。頭は金髪、見るからに若い。見るからにいかつい。しかし妙にスタイリッシュだ。僕と同年代にも見える。僕の苦手を全部詰め込んだような見た目。
「これ、ラブラドゥードルですか?かわいいですね」
「え!あぁ、ありがとうございます、てかよく分かりましたね種類」
「あ、まあ…小さい頃犬種図鑑とかよく読んでて…」
「へえ!でれえかっけえっすね」
「そんなことないがー」
「え」
「え」
「お兄さん、出身どこです?」
「ぼ、僕岡山です」
「ほんまに!俺も岡山です」
「こんなことあるんですね、びっくりです」
「ね、俺もびっくりっす。運命的な出会いっすね。どうです?散歩」
「?」
「時間あります?ちょっとそこまで歩きながら話しませんか」

岡山を忘れるために東京に来たというのに、これじゃあ東京に来た意味が無い。正直、最悪。でも断る勇気も勿論なく、赤ウィンドブレーカー男とラブラドゥードルと並んで歩く。運命的な出会いなど、映画の世界だけだと思っていた。いや、男同士の運命的な出会いなど誰も求めていない。

「あ、俺【田中歩夢】っす。んでこいつがププです」
「え」
「え」
いかつい男の口からププというかわいい二文字が出てきた驚きよりも、名前が全く同じなことに僕は驚いた。
「あ、いや僕も【田中歩】です、名前」
「いや激アツやん、名前まで同じなんすか俺ら!もう兄弟ですね、ブラザーブラザー!」
朝の商店街のタナカアユムの声が響いてこだまする。廃れた精肉店。腰の曲がった老夫婦。錆びついたカードミラーに反射する陽の光。
「漢字は?」
「ああ、漢字は普通の【田中】に、【歩く】で」
「俺は普通の【田中】に【歩く夢】って書いて、です。ここはニアピンかあ〜。いいな普通の【歩】で。俺ずっと夢背負ってる感じして嫌なんすよね【歩く夢】」
「ん〜でも、僕の【歩】はあまりにも普通すぎて何も触れられないですよ。だから羨ましいです。田中さんの名前」
「いやあ、、、てか田中さんってやめましょーよお!アユムでいいっすよアユム!田中さんってアユムも田中さんだから」
「あぁ、確かに」
側から聞くと理解し難い会話に違いないだろう。当の本人も頭がこんがらがりそうだ。

「このでっけえ荷物!バックパックとか?」
「まあそんなところです、、」
「敬語」
「あぁ、、まあそんなところ」
「なんで東京きたん」
「なんとなくかな」
「ふーん」
「歩夢は?ここ住んでるんやんな、東京に来てどのくらいになるん」
「俺は、もうかれこれ2年になるかな」
「へえ、なんで東京来たん」
「なー見てーあのおばあさん。若者が食べそうなサンドイッチ念入りに見てる」
露骨なほどに話を逸らされた挙句、返答に困る話題を提供されてしまった。
「右手に金色の指輪はめてるな。今も旦那さんとアツアツなんかな」
「なんなんそれ」
「あー、見てあそこの自販機。サラリーマン急ぎすぎて炭酸吹き出してもうてる」
「ほんまや、あんなすぐ開けたあかんて普通」
「あの子、あのチャリ乗ってる子の服の柄見て」
「何あれ、、、芋?」
「いや、ただの芋じゃない、、、」
「大学芋!!」「大学芋や!!!」
まるで君の名は的展開で、見事にハモってしまった僕ら。大学芋という言葉を、男同士で。
「ええええセンスよっ」
「センスの塊やな、ドット柄の配置で大学芋柄やって」
「さすが東京。ハイセンスや」
「いや関係ないやろ」
それから僕たちは時間を忘れて、記憶にも残らないようなしょうもない会話をたくさんした。しょうもないけど、こんな風に世界を見たことがなくて、なんだか心が躍った。泣くくらい笑った。こんな日は雲ひとつない青空が似合うはずだが、空の色はどんよりとした灰色だった。しかし僕の目には景色が澄んで見えている。空気みたいに心地よく、一緒に歩いていたププと目が合う。思わず笑いかける。知らんぷりのププ。
「歩」
「ん?」
「今、楽しい?」
「うん、なんかめっちゃ楽しい。てかおもろい」
「そうよな、俺もなんかひっさしぶりに笑った気がする心から」
「お、おう」
「さっき、って言っても結構最初の方に歩、なんで東京来たんか聞いたやろ?」
「聞いた」
「夢、掴むために来てん」
「夢?」
「俺、自分のブランド立ち上げるのが夢やねん服のな」
「うえ?!すげえな」
「うん、全然すごないねん、みんな最初そういう反応してくれんねん。でもこの世にそんな人腐るほどおるし、その中で俺全っっっっっっ然底辺でさ。劣等感よね悔しいムカつく羨ましいそんな気持ちばっかりが渦めいててさ。夢さえなければ。なんで夢の為に、こんな漢字一文字で書けるちっぽけなものの為に苦しまなあかんねんって苦しくて。自分が満足してないのに他人から過大評価受けるのもほんまにきつい。結果が伴ってないし、、、ってごめん」
「あいや、なんもごめんちゃうけど」
「夢から逃げたら、生きることからも逃げてるように感じるねん。だから夢を追い続けるのに必死で、立ち止まることが出来へん」
「夢か、、、。僕は夢があるようでないから、正直歩夢が羨ましいで。夢を見つけてそれに向けて着実に努力してるやん。でもなんて言うんやろ夢がないからって言って、自分生きてる価値無いなーとかは思って欲しくないなーって思うな。夢って追われるもんじゃなくて、追うもんやし、別に夢持つことだけが正解とも限らんやん。僕も夢無くて焦ってる部類ではあるんやけどな」
「うん」
「だからこうやって、当てもなくフラーっと旅してみたりして」
「うん」
「えぐ、なんか一気に暗い、重い感じなってもうた。こんな話したん久々かも」
「僕、初めて」
「ウッソ」
空の色は変わらずどんよりとした灰色で、ポツリポツリと雨粒が落ちてきた。
「あ」
「雨」
「傘ないよな」
「ない」
気がつけば住宅街に迷い込んでいた僕ら。雨宿りできそうな屋根はもちろん無い。
「そうや、この近くやったら、ちょっと着いてきて」
歩夢の言葉通りに住宅街の坂を駆け上がる。強くなる雨脚。重くなる荷物。軽くなる足取り。
「バカヤローーーーーーーーー!!!!!」
「ちょ、うるさいやろ」
「もうええねん、これがアオハルや」
「何年前の話やねん」
「そや、歩。今する話じゃないランキング第1位の話して良い?」
「嫌や」
「ウルフルズ知ってるやろ、バンドの、かっこいい」
「嫌やって言うたよな、まあ知ってる」
「それの『バカヤロー』って曲、俺からプレゼントする。歌詞調べてみて」
「今?!」
「今、Now」
「はぇ、、」
息切れの拍数。びしょ濡れの液晶に映る炎のような歌詞達。次第にぼやける視界。
歩夢が走りながら、大音量で音楽を再生する。僕らはいつしか声を上げて泣いていて、でもその泣き声は雨の喧騒と大音量の音楽でかき消されて、高円寺の街が見渡せる公園に着いて、やっぱり声を上げて泣いた。ププもついでに吠えた。
「映画やったら、雨あがんのにな」
「もはや強まってるな」
映画はやはり出来すぎていると確信したが、ほぼほぼシナリオ通りの、この数時間の経験は僕【田中歩】にとって夢のような時間だった。そして、今日の朝見た夥しい数のサラリーマン全員が炭酸飲料を買って、すぐ開けて、噴き出すように強く願った。
「最っ高」

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