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記録的小雨警報

「いらっしゃいませ、ポイントカードご利用ですか?」
何の変哲もない日常。特に心も踊らない。
何連勤目かは数えることを放棄した。
そんな日々が続いていて、微かに、でも確かに、人間味が欠落していくのを肌で感じる。
コンビニの店員の無愛想さに疑問を呈していた過去の自分を嘲笑いたくなった。
日が昇る前に出勤し、開店作業を黙々と行う。目は依然として開かないままであり、かといって30分で納品、新聞出し、清算業務をこなさなければならない鬼畜さで頭は冴えている。

時間に追われた様子のサラリーマンやOLは、私たち店員のことなどもはや見えていない。目を見て返事をせず、投げるように釣り銭を渡す。アルバイトを始めた頃はそんな些細なことでさえも落ち込んでいた。彼らの歳になってもまともな職に着けていない自分にも、だ。しかし今は釣り銭を投げ返すくらいの強気さを手に入れている。強くなったのか、心が荒んだのかは知らない。

「オハヨーゴザイマス!」
「あ、おはようございます!いらっしゃいませ!」
「ホットノコーヒー、Sデ!」
「ホットコーヒーSサイズでよろしかったでしょうか?」
彼が注文を言い終わる前に Sサイズのカップを用意する。
コンビニの天井に着きそうなくらい身長が高い彼は、ここの常連客。いつも「おはよう」の挨拶をしてくれる。「おはようございます」は必ず言いましょうという義務教育を受けてきた日本人は一体どのくらいそれを実践しているのだろうか。
「サムイデスネーゲンキデスカ」
「え?あ元気です!元気ですか?」
「ゲンキデスヨー」
なんだかんだで挨拶しか交わしてこなかったから、いきなりの会話に驚いてしまった。
頭の回転をしなくても体が勝手に動くようになってしまったレジ業務をこなし、カップを渡す。
「イツモアリガトネ、オツカレサマ」
「ありがとうございます、、またお願いします!」
稀にある。それは宝くじが当たるほど珍しくはないけれど、宝くじが当たるほど嬉しい。この感覚。本当に嫌な日でも、たった1人こういう感謝をしてくれると、良い日になってしまうから不思議なものだ。「些細なことは些細じゃない」と誰かが言っていた。

人から感謝をされることほど、生きていて良かったと実感できることはない。
人は人のために生きてこそ初めて価値があると思っている。
逆に人から必要とされなくなったり、人から感謝されなくなれば、生きる価値はないのだと、個人的には思う。
人から感謝をされるには、自分も人に感謝しなければならないし、人のためだけに生きることも間違っていると思うが、自分の行いが人のためになっているのだと信じることこそ私の生きる意味なのだと実感する。
人が1人入れるほどの小さなバックヤードで考えるには大きすぎる議題を抱いて、次の職場へ足を進める。私の生きる意味は何なのだろう。

明朝には降っていなかったはずの雨がぽつりぽつりと降っている。何故か、私の出勤日には小雨が降ることが多い。私の心を弄ぶこの空のために、私は生きたくない。

心で呟く。かすり傷、ただのかすり傷だ。頭には警報が鳴り響いている。

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