21歳のイヤイヤ期

「死にたい」というワードがいくつも出てきます。でも死にません。私は元気です。


ノリで「死ぬwwwww」って言ったりちょっと気に入らないことがあっただけで「死にたい」って言ったり、そういう軽い意味で「死ぬ」という言葉を使う人が心底嫌いだったのに、最近の自分の心の中には常に「死にたい」があって嫌。
「死にたい」だけは冗談でも言ってはいけないと思っていたのに、一人の時は言いまくっている今日この頃。
ただ死ぬ気はない。私は死ぬ前に真冬の北海道で真っ白でふわふわのシマエナガに会うんだ。
だけどちょっと、毎日辛いんだ。
シマエナガに会えて、かつ死ぬことに痛みや苦しみが伴わない奇跡が起きたら本気で考えてしまうのではないかと思うぐらいには辛いんだ。

大学で答えさせられた心の健康アンケート的なやつでありのままの自分の気持ちを入力したけれど、特に大学側からは何のアクションもないので「勝手に死んでろって話ですよね!」と受け止めている。別に大学に救ってくれなんて求めませんが。

母の前で「死にたい」と言ったらきっと悲しませてしまうから、「死ぬしかない」と言い換えている。母はいつも「死ななくていいんだよ〜」って言ってくれる。
大好きな母が「娘が自殺してしまった可哀想な人」にならないように頑張って生きるしかない。

こういうことを考えるようになったのは就活の影響が大きい気がする。
「ストレス耐性を見ています」と言えばどんなチクチク言葉を投げ掛けてもオッケーと思っているようなおじさんに何人も出会った。
こういう意地悪人(いじわるんちゅ)が社会にはごまんといると考えるだけで生きる気力がなくなってくる。

だから面接が嫌だし、面接を受けるためのエントリーシートを書くのも嫌だ。
逃げるようにWEBテストの勉強をしているけれど、かと言ってWEBテストが特別得意になったわけでもなくいつまでも頭の悪い自分が嫌で死にたくなる。
死にたいと言いつつ就活をやっている私も嫌だ。死ぬ気ゼロじゃん、と。

就活以外でも、最近の私は(いつもよりも)ネガティブ思考で全てのものに対して「嫌!」となっている。

今までは少し気に触ることがあっても笑って流せていたのに、わかりやすくキレたり不機嫌になったりすることが多くなったし、最終的には自責思考に落ち着くからどんどん自分を嫌いになっていく。

例えば自分が着ている服に対して「ダサい」と冗談を言われた時に、今までの私なら「意地悪言わないでよ〜!」と笑って返せたのが、「なんでそんなこと言うの?」といちいちブチギレるようになってしまった。
で、少し経って「この服を買った私が悪いんですわ」と考え、「こんなちいちゃいことにわざわざキレる私が一番ダサいですわ」と落ち込み、「私は私が嫌いですわ」、「死にたいですわ」と思う。
最近の私、だいたいこの流れ。飽きたのに、慣れない。

恋人に対してもそう。
今日はせっかくデートだったのに、くだらないことでブチギレて、帰ってからLINEでダラダラと文句をぶつけてしまった。
言いたいこと言いたいだけ言って、そんな自分が嫌になって、今すごく死にたいんだ。
こんな私を好きでいてくれて嬉しいのにさ、「こんな人間を好きになるなんてセンスがないですね」と考えてしまうほどには自己肯定感がありません。
「別れたい」とは異なる、「私を忘れてくれ」という初めての感情が芽生えている。別れたとて彼には「こんなどうしようもない女と付き合っていた」という嫌な過去が残ってしまうので、いっそ私のことを全て忘れてほしいんだ。いいでしょ

で、21歳にもなって死にたい死にたい言っている自分も嫌。
パソコンカタカタ打ちながら泣いている自分、さすがにきもい。
実は明日面接を控えているのもきもい。
全部全部全部嫌なんだ。もう疲れたよ


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