記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

「野良犬イギー」 【ネタバレあり長文読書感想文】 一人と一匹の最初と最期を 〜「クレイジー・Dの悪霊的失恋1」読了後追記あり

乙一著 荒木飛呂彦原作
野良犬イギー 
読書感想文です。


★★★★

アマゾンレビューに書いた文章ですが、なぜか反映されないため、こちらで供養させていただきます。


0.前置き

 週刊少年ジャンプに連載されていた、荒木飛呂彦氏の漫画「ジョジョの奇妙な冒険」の第3部が原作となっている本です。 
   まさかジョジョを知らない人がこの本を読もうとは思わないと思いますが、もし、万一いらっしゃったら、原作を見てからこちらを読むことを、強く強くお勧めします。
    というか、知らないと話がわからないと思いますし、原作を知っていることが前提の話だと思いますし、知っていた方が面白いです。特にスタンドについては説明はありますが、絵の方が断然わかりやすいです。 

 原作はとても長い連載漫画で、現在8部まであるため、なかなか全て読むことは難しいと思います。
  が、そのうちの3部だけ読めばこの本の話はわかります。
  また、アニメ化もされており、アマゾンプライムで見られるので、原作の絵に抵抗があったり、3部だけでも結構長いなと思われる方は、ぜひアニメでご覧ください。(アニメ10周年記念ですし) 3部のアニメは8年前のもので、絵も声も音楽も綺麗で今から見ても抵抗は少ないと思います。元々少年漫画のためバトルもので流血もありますが、グロいシーンはアニメだとボカされています。 

 この本の表題、野良犬イギーはアメリカ生まれの雄のボストンテリアです。
   その犬を捕まえようとする、アヴドゥルという20代後半のエジプト出身の男性が、この本の主人公です。
   イギーもアヴドゥルも原作の登場人物であり、スタンドという特殊能力を持っています。
   時代は原作が1988年ごろで、この本は原作の直前にあたる話です。スマホもインターネットもGoogleマップもない時代です。ちなみにアヴドゥルは、現在62歳を迎えた1960年生まれの原作者と同年代になりますね。

1.かわいい装丁


 他の方のレビューを見ると、値段が高いという評価があったので、どんな薄っぺらい本が来るのかと思ったら、装丁はしっかりしていました。コーヒー味のチューインガム仕様で、包み紙ならぬカバーを剥がすと、イギーがたくさん!かわいい(^^)。
   中にもイラスト載っていましたが、原作からの切り貼りのようでした。

2.主人公=モハメド・アヴドゥルという男

 イギーとアヴドゥルの出会いの物語、、、、
というか、依頼を受けたアヴドゥルが大変な苦労をしてイギーを捕まえて、野良犬イギーが野良犬でなくなるまでの物語。
(ちなみに依頼人は旅行に行ってしまっている?いなかったっけ??)

 つまり、
原作で戦闘シーンが比較的少なかった、
マジシャンズレッドとザ・フールの、
アメリカニューヨークを舞台にした
ガチンコバトル
である。

 また、原作ではあまり語られることのなかった、アヴドゥルの過去やジョセフとの出会いについて、彼の回想の形で触れられている。そして彼の心理も。

 ここで語られるアヴドゥルは、不幸な生い立ちにもかかわらず、正しく生きようと心に決め誇りを持って生きてきた真面目な大人で、正義感が強く悪人には厳しいが、情に厚く、他人への思いやりのある優しい人だ。

 バトル、と言っても、アヴドゥルはイギーを倒そうというわけではない。イギーが“あの男“にみつからないよう捕まらないように、その前に保護しようとしているのだ。
  もちろんスタンドを使い一匹狼ならぬ犬として自由に生きるイギーは、人間の保護なんて必要としていない。
  むしろ人間をなめきっている。
  原作のスタンド能力で人語が話せることからイギーは人語を理解できると推測されるが、当然アヴドゥルは知らない。なのでイギーが人の言葉がわかるのか疑問に思っているが、人間をなめていることは露骨な態度でわかる。
   それでもアヴドゥルは、イギーに誠意をもって対等な立場で語りかけ、彼の自由を失わせることに心を痛めつつ、イギーの幸福を願っている。

  そして、生まれながらのスタンド使いだったと思われるイギーを迫害し不幸な生い立ちにした周囲に、腹を立てている。

3.スタンド使いの孤独

 スタンド使いというスーパーマイノリティには、孤独の影がつきまとうようだ。(スタンド使いがひかれあう設定は4部から)。特に、生まれながらのスタンド使いの場合、幼少期は自らの特殊能力が他者と違うことを理解できなかったり、コントロールが難しいことから、迫害されたり、周囲と距離をとりとられる経験を重ねてきたと想像できる。そのため、誰にも見えないスタンドを気づかれないようにひた隠し、一人で傷つき悩み悲しみ苦しみながら、スタンドを支えに成長してきたのだろう。

 典型例は“17年の孤独50日の友情“の花京院だろうか。「友達になろう」と埋められた肉の芽を承太郎に抜いてもらった彼は、家出のような形で承太郎たちと行動を共にする。一般人相手では無敵の能力があり、一応友達の祖父という保護者がいたとしても、常識的で控えめな彼らしくない突飛な行動だ。しかし、今まで友達がいなかった彼に、同じような特殊な能力を持ち自分を初めて理解してくれる仲間ができたら、それはそれは嬉しくて楽しくて、エジプトだろうとどこだろうとついて行ってしまうのも無理はない。落ち着いた見た目の彼だが、親より友達や仲間を優先しがちな思春期真っ盛りなのだから。(もちろん命を助けてくれた承太郎への恩義やホリイさんへの思慕、自身の不甲斐なさの克服もあるが)孤独だった17歳の少年は、ぽっかり空いた心の穴を急いで満たすように、一途にひたすらに友を仲間を想い続けた。戦いの最中も怪我の治療中も。。。

 ポルナレフの場合はもうひとひねり、妹の存在がある。母親を早くに亡くしたという彼は、その後妹と2人で生きてきたのではないだろうか。もしかしたら10年修行したというのは、14歳の彼なりの妹を守るための決心だったかもしれない。ポルナレフにとっては妹を守り育てること=彼の生きる全てだったのだろう。にもかかわらず、妹を理不尽に、しかも自分の隠していた能力と同じもので奪われ、妹の復讐=彼の生きる理由になってしまった。「俺は最初から一人」と嘯くぐらいに。

 花京院もポルナレフも、ニコロビンぐらい素直に言えたらよかったのに、と思う。(作者が違うから無理か。。。)

 一方、アヴドゥルには、そこまでの影は見られない。占い師として、時々スタンド能力を利用しつつ、一般人の社会に適応して過ごしている。この本でも原作でも、花京院やポルナレフのようなドラマティックな変化はアヴドゥルにはなく、彼の主体は自分ではない。
自らの信じる正義のもとに、彼はポルナレフを助けた。
一人で戦うな、と。
もう一人ではないのだから、と。
彼の想いはポルナレフに通じ、ポルナレフは生きるために、正しいことの白の中で戦うようになった。

 アヴドゥルが孤独でなかったわけではないだろう。
ただ、花京院やポルナレフのかかえる葛藤を、彼はもう乗り越え、他人に説教垂れるドンと構える大人になったのだろう。
同様に、イギーにも、その生き方を問いかけ、良い人間と、仲間と、自分たちと生きよう、と誘う。

 当然ながら、アヴドゥルを、人間をすんなり受け入れるイギーではない。
ザ・フールは、縦横無尽に砂を使い、全力で抵抗する。
今まで通り自由に生きて、何が悪いと。
マジシャンズレッドは炎をぶつけて全力で立ちはだかる。
人間を、自分を信じてもらうために。

4.一人と一匹の最初と最期を

 表題の野良犬イギーの内面については描かれていない。バトルを通じアヴドゥルと語りあうが、どのくらい彼の気持ちが伝わったのか、不透明なままこの物語は終わる。

 しかし、その後の原作でのイギーを私は知っている。
ふたりの最期を知っている。
アヴドゥルの肩に乗るイギーを覚えている。
ひねくれまくっていたけれど、短い間だったけど、皆んなと一緒に楽しそうに過ごしていた。イギーはもう野良犬でなく、出身も種族も超えて、スターダストクルセイダースの一員となっていた。

アブドゥルの想いは通じ、孤独な魂は仲間を得、巨悪を討った。

 そして、一人と一匹の想いはポルナレフに受け継がれ、また別のジョジョを導き、悪を砕く。でもそれはまた別の話か。

5.感想

 
  こういうあまり内面が語られなかったキャラの補完本?を読むと、そこから派生して、原作でのあの場面では彼はあんなことを考えていたのかなって考えられて、面白かったです。
  原作にはないバトル技も想像が膨らみました。やるじゃんイギー。
  最近のニュースは本当にうんざりする内容ばかりだったので、気分転換になりました。楽しかったです。
 それにしてもアヴドゥルは、こんなに色々考えているのに、なぜその10分の1も言葉にできないのか。なぜ言い方が説教臭くなってしまうのか。。せめて花京院ぐらい言語化できたらよかったのになあ。まあそれを言ったら承太郎もだけど。。

6.星1つ分の要望

 星4つで−1なのは、

 まず、スタンドという名前をジョセフが付けたという説は無理があると思うので、その辺をうまくフォローする説明を入れてくれるとよかった。
原作で出てくる敵は生まれながらのスタンド使いが多かったようで、スタンドを利用して殺人請負やギャンブルして稼いでいたやつもいた。他のスタンド使いの名前やスタンドをある程度アヴドゥルが知っていて説明する場面も多かった。つまり、何年何十年も前からスタンド使いはいたわけで、一部はそれなりに存在を知られているもの同士だったと考えた方が普通である。(花京院みたいに全く縁がなかったのもいたんだろうけど)
それが1年前にスタンド発現したジョセフの命名を、みんな共通で使用しているというのは無理がある、と思うので。
また、ホリイさんのような例を何例も見たというアブドゥルの経験もチラッと入れて欲しかった。

 ついでに、肉の芽についても、ジョセフとアヴドゥルが知っている経験について記載があったらよかった。こんなふうにならないようにイギーには、、という方が説得力が増すと思う。

 最後に、イラストについては、やっぱり場面にあった書き下ろしが欲しかった。(荒木先生お忙しいですよね。。。)

 1280円というところでしょうかねえ(適当)





追記1:

無事アマゾンのレビューに載ることができました。なんでこんな時間がかかったのかしら、、?

追記2:

そう、エジプトでのイギーの登場時に、ポルナレフがイギーに髪をむしられて「助けてー」と助けを呼び、自分も髪をむしられるのはごめんと花京院があっさり断るシーンがあった。
イギーの紹介のほっこりパートというかギャグパートだったけど、
「2人とも本当によかったね」
と思えるシーンだったんですよ、私には。
「誰が助けてと頼んだ」と言っていたポルナレフが(半分冗談とは言え)助けを呼ぶことができるようになって、遠慮なく薄情な対応をできる友達が花京院にできて。

追記3:「クレイジー・Dの悪霊的失恋 1」を読んで 反抗期のなかっただろう花京院と普通に成長した仗助


3部では承太郎が絶賛反抗期真っ盛り(少し遅めの)なわけですが、アブドゥルの過去を知って、アブドゥルも花京院も反抗期とかなかったんだろうな、と思いしんみりしている。ポルナレフも微妙だっただろうという推測。

 (第二次)反抗期って、生まれてから保護された環境、一般的には両親となる保護者の元から、大人になって社会に出て自立していくための成長過程の一時期であり、身体的に急激な成長を迎えつつもまだ社会に出るまでに至らない自身への苛立ちを抱え、保護対象保護環境へ反発をくりかえし、徐々に大人になっていくわけだ(個人的解釈ですが)。ただ、本人が年齢なりにそこまで心理的に成長できていなかったり、保護的環境がなかったり、両親だったりの保護者がそれまでしっかり本人を保護し愛情をかけて育て信頼関係ができていないと、反抗期を迎えられなかったりする。自分を覆う保護してくれる柵がぶつかるとすぐに壊れてしまうような脆弱なものでは、怖くてぶつかることもできないのだ。(ぶつかる側がある程度強くなってなくてもぶつかれないけど)

 承太郎はほんっっっとうに恵まれた環境に生まれ育っている。
金銭的に裕福でなんの心配もない広い家の家庭で、父親は不在がちかもしれないがおそらく社会的に地位のある人で、鬱陶しいくらいの愛情を注ぎ全てを受け入れてくれる母親がいつもいてくれて、何かあればアメリカから飛んできてくれる不動産王のおじいちゃんがいて。
自身も知的能力も身体能力も高く、整った身なりのハーフで体格も恵まれており、度胸もあって正義感も強く(いき過ぎてるけど)、不足しているのはコミュニケーション能力ぐらいではないだろうか(まあ、お母さんが何も言わずにわかってくれるか上、周りにモテモテで自分から声をかける必要がなかったからか)。
その分その恵まれた環境から出ていくにはエネルギーが必要で、あんなになってしまったのかもしれない。それにしても急にグレ過ぎでしょうが。。

 アヴドゥルには、そもそも保護者がいなかったし、自身を守ってくれるような環境もなかった。
そんな環境では反抗期なんで無理だろう。生きていくのが必死な状況なのだから。
むしろよくあれほど真っ当な大人になれたと感心するぐらいだ。切ない。

 ポルナレフが微妙というのは彼の保護者がいつまでいたのかがはっきりしないから。
3部の終わりで故郷フランスに身内はいないと言っているのでその頃にはもういない、おそらく妹が殺害された時は2人きりだったのだろう。
3年前なら21歳、当時学校に行っていた妹は15−18歳ぐらいだろうか。エンヤ婆に母親は小さい頃に亡くなったと言っている。小さい頃とは一般的には小学生ぐらいまでだろう。流石に小学生の子供2人が生きていくのは難しいから、彼らがある程度成長するまで育てた保護者がいるはずだ。
推測としては、14歳からスタンドの修行を始めているので、それまでは父親が生きていて、その頃死亡したのかな、という案。ある程度お金を残してくれれば近所の人など頼りつつ中学卒業まで遺産で暮らし、その後はお兄ちゃんが働いてなんとかなるかもしれない。
自信たっぷりで攻撃的な彼の性格だと、それなりに反抗期を迎えていたような印象を受けるけど、妹と2人暮らしになったらそんなことやってられないだろうから、2人暮らしになるまでの間少し反抗期を経験できたのかな、という推測。

 そして、花京院はもっと切ない。
おそらく彼も承太郎ほどではないにしろ、それなりに裕福な上流階級の家庭に生まれたと推測される。(1988年夏にエジプトに親戚と海外旅行に行けるなんて!うちなんて、、、地方の名士とか代々医者とかかしら?歴史のありそうな苗字だし、、)
休憩中に本を読んでいる様子から読書の推奨される家庭環境だったのだろうか。女性に対して紳士的に振る舞う態度は彼の父親の教育だろう。父には母がいて、、ということから両親仲が良く、礼儀正しく言葉づかいの丁寧な穏やかな家庭だったのではないだろうか。
それなのに、母は花京院が理解できず悩み、花京院も誰にも理解されない孤独を抱えたままだった。
あれだけやり込めるほどゲームを買ってもらって、きちんとしつけられて、両親も彼に愛情を持っていただろうし、利口な典明くんもきっとそれをわかっていた、わかっていたけど近づけなかった。どうやって近づいていいのかわからなかったのか。残念ながらお互いに思い合っていてもすれ違う関係はあるし、親子という距離の近さなら尚更だ。
おそらくこの関係では反抗期まで至らなかっただろう、と思う。

17歳が死を覚悟して、
「心配かけてすみません」
なんて親にあやまらないで欲しい。

 花京院は相手の発言をすぐに理解して応用して言い返すパターンが多く、観察力理解力推理力判断力決断力実行力とも高2とは思えない知的能力の高さだ。(ホルホースも承太郎も認めるくらい!)  
自制心も強く感情のコントロールもでき、控えめな性格で協調性もあるが、結構こだわりが強く頑固で、つっぱしる時はつっぱしる強さもある。
その能力と性格は親譲りで家庭環境によるものなのか、彼独自のものなのか、判別は難しいがおそらく両方だろう。頭の回転の速さは多分に生まれつきの要素が強いと思うが、スタンドを誰にも気づかせないように気をつける過程で観察力がついたのかもしれないし、控えめになったのかもしれない。
生まれた時からスタンドを持っていると、スタンド込みで彼の人生になるので、スタンドのない場合の人格を推定するのは難しい。
ただ、彼の冷静で自信に満ちた態度は、他の誰もが持っていない誰にも無敵なスタンドを持っていることによる可能性が高い。夢の中でスタンドが使えず襲われた時非常に取り乱していたし、夢の中にスタンドを持ち込めたら自信たっぷりに戻っていたから。
この時殺されると恐怖をしたのに、実際に死を目前にした時には、まったく取り乱していなかった。
その前に後悔はしないと覚悟を決めていたからなのだろうか、恐怖を乗り越えていたからなのだろうか、仲間への想いが恐怖を上回ったからなのだろうか。切ない。。
スタンドがいなければポルナレフのような軽口を叩く友達がたくさんいたかもしれない。
でもスタンドがいなければ、彼は承太郎にもポルナレフにも出会うことはなかった。

 ポルナレフは3部の最後に「辛いこともたくさんあったけど楽しかった」と言っていたが、もし聞けたらアヴドゥルも花京院も同じようにいうのだろう。アヴドゥルは、「DIOという悪を倒し、ホリィさんが助かってよかった」とジョセフにいって、ポルナレフを励ますだろうし、花京院は「承太郎に助けられたから、生まれて初めて仲間ができた」と感謝するんだろうな。イギーはポルナレフの髪むしってそうだけど。審判はあんな奴だが、真理をついていた、、、

 きっと承太郎は3部の後に反抗期はやめただろう。
命をかけたやりとりの後では子供じみた反抗期なんてやってられないだろうし、やっとの思いで、多くの犠牲を払って取り戻した母を悲しませたりはできないだろう。母を見れば、旅を、アヴドゥルの豪快な笑顔にイギーのひねくれ顔に花京院の控えめな微笑みを思い出すだろう。
この事件によってぶつ切りで彼の反抗期は終わったのだ。承太郎はこれから彼らの生きられなかった人生を生きていくのだから。

 表現が適切なのかわからないが、1番普通というか健康的な反抗期を迎えているのは、ジョジョの中では仗助くんだと思う。(パチンコとかいってるけど)
父親はいなかったが、母親と、父親がわりのおじいさんが頑張って彼に愛情を注ぎ育てたのだろう。
生まれつきではなくある程度記憶のある時期からスタンドが発現したのも大きい。スタンドがない状態を知っていてそれが普通だとわかっていたから。
 (ちなみに、ジョセフも刑務所に何度も入っているけど、エリナおばあちゃんが親代わりに頑張って育ててくれたんだろうなーと思うし、スピードワゴンもいるから、健康的な感じがする。ジョルノは反抗期を迎えられなかったタイプだと思う。虐待を受けて家庭崩壊気味だったから。父親のディオと違う人生を送れたのは、背中を見せてくれて支えてくれたギャングがある程度父親がわりになったからだろうか。)

 承太郎が仗助と初めて出会った時、ジョセフの話をしたら、「迷惑かけてすみません」って謝って、人間ができているのか、と承太郎が思っていたけど、私にはそう見えなかった。
なんて丁寧な拒絶だろうって、
ちょっと背中が寒くなった。
自分の父親を他人の家庭の人と扱っている訳だもの。
それだけうちはうち、よそはよそと線引きができていたし、自分の家庭(ジョセフは含まれない、むしろ障害)を守る気持ちが強いということか。
 
 「クレイジー・Dの悪霊的失恋 1」では、仗助のおじいちゃん生きているので、おじいちゃんとの絡みは見てみたい感じがするし、仗助の性格へのおじいちゃんの影響も見たいですね。人を助ける仗助になった教育の過程を見てみたい。孫がなにかやらかしたと聞くと、自転車かっ飛ばして駆けつけるパワフルじいちゃん。あの時代、しかも警官だと私生児はいろいろ苦労したっぽいですなあ。

 それより、さらに! 

  花京院の家族関係が出てくるのかどうかドキドキしている。

  見たいような見たくないような。
 一体どんな関係に描かれるのか。

  当時7歳の涼子ちゃんのみた範囲だから、そんな辛くはならないとは思うけど。お兄ちゃん大好きフィルターかかっているだろうし。

さらには、また彼の最期を見ることになるのかと思うと(聞くかもしれないが)、見たいような見たくないような、、、

「野良犬イギー」がアヴドゥルとイギーの話なら、こちらは仗助とホル・ホースの話にみせて実は花京院の話ですね。

たぶん。

 


追記4  2022年8月17日 Blu-ray買いました〜

アニメの第3部が、アマゾンプライムでの配信が14日以内に終了になってしまったので、、、
買いました!
Blu-ray!
とりあえず3部の前半を!!
ゆっくり1話から見ています!


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?