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5月の独り言。

"5月全般の誕生花は「カーネーション」で、花言葉は「無垢で深い愛」などです"

5月の花といえばカーネーションで、カーネーションといえば母の日。
家族の話は人によっては聞きたくない人や触れたくない人も居るんだろうなと思うけど、ここは私のnoteだし日記がてらに私の自由に綴ってみようと思う。

1週間早いけど、母の日のプレゼントはディプティックのドソンという香水を贈った。

母との思い出はたくさんあるし、やんちゃで反抗期が長引いた私は怒られてばっかりだったけどその中でも特に強くこびりついている記憶がある。
子供のころ塾帰りに迎えにきてくれた母から唐突に「このまま海行こっか」とそのまま深夜の真っ暗な海に連れて行かれたことだった。思い返してみればその出来事は両親が離婚した時期とちょうど重なっていて、当時の私は浮かれて喜んでいたあの海までのドライブを母はどんな気持ちでハンドルを握っていたんだろう。幼き私を連れてどんな感情で高速道路を飛ばしていたんだろう。通り過ぎていく街灯の数だけ幸せを諦めていったんだろうか。男勝りな母の、そんなとてつもなく女な部分を大人になってから時折ふと思い出す。

家庭を持ち子供を持った母と、家庭を持たず子供も持つつもりもない私。格好良いパンツスタイルばかりで冨永愛に憧れる母と、綺麗なワンピースが好きで高岡早紀に憧れる私。見た目によらず他人に気を使いすぎて不器用なところがある母と、見た目によらず他人のことには無関心でなんとかなる精神でやってきた私。
私は母を反面教師にして育ってきたからおのずと正反対の母娘になってしまったけれど、きっとシングルマザーなりの戦いや葛藤があって、今ここで働けているわたしはそんな母の色気や女性性を全部吸い取ったうえで成り立っているんだろうと思う。

そんな母に育てられたわたしは抱き締められたり頭を撫でてもらった記憶もなければテストで良い点を取っても褒められることはなく決して甘く優しい愛は知らないけど、学校から呼び出されたときに先生へ反論してくれた言葉に、塾が遅くなったら迎えにきてくれた行動に、確かに愛があった気がする。

これは少しの自惚れだけど、きっと母はほんの少し私になりたかったんじゃないんだろうか。
フリフリの可愛い服を着せてバレエを習わせて大人になるにつれて色気付く私に嫌味を言いながら。
でも私は気付いてる。実家の庭がいつのまにか鮮やかな花に溢れていることに、母の好きな洋画のキャラクターがロマンチストで甘い男性なことに、帽子屋で華やかなリボンのついたハットに目を向けていることに。
だから押し付けじゃなく、いくら歳をとってもやっぱり女であることを素直に楽しんで欲しくなったから香水を贈った。

大人になってわかること、大人になってもわからないこと。同じ家族でも分かり合えないことは沢山あるし、無理に分かり合おうとしなくてもいい。分かり合えないまま死を迎えてもいい。ただ「気付いた方から歩み寄る」という言葉があるように、私はありがたいことに気付けた分だけ少し歩み寄ってみようと思う。自分が吸い取った女であるという楽しみを少しずつ返してみようと思う。そんな5月の始まりだった。


贈った香りはチュベローズ(月光花)。
花の香りの中でもっともセクシーで人々を魅了すると評されている香りだ。

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