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心のままに


今週の一枚はツバキの花


ツバキの花言葉は、


「控えめな素晴らしさ」「気取らない優美さ」「謙虚な美徳」などなど。


ツバキの花は匂いがしないそうだ。普通の花は匂いによって虫を呼び寄せるが、ツバキの花は姿形だけで虫を呼び寄せようとする。そんなところを気高さや品格があると捉えて「控えめ」「謙虚」などの言葉を使った花言葉を作ったのかも知れない。


ツバキの花言葉には素晴らしい言葉が並んでるけど、俺には人間としての気高さや品格はあるのだろうか?


文章では毎日綺麗事ばかりを書いてるから、良い人間に思われるかも知れないが、俺にもドロドロとした人への批判的な思いや世間の事件に対する愚痴や文句も心の中にはもちろんある。


しかし、それが心の外にまでは出てこない。


他人と話せる人間関係が無いのも原因ではあるが、人に怒ったり、人を批判をしたりするパワー自体が心の外に出るほどには湧いて来ないのだ。


だから、綺麗事を書いてるのは、本当にそうなればいいなと思って書いてる。単純に綺麗事の気持ちの方が心の外に出やすいから書いてるだけだ。俺の心の中に悪い心と良い心の両方があるが、良い心の方がなんのパワーもいらずに心の外に出せるから、良い心の方が目に見えてるだけ。


果たしてこれが良い人間と言えるのか?


そう考えると、人の悪口や度を過ぎた誹謗中傷が心の外に出てる人と俺とは紙一重なのではないか?


悪い心を外に出す事によって自分の心を守ってる側面も絶対にあると思う。集団生活の極度なストレスにより、ストレス発散をしないと自分が壊れてしまう。そんな環境の人とラピュタのキツネリスを肩に乗せてるロボット兵のように山奥でのどかに暮らしてる俺と比べて、俺の方が良い人間などとは絶対に断言出来ないのである。


俺は悪い心が外に出にくい環境なだけだ。


俺だって、毎日嫌な人間と集団生活をする毎日だったら、裏垢を作って「こめかみグリグリ左衛門」を名乗って、Xで片っぱしから誹謗中傷してたかも知れない。


今の綺麗事ばかりを言ってる俺は決して偽りの自分ではないが、環境によってはブラックジョージとなって、愚痴や不満ばかりを書いてた可能性もあった。

でも、モラハラをされたことや女性を救うために相手の借金を背負った過去などを、今でもしつこく書いてはいるが、決して今でも相手を恨んでいるから書いてるわけではない。


離れた今でも「良い人と幸せになってるかな」とか「俺と出会った事を後悔してたとしたら申し訳ないな」そんな事を、今でも思ってる。


過去の事をしつこく書いてるのは、その時の記事で俺の文章を初めて見る人もいるだろうから、自己紹介の意味を込めて書いてるのと、やはり、今の心の思いを知ってほしいから書いてる。その時その時の思いをそのまま書いてるから、正直な文章なだけなのだ。


俺はツバキのような気高さも品格もないかも知れないが、今のこの心のままに過去に戻っても、モラハラをされて全財産を失った記憶を持ったまま過去に戻ったとしても、それでもまた、借金を抱えて夜の街で1人で働いてるあの人と出会ったら、また助けようとするだろう。


今度こそ上手く助ける。


そんな思いでだ。


善人ぶってるわけじゃなく、今度は見捨てる心が無いわけじゃない。自分の損得を考える汚い心もちゃんと持ってる上で、今度もまた「助けたい」と思う心の方が心の外に出やすいだけだ。


そして、今度はちゃんと完璧に助けた上で、あの人から静かに離れる。


それは、一緒に居てはならない者同士なのは、十分に分かってるからだ。一緒にいたら二人ともがまた血だらけになってしまう。俺はあの人の悪い心を引き出させてしまう弱い人間だから。


人を見捨てる心より、人を助けたいと思う心が優先される。


もしそれが気高さや品格に繋がるなら、そんな心が出やすい環境で良かったと心から思える。


ツバキの花言葉を調べてたら、こんな事を思った1日だった。

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