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#09 父の手術

2021年10月。突然の父のがんと余命宣告で、平凡な我が家は大騒動となる。
診察に付き添ってくれたお義姉さんの計らいのおかげで、かかりつけ医から国際がんセンターを紹介してもらうことができた。がん治療では全国でもトップクラスだ。ここで診てもらえるだけで、ほっとした。

兄やお義姉さんは、仕事や子供達の世話で忙しいので、今後の父と母の世話は私がみることにした。私は子供も旦那もいないし、仕事もフリーランスだし、時間に自由がきく。この使命のために、自分は離婚したのだろうか?と錯覚するほど、自分でも適任だと思った。

がんセンターの主治医によると、声帯の裏にがんができているため、声帯を切除するしか方法がない。という。それは声を失い、喉から直接空気を取り込むための、気管切開が必要になるというものだった。
父は、声を失うことを恐れ、ほかの2つの病院でも診察してもらったが、どの医者も言うことは同じだった。しかも、主治医によると、早くしないと1ヶ月も経てばがんが大きくなり、気道が塞がれ、今よりもっと息苦しくなるから、待っていられない。という。もし、切除手術をしない場合でも、どんどん息苦しくなるから、気管切開は必要になってくると。
父は、悩む暇もなく、声を捨てて手術を受けざるを得なくなった。

コロナ禍で、お見舞いできない病院も多い中、幸いがんセンターは1日15分1名だけなら、面会できるというルールだった。手術前日、私は父の病室へ見舞いに行くと、不安そうな父の顔があった。そりゃ怖いに決まってる。こんな時も、なぜか笑顔になって茶化してしまう私。
「いい部屋やん!よかったな!」
個室に入院していた部屋から大阪城が見えた。
15分というルールにも関わらず、1時間いても誰も怒りに来ない。やさしい病院だった。時間の許すかぎり他愛もない話をした。
帰り、父は病院の玄関まで見送ってくれた。かすれた小さな声で
「…ありがとう。気をつけてな」
と、手を振ってくれた。
「うん。明日の手術中も居てるから、安心してな!じゃ、またっ!」
と笑顔で手を振って、駅まで歩く間に涙があふれた。
もう、これが父の最後の声なんだ。。。

仕事が趣味みたいな父は、つい先日までバリバリ仕事していた。真面目で黙々と働いてきた父がなんでこんな目に合うのか。家族みんなそう思ったけれど、こんなことでもないと父はたぶん一生仕事していただろうから、これはきっと神様からの強制ストップなんだ。と思うことにした。

手術の付き添いも家族が1名のみ、と制限があった。母と私は交代で付き添うことに。5時間以上の大手術だった。私は、待ち時間に勉強するために、教科書と問題集を持って行ったけれど、字を眺めているだけで、まったく何一つ頭に入らなかった。
夕方、交代の母がやってきた。
「ごめんな。ありがとうな。」
これは、母の口癖になっていた。
私はまだバイトを続けていたので、その足でバイト先へ向かった。途中母から、
<手術終わった>
という簡単なメッセージが届き、慌てて電話をかけたけれど、一向につながらない。
連絡が取れないまま、接客の仕事をしていたけれど、手術が成功したのか状況がわからず、気が気ではなかった。もしもの事が起こっていたらどうしよう。。。バイトが終わるとすぐに、もう一度電話をかけた。
家に戻っていた母は、のんきな声で、
「ごめんごめん!”問題なく手術終わった”の意味やったわ。」
と少し元気な母の声を聞いて安心した。

私は、父の看病と、母のメンタルを支えるために、アルバイトをやめることにした。そして、声と引き換えに手術に挑んだ父を見て、絶対合格して父に喜んでもらいたい。と、本気で勉強することを心に決めた。

デザインだけやってきたオバさんが一念発起して資格取得を目指した自分史を投稿しています。#01から順番に読んでいただけると嬉しいです☺️
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ビリオバ

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