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#11 不動産騒動と年末年始

2021年11月末、3年弱働いたバイトを辞めた。
セールが始まる忙しい時期にとても迷惑だったと思う。けれど、学校に通っている事と、父の病気の事を店長に相談していたため、急な家族からの呼び出しがあるかもしれないこと、そして勉強にも集中したいという私のわがままを、まだ20代半ばの若くて優しい店長は快く受け入れてくれた。
この店舗での仕事はとても楽しく有意義だった。仲間にもとても恵まれ、今でもお店に行けば顔見知りのスタッフが居て、楽しい時間を過ごすことができる。

そんなわけで、仕事とバイトと学校と両親のサポートでドタバタしているうちに、あっという間に12月になっていた。
コロナ禍とはいえ、街はイルミネーションでクリスマスムードが漂い始める。
日々のドタバタでストレスぱんぱんになっていた私を心配して、友達がお茶に誘ってくれた。しかも、お土産といって、造花でクリスマスデコレーションしたフラワーアレンジを作って持ってきてくれた。
「家の中、季節感ないって言ってたでしょ」
って笑いながら。
「そっか、クリスマスってこと忘れてたわ」
って笑いながら、その優しさに泣きそうになった。
玄関に飾り、クリスマスコーナーをつくると、出しっ放しになっていた扇風機を片付けた。

そんなほっこりした気分もつかの間、また父のわがままが始まった。

病気をしてからというもの、父の不安症とネガティブとわがままが炸裂し、母も私もほとほと疲れていた。
今度は何か?と思ったら、家を引っ越すという。

実家は、20年ほど前に築20年の中古戸建を買い、父が内装を設計してリフォームした家だったのだけど、古くなった上、度重なる地震や台風の影響で、強風やバスが通るだけで、ガタガタと音を立てて揺れるようになっていた。そんなのは、何年も前からだったけど、毎日家で過ごすようになった父は、初めて危機感を感じたようだった。

家を建て替えるか、別の家を買うか、土地を買って新築するかを検討し、いくつもの不動産屋さんに私が会うことになった。
仕事もなくなって家で療養していた父は、時間を持て余しあれこれパソコンで調べては、私に連絡が来て、ここに電話しろとか、この物件がどうだとか。。。
そんなの勝手にやってよ!と言いたいところだけれど、話せないのだから仕方がない。全ての代理人を私が務めることになっていた。

そんなある日、実家のすぐ近くにとても良い土地を見つけた。少々予算オーバーだったけれど、場所も広さも申し分なく、両親同意の上、不動産屋さんと購入の手続きを進めた。いよいよ翌日お金の受け渡し。という段になって、父の不安症が炸裂。
「やっぱりやめよう」
と言い出した。とにかく言い出したら聞かない性格。たぶん私のそれも父譲りだろうと思う。
結局、こちら都合のキャンセルのため、無駄に数百万円を不動産会社と相手方に支払うはめになった。なんてこった。。。

そうしてまた12月もバタバタと過ぎ、クリスマスイブの夜、今年最後の授業を終え、私たち受験生の頑張りどころである年末年始に突入した。

正月、毎年1月2日に実家に集まることにしているのだが、コロナ禍であったことと、父の体調を考慮し、兄家族は来ないことになった。
私は、例年通り実家に帰り母のおせちを食べた。これまでは年に1〜2回会うのがせいぜいだったのに、10月からすごい頻度で両親に会っている。老いるというのはこういうことか、、

おせちを食べた後、丘の上にある近所のお寺にお参りするのが通例だったので、その日も「みんなでお参り行こう!」と言ったのだけど、父は坂の途中で体力をなくし、行き交う人々の幸せそうな笑顔に辛くなって、「帰る」と言って1人で戻ってしまった。

けれど、ここまで歩けるようになっただけでも進歩だった。退院した直後は、徒歩3分ほどの病院へも行くことができなかったのだ。
根気強い母は、あの手この手で、毎日父を散歩に連れ出し、「今日はここまで歩けたね」と少しずつ距離を伸ばし、父の筋力と心肺を鍛えてくれていた。

父は父で、母は母で、それぞれ自分なりに精一杯頑張っていた。
私も、頑張らなくちゃ。正月休みに遅れを取り戻すぞ!
帰りの電車でまた参考書を開いて勉強しながら家路についた。

デザインだけやってきたオバさんが一念発起して資格取得を目指した自分史を投稿しています。#01から順番に読んでいただけると嬉しいです☺️
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ビリオバ


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