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「天職」は魂が導く! ~フジコ・ヘミングさんに捧ぐ~

 この春、新しく社会人になった人も、あるいは転職先を探している人も、将来どんな仕事に就こうか考えている人も、
自分にとって「仕事」とは何かを、きっと一度は考えたことがあるでしょう。

 自分がこの仕事に向いているのか、向いていないのか、悩んでいる人もきっと多いと思います。病気や様々な都合で、仕事に就けない人も、たくさんいると思います。

 ボク自身も、自分はなんのために働いているのか、誰のために働いているのか、深く悩んだことが度々あります。
 そんな時、フジコ・ヘミングさんの「ラ・カンパネラ(リスト作曲)」の演奏を聴くと、すべてがぶっ飛びます。

 もうみなさんご存じの事と思いますが、先日亡くなられたフジコ・ヘミングさんは、5歳で父と別れ、国籍すら失い、ようやくピアノ奏者として演奏会デビューする直前に聴力を失う・・・。失意のうちに世界を転々として、ピアニストとして世に知られるようになったのは、60歳を過ぎてから。

 フジコさんが演奏する「ラ・カンパネラ」は、決して譜面通りではないし、数ある超絶技巧の人とは全く一線を画したフジコさんしか弾けない、魂の「ラ・カンパネラ」です。



 この人の演奏を聴くと、ボクは滂沱の涙、魂が震えます。フジコ・ヘミングさんは、唯一無二の「ラ・カンパネラ」を私たちに聴かせるために、この世に生まれてきた人、「ラ・カンパネラ」を弾くことが「天職」の人なんだと、ボクは勝手に思っています。

 1999年、NHKの教育テレビが、当時下北沢に住んでいたフジコさんを追いかけたドキュメンタリー「あるピアニストの軌跡」を、先日、同局の再放送で視ました。そして、なぜ、フジコさんの「ラ・カンパネラ」が他の人のそれと全然違うのか、ようやくちょっとだけ分かった気がしました。

 
 そして、ボクは思ったのです。
「仕事」とは、自分の魂に正直に生きること、だと。
それが、結果的に「天職」になるのだと。

 だから、何のために働くかとか、自分にふさわしい「仕事」とは何かとか、そんな教科書みたいなことは考えなくていいのです。
 それが本当に自分の魂が望むことなのか、自分の魂の声を、先ず聴くことから始めませんか。

 悪しき例で恐縮ですが、5月1日、水俣病の患者団体が環境省で大臣との懇談会の際、患者の一人が亡き妻のことを語っている最中、持ち時間の3分をオーバーしたからと、環境省の役人が勝手にマイクの電源を切った(音量を下げた?)ことがニュースになりました。
 その環境省の役人は、一流大学(おそらく東大)を出て、国家試験を経てキャリア採用されたエリートなのでしょう。
何十年と公害に苦しめられた人たちが訥々と語る、その悲しみや苦しみに想いを馳せる想像力すら持ち合わせない、人間として最低の「仕事」をする輩だと、怒りに震えました。
 職業に貴賤はない、といいますが、尊卑はあります。あの国家公務員たちの職業は「卑しい仕事」です。

 これから社会に出る若い人たち、あるいは今、公務員として世の中のために「公僕」として働こうとしている人たち、
あなたたちは、決してああなってはいけません!自分の魂を汚すようなことは、決して、してはいけません。

 他人のモノサシや、世間のモノサシ、評判とか常識とかは一切気にする必要はありません。
 
 自分自身の魂と真剣に向き合い、魂に正直に生きていたら、きっと天から「職」が降ってきます。そういう仕事は、それがどんな仕事であれ「尊い仕事」に違いありません。


文責:birdfilm 増田達彦

 
 


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