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千年続く日本の信仰聖地で何を学ぶか。〜第3章〜

和歌山県高野山で2泊3日、自分自身を見つめる旅。第1章では、高野山で宿坊の固定概念を変え、ハイコンテクストな体験を次々と生み出して潜在する価値を引き出している恵光院さんについて紹介し、第2章では、1,200年続く奥之院での月命日の21日に執り行われている「ご縁日法要」と「生身供(しょうじんく)」の儀式について、そして老舗ごまとうふのお店を紹介させていただきました。
第3章では、真言宗の総本山「金剛峯寺」と高野山に現存する貴重な仏像・仏画を間近で見ることができる「高野山霊宝館」を紹介します。


1.金剛峯寺

金剛峯寺(こんごうぶじ)は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山真言宗の総本山の寺院で、元々は青巌寺と興山寺が合体して、「金剛峯寺」となった。「金剛峯寺」という名称は、弘法大師が『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』というお経より名付けられたと伝えられています。
1593年(文禄2年)に豊臣秀吉が母堂の菩提(死後の冥福 を祈って)のため寄進したものだったが、火災で損失し、1863年(文久3年)に当時の姿のままに再現され、2024年(令和6年)1月19日、金剛峯寺本坊が重要文化財に指定されました。
茅葺き屋根の大主殿は、天皇や皇族が登山した時に謁見する場として使われていたり、重要な儀式や法要が執り行われる場所でもありました。
館内はほとんどが撮影禁止のエリアですが、襖絵は見事に残されていて、ぜひ訪れて欲しい場所であります。

金剛峯寺の表門
大広間に続く、広々とした廊下。柱の湾曲が実に見事。
弘法大師御入定1150年・御遠忌大法会の時に造園された、国内最大級の石庭「蟠龍庭」
貴賓室として使用していた奥殿に続く廊下。
蟠龍庭を一望することができます。
2020年(令和2年)に千住博画伯により奉納された断崖図の襖絵。
そして、瀧図が描かれた土室。
囲炉裏の間で土壁で囲まれた部屋。高野山の冬場は、非常に厳しい土地であり、暖をとるために工夫された部屋。
この襖絵に会えるとは!感慨深い。
こちらは今も使われている台所。
食べ物を床から上げて保存するためのネズミ落とし。
大きな釜が並ぶ二石釜
3つの釜で二石(約280kg)、人数で例えると僧侶約2000人分のご飯を炊けたようです。釜が横に3つ並んでいますが、1つの釜で7斗(98kg)のご飯が炊けたそうです。
金剛峯寺には
二つの寺紋があります。「五三の桐」と「三頭右色巴」
三頭右巴は高野山の鎮守・丹生都比売神社の家紋
五三の桐は豊臣秀吉拝領の青巌寺の寺紋
一般に寺紋は1つですが、金剛峯寺はこの2つの家紋とされているようです。
真然廟に続く廊下
この杉の大木は、奥之院御廟の後ろに立っていましたが、長い歳月が過ぎ、落雷などによって木が傷み御廟保全のため取除いた時に切り株にし、展示。
この霊木は高野杉と言われ元々は、高さ約57m、直径約2.87m、根元の周囲役9mとされています。

金剛峯寺は、貴重な襖絵に会える場所でもあり、皇族たちが高野山に登山した時に受け入れたお寺とあって、絢爛豪華な広間や客間を見学できます。ぜひ足を運んでみてください。

✅金剛峯寺
〒648-0211 和歌山県伊都郡高野町高野山132
【拝観料】中学生以上:1,000円、小学生:300円、未就学児:無料
【拝観時間】8:30~17:00 (受付16:30まで)

2.国宝に会える「霊宝館」

そして、写真には残せませんでしたが、ぜひ訪れて欲しいのは「霊宝館」。

2020年(令和2年)現在で、国宝21件、重要文化財148件を収蔵する、世界遺産高野山に現存する貴重な仏像や仏画を間近で観ることができます。
1点1点の作品の大きさにもびっくりしますし、それを色彩・建造物として精密なまま残し、千年の時を越えて、躍動する仏像の姿に、心揺さぶられます。
千年以上も前にこの山奥にある高野山で真言密教の聖地を作った弘法大師空海。
そして、情報を入手することもままならない時代に、これだけの仏像や仏画をつくらせたエネルギー。そして千年以上も守られてきて、今も生き続ける仏像たち。幾多の危機を乗り越えて、今も信仰の地として、残る高野山の魅力を改めて再確認しました。

ぜひ足を運んで欲しい場所です。

✅霊宝館
〒648-0211 和歌山県伊都郡高野町高野山306 
【拝観料】一般:1,300円、高校生・大学生:800円(※学生証提示必要)、小学生・中学生:600円
【開館時間】
5月~10月 午前8時30分~午後5時30分
11月~4月 午前8時30分~午後5時
(※入館は各閉館時間の30分前まで)

3.弘法大師空海の半生を振り返ってみた。


空海(774〜835年)

  • 774年〈宝亀5年〉に讃岐国多度郡屏風浦(現在の香川県)で生まれたという説がある。幼名は眞魚(まお)

  • 788年(延暦7年)14歳で平城京に上る

  • 789年(延暦8年)、15歳で桓武天皇の皇子伊予親王の家庭教師であった母方の叔父である阿刀大足について論語、孝経、史伝、文章などを学んだ。

  • 792年(延暦11年)、18歳で京の大学寮に入った。大学での専攻は明経道で、春秋左氏伝、毛詩、尚書などを学んだ。

  • 793年(延暦12年)、大学での勉学に飽き足らず19歳を過ぎた頃から山林での修行に入った

  • 798年(延暦17年 )24歳で儒教・道教・仏教の比較思想論でもある『聾瞽指帰』を著し、俗世の教えが真実でないことを示した。

  • 803年(延暦23年)、29歳の時に中国語の能力の高さや医薬の知識面での推薦も活かし、遣唐使の長期留学僧として唐に渡る。※天台宗を比叡山に開創した「最澄」とはこの時、交流が始まる。最澄は非常に恵まれた立場で、天皇からバックアップを受け、自分専用の通訳もつけて、短期間で唐に行っています。空海は当時無名の僧侶だったため、最澄とはかなり違う立場で留学しています。

  • 805年(永貞元年)2月、31歳の時に西明寺に入り滞在し、さらに長安に滞在し、空海は密教を学ぶために必須の梵語に磨きをかけた。空海は般若三蔵から梵語の経本や新訳経典を与えられる。

  • 805年5月、密教の第七祖である唐長安青龍寺の恵果和尚を訪ね、以降約半年にわたって師事することになる。
    恵果和尚は当時、真言密教の最高峰と言われていた。
    恵果は空海が過酷な修行をすでに十分積んでいたことを初対面の際見抜いて、即座に密教の奥義伝授を開始。空海は6月13日に大悲胎蔵の学法灌頂、7月に金剛界の灌頂(かんじょう)を受ける。
    ※灌頂→一種のイニシエーションとして最高のもの

  • 805年12月15日、恵果和尚が60歳で入寂。806年(元和元年)1月17日、空海は全弟子を代表して和尚を顕彰する碑文を起草した。

  • 806年3月に長安を出発し、4月には越州に到り、4か月滞在。土木技術や薬学をはじめ多分野を学び、経典などを収集した

  • 806年、折しも遭難した第4船に乗船していて生還し、その後急に任命されて唐に再渡海していた遣唐使判官の高階遠成を通じ上奏して、「20年の留学予定を短縮し2年で留学の滞在費がなくなったこと」を理由に唐朝の許可を得て、その帰国に便乗。

  • 806年8月(32歳)に明州を出航して、帰国の途についた。途中、暴風雨に遭遇し、五島列島福江島玉之浦の大宝港に寄港、そこで真言密教を開いたため、後に大宝寺は西の高野山と呼ばるようになった。

  • 806年(大同元年)10月、空海は無事に博多津に帰着。

  • 806〜816年、京都市街から北西、愛宕山(924メートル)山系の高雄山の中腹に位置する山岳寺院の高雄山寺で空海は一時住した。
    ※空海が帰国するにあたり、最澄による手助けがあり、空海と最澄は交流を深めていったが、密教の捉え方の違いから最終的には絶交することになってしまった。

  • 807年(大同二年)33歳の時に、真言宗の開祖弘法大師空海によって伊豆修禅寺が開創された。

  • 816年(弘仁7年)6月19日、空海42歳で高野山に修禅の道場を開きたい旨を朝廷に申し出る。
    (同年、42歳の時、人々に災難が及ばないように四国に霊場を作ったのが四国霊場。大師が仏となった後に弟子がその軌跡を巡ったのが霊場巡りの始まりと言われています。)

  • 817年(弘仁8年)泰範や実恵ら弟子を派遣して高野山の開創に着手。

  • 818年(弘仁9年)11月には、空海自身が勅許後はじめて高野山に登り翌年まで滞在した。

  • 823年(弘仁14年)に嵯峨天皇より、京都の東寺を給預されます。49歳

  • 828(天長5)年には、「綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)」という庶民のための私立教育施設を創設。弘法大師は教育の重要性を説いたといわれている。また四十八文字の「いろは歌」の仮名文字を作られる。54歳

  • 832年(天長9年)に高野山に金堂が完成。58歳

  • 835(承和2)年、61歳で御廟に入定する。

  • 921(延喜21)年、弘法大師の諡號を賜ることになります。

こうして1,200年前の空海が歩んできた記録が残っていることもすごいことであります。
弘法大師空海は、真言密教の教祖でもあり、土木技術や薬学を日本に持ち込み、人々に災難が及ばないように四国に霊場を作り四国霊場八十八ケ所巡りを作った。そして、いろは歌や教育の重要性を説き、庶民のための私立教育施設を創した。
そして、今なお、人々を魅力し続けている。

最後に、空海が開いた真言宗について。
真言宗は大日如来(だいにちにょらい)が本尊。即身成仏(そくしんじょうぶつ)が大切な教えとされています。即身成仏とは、今この世に体のあるうちに仏になれるという教えです。

そのために必要な修行が、本来持っている仏心(ぶっしん)を呼び起こす「三密(さんみつ)」というもの。自身の「身(しん)=体の行動」、「口(く)=言葉」、意「(い)=心」の3つを整えることが欠かせないと説かれています。自分自身を深く見つめ直し、仏のような生き方をすることが重要としているのが真言宗の特徴です。

3.2泊3日高野山で自分自身と向き合う

この2泊3日の高野山での自分自身と向き合う時間、今後の未来を展望する時間にしたかったのですが、私自身の未熟さを痛感した3日間でもありました。
周りの目を気にするあまりに、調和を取ろうとしてきた。
帰りのロープウェイで、堂島醸造所の橋本さんから「家族1人を説得できなくて、世界を変えるなんて無理だ」と言われてハッとさせられました。
誰に何を言われても、突き通す「パッション(情熱)」が私の中にはまだ足りてないんだと。
自分でも止められないほど心燃やす情熱。
それが一番大事だと。
伊豆半島の真ん中で、「私がこの地を変える」と誓った時の気持ちが蘇ってきました。
もっと自分自身に自信を持って歩んでいく。
そう誓った2泊3日の高野山での旅でした。この狂犬ツアーで出会った人たちに感謝します。
また目標が達成したら、高野山へ訪れたいと思います。
ぜひ、自分が歩む道に悩むことがあれば、高野山へ足を運んでみてください。

3日目の朝のお勤め。
護摩堂での護摩祈祷
何回見ても心揺さぶられる護摩祈祷
1日目の集合写真①
狂犬ツアー@恵光院に参加した皆さんと集合写真②
近藤住職と並んで奥之院まで歩いた記念のショット。

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