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旅の宿…続・陶工が愛した料理旅館

一昨年に続いて訪れた笠間は4月下旬の陽気。

笠間駅近くのお宿だった上州屋さんの建物には今、手打ち蕎麦屋さんがテナントに入っている。かつてミシュランの星が付いた店を畳んだ後、名店を次々と開き、"流浪の蕎麦名人"と呼ばれるI氏が、笠間に移って3年。毎日更新されるFacebookの料理の画像が美味しそうで、すぐに飛んで行きたくなる。人の流れの止まったこの2年は、大変だったと思うが、 舌の肥えた客は放っておかない。蕎麦懐石で貸切の日も増えているようだ。

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ある年の春先、上州屋さんに投宿した折のこと。料理の間が一度だけいつになく開いたことがあり、あれっ?と思った覚えがあるが、次の料理を運んできた女将さんはそれまでと変わりなく、翌朝もにこやかに送り出して下さった。

4月、お宿から電話があり、ご主人が亡くなられたこと、今後は朝食のみになるが、どうしますか、との確認だった。常連さんに遠慮して、連休の陶炎祭はいつも日帰りだったが、その年は初めて予約を入れていた。

やはり、あの夜、体調の異変があったのか。そぶりも見せなかった女将だが、いつも最後はデザートを運んでくださるご主人が姿を見せなかったのだから、情けないほど呑気で迂闊な客だった。

5月、お線香をあげさせていただいた後、改めてお悔やみの手紙を出すと、ご母堂の大女将から達筆の返信があった。

     ✉️…学生時代からヨットが好きで、家に帰ると暇さえあれば、大洗まで出かけていました。商売の方も一生懸命やるので、文句も云えませんでした。一昨年は15日間も合宿して一級の資格を取ったのに、あまり乗ることもなく逝ってしまいました。…  嫁が明るく頑張ってくれるので、私も引きずられて老骨にムチ打って付いていく始末です。83才、何の変哲もない田舎料理しか出来ませんが、誠心だけで足らざる処を補っておりますので、ご容赦くださいませ。どうぞ又お出掛け下さい。お待ち致しております。…✉️

小名浜に嫁がれて、双子の息子さん達が生まれた後、船員だったご主人を海難事故で無くされ、ご実家に戻り、お宿の切り盛りに加られたと、伺っていた。シェフが海に惹かれたのは、幼い頃過ごした海と、父上との記憶だったのかも知れない。

今度は50代の若さで息子さんに先立たれ、どれほど気落ちしておられるかと思われたのに、凛とした、心情溢れる、胸を打つお手紙だった。

「医者からの警告を、家族に一言も告げず、自分だけの胸にしまって逝ってしまって」と女将は嘆いておられた。息の合った、お似合いの、素敵な御夫婦だった。

その後も折々に笠間を訪れたが、やがて諸事情でしばらく足が遠のいていた。

一昨年、ふと笠間に行こうと思い立ち、思いがけずお宿が廃業していることを知る。

春、久々に笠間を訪れた。田中嘉三記念館を訪ねたのは数十年ぶりだった。画家の未亡人はすでに他界され、ご子息が管理しておられた。初めて笠間に行った日、上州屋さんまで車で送ってくださったあの方だ。勿論覚えてはおられない。

お宿のご家族の消息を伺うことが出来た。大女将は亡くなられ、女将は今、筑波の娘さんと同居しておられるとのこと。会うことが叶わないのは残念だけれど、お元気であれば何より。

現館長さんは、上州屋さんの双子のご兄弟とは同級生で、ご近所で育ち、3人で悪さをしては、いつも大女将に叱られていたらしい。大女将からは"三馬鹿"と呼ばれていた、と苦笑しておられた。

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田中嘉三氏の日本画には、未亡人による、達筆の手書き文が添えられており、描かれた当時のエピソードには、愛情と敬意が溢れている。記念館を建てる際には、経費削減の為、柱などは、お子達も総出で木の皮を剥ぎ、磨き上げたとある。

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記念館の看板娘・ルナ。人懐こく、足元にチョロチョロ寄ってくるが、手を伸ばすと逃げる。触られるのも抱っこも嫌い。手渡しで餌を食べるのはご主人のみ。広い庭にも出られるのに、館内が大好きな忠義者は、今年3歳になった。

長閑だった山里は、バイパスで分断され、観光客の車の往来には便利になったけれど、かつての心和む風景は、今や見る影もない。記念館の周辺もすっかり様変わりしているが、整備された道の向かいには、陶炎祭が始まった空き地がそのまま残り、あの頃本当に楽しかったね、と思い出話が出来たのは、ほろ苦くも楽しいことだった。

今日のお昼は辛味大根のぶっかけを。I氏の打つ細麺は、10割とは思えない喉越しの良さ。

かつて陶工さん達が舌鼓を打った一階の広い座敷は、絨毯を敷いてテーブル席になっているが、しつらえも器も、お宿の雰囲気を忍ばせる。

地元の誇りであった上州屋さんの建物が使われていないのを残念がって、旧知のI氏に仲立ちをしたのが、あの粉引の作家、なずな窯の吉村昌也氏だった。蕎麦を盛る粉引の皿や片口のつゆ入れも吉村氏の提案とか。どおりで、お宿の空気がまだここで生きている。I氏も幾度か投宿されていたそうだ。本当に多くの人に愛され、廃業した今も大事にされているお宿なのだ。

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美味しい!お酒が解禁になったら、今度はゆっくり蕎麦懐石を予約して訪れよう。

と、思っていたら何と!大家さんの都合で来年の更新不可となり、年内に移転予定とか。

…もしや?

あの時女将のお腹にいた息子さんが料理修業を終えてお宿を再興?息子さんを知る館長さんは、「◯◯ちゃんがやるかなあ…」と首をかしげるが。

観光業界も飲食業界も厳しい状況が続く今、非現実的なことはわかっている。私の勝手な願望を込めて、成り行きを見守りたいと思う。







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