入院1日目 10/02
片耳が聴こえなくなった。
9月頭に行われたサマーアイ夏目くんのイベントにneco眠るで出演、その後思いっきり体調を崩し、深い咳と痰が止まらない状態に、床に伏しながらできる範囲で作業する生活が続く。9月後半になるにつれ調子良くなっていくものの、左耳の調子が悪くなり、耳鳴りと聞こえづらさを感じるようになる。当初鼻のかみ過ぎかと思っていたが、9月28日に行われたうめきた公園neco眠るフリーライブあたりでさらに酷くなる。一応行っとくか、と9月30日に近所のクリニックで診てもらうと、突発性難聴と診断される。「うちでは診れないくらい重症なので、紹介状書くからもっと大きい病院に行け」と言われ、翌日大きい病院に行くと即「入院です」とのことで、10月2日入院当日の現在に至る。
10:30に病院の入院センターへ、パートナーに付き添いで来てもらう。入院についての説明を受け部屋へと案内される、10階の端っこの4人相部屋。ステロイドの点滴打ちながらお昼ご飯になったがカトラリー類を忘れてしまったので売店まで買いに行く。バタバタしつつ食べ終わっても飲み薬やアレルギーのことなどひっきりなしに説明を受け、もっと暇なんかなと思ってたけどなかなか落ち着く暇なく、15時頃にようやくゆっくりできた。
カーテンの向こうの他の患者さんと看護師さんとのやり取りを聞いてると仲が良い?ように思う。タメ口で喋ってるし、病院ってもっと冷たい感じの記憶やったけど今ってこんなもんなのかな。
夕食時、ふとヴィパッサナー瞑想では食事の最後に漬物で皿を拭って綺麗にしていたことを思い出した。
ヴィパッサナー瞑想という泊まり込みでコミュニケーションや能動的行為を排除する瞑想が京都の山奥で行われていて、大学の時にひとりで参加したことがある。携帯など荷物は全て参加時に取り上げられ、食事・入浴・休憩時の散歩・排泄・睡眠以外の能動的行為が禁止(他人との会話はもちろん、休憩中ボディパーカッションしてても怒られた)され、10日間閉じ込められた状態で瞑想しまくるという修行。山塚アイさんが参加した時は3日目で脱走したという都市伝説があるけどほんまなんかな。いくつか思い出がある。事前に豆アレルギーを申請していたにも関わらず毎食ごと豆が大量に供され、会話禁止なのでそれを指摘することもできず、かなりひもじい思いをした。参加費は投げ銭で他の参加者はいくらか笑顔で払っていたが、そもそも自分は当時極貧で「10日間タダで生活できる!」という超不純な動機で参加していたため「俺も払いましたよ〜」的な雰囲気出しながら一銭も払わず周りをウロつくことしかしなかった。禁欲、それに伴う禁煙などを目的にしている参加者がほとんどだったのに対し、自分はそんなノリだったので、帰りの最寄駅に着いた途端おもむろに自分が煙草を吸い出したら周りがめちゃくちゃ引いてたのが面白かった。
昔は超病弱で入退院を繰り返していたが、なんせ小さい頃なので、入院に対して鮮明な記憶がなかったが、食べ終わった夕食のお盆を下げ台に持っていった際「この感じは…!」と海馬に電流が走り、小さい頃ため込んでいた入院時の病院の景色や雰囲気とかが急にフラッシュバックした。
身体が元気な分、小学生の頃のギブス装着してイキがれる感じと同じく悲壮感はそれほどないけど、やはり将来のことを考えるとリアルにならざるを得ない。耳治るまでは音楽の作業出来ないし、そもそも治るのか、治らなかったらどう生きていくのか、単純に稼ぎはどうなるのか…。真っ白のシーツの上で考えている。
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