微熱の初期衝動

関東在住の20代/「微熱さん」と呼んでください/正と負の感情の起こりを短く綴っていきま…

微熱の初期衝動

関東在住の20代/「微熱さん」と呼んでください/正と負の感情の起こりを短く綴っていきますので、何卒。/Xではここには載せていないポエムも載せています

マガジン

  • 微熱のエッセイ

    ポエムにまとまりきらない、日々の想いを徒然なるままに書き溜めていきます。

  • 微熱のポエム

    私のポエムをかき集めたマガジンになっています。 過去作から一気に流したい人、フォローお願いします。

最近の記事

何も“捨てられる“のは「女性」だけでないのですよ。

若かった10代。 一時期、マッチングアプリを使って何人かの人と会って、カフェに行ったり、ご飯を食べたり、はたまた家に行ったり、その先まで行ってしまったり、といったことがありました。 このようなマッチング系の「出会い」は、どちらかというと女性側の苦い体験が語られることが多いように思われます。 俗っぽい言い方で、あまり使いたくはないのですが、いわゆる「やり捨て」というやつです。 しかし、私は男性でしたが、彼女らのいう「やり捨て」に何度か遭いました。 そう、「男性も女性に“

    • あの子にとっての自分はどんな彼氏だったのだろうか。

      元恋人のInstagramが更新されるたびに、少しだけ胸がキュッとなる。 なぜか。 私がお付き合いしていた頃、その元恋人はSNSに私とのデートなどを思わせるような投稿は一切していなかった。 しかし、お別れをしてしばらくして、元恋人は新たな彼氏を作り、いわゆる「匂わせ」のような投稿をするようになった。 あの子は、私との関係を大っぴらにはしなかったのに。 なぜ。 正直、悔しい気持ちになってしまった。 自分の存在は恥ずかしかったのだろうか。 友人に紹介できないような存在だっ

      • 「オカマにだけはならないでくれ」と言った父

        幼い頃、いわゆる「オカマ」と呼ばれるタレントが面白おかしくテレビに出てくるようになった時のこと。 父が露骨に嫌そうな顔をして、私や弟に「頼むから、あんなオカマにだけはならないでくれ」と言ってきたことがありました。 特に、私は長男だったため、念押しをするように強く何度も言われました。 その時は、「別に自分は男として生きているし、女の子のことが好きだからな〜」とそれほど重く受け止めてはいませんでした。 しかし、大学に上がり「LGBTQ+」の授業を受けて、「性のあり方ってこ

        • あの子に子どもができたんだって知ったとき、私はなぜかこう思った。

          中学生の頃に好きだった女性がいる。 その人とは「ちょっと話す異性」以上の関係になることもなかったし、中学を卒業して勇気を出して誘ったデートをやんわりと断れたほろ苦い経験がある程度の距離感だった。 彼女は名門私大の付属校へ進学し、おそらくその大学で知り合ったであろう男性と交際している様子を、たびたびInstagramに投稿しており、たいへん幸せそうだった。 そんな彼女は去年、妊娠していたようで、先日、無事に女の子を産んだことを報告する投稿がなされた。 その投稿を見たとき

        何も“捨てられる“のは「女性」だけでないのですよ。

        マガジン

        • 微熱のエッセイ
          20本
        • 微熱のポエム
          13本

        記事

          求められることを求める。そんな恋愛って。

          私はいわゆる「メンヘラ」と呼ばれるようなタイプの女性と交際する機会が多かった。 彼女たちは、常に私に向けて100%、いやそれ以上の愛を注いでくれて、私という存在を求めてくれた。 そんな彼女から「もっと連絡が欲しい」「もっと会話したい」「もっと手を繋ぎたい」などなどの要求に応えていくうちに、私はいつしか「求められる」ということに慣れてしまった。 「求められる」のが当たり前の感覚になり、そこに自分の存在意義を見出すようになってしまったのだ。 彼女たちに「求められる」ことで

          求められることを求める。そんな恋愛って。

          健康で文化的な最低限度の生活について

          タイトルにもある通り、私は、私たちは「健康で文化的な最低限の生活」を送れているだろうか。 私は怪しい。 薬を飲んで、生活リズムを整えて、なんとか”健康そう”な暮らしはできているかもしれない。 文化的と言われても、どのような生活が文化的かよくわからない。 ただし、好きな漫画を読み、たまに映画に行き、こうして文章も書いているので文化的といえば文化的かもしれない。 そして苦悶なのが「最低限度」という言葉。 一体どのラインを越えれば「最低限度」なのだろうか。 個人的には、今

          健康で文化的な最低限度の生活について

          「別れる」ということについての苦い思い出。

          高校3年生の時に、ひとつ年上のお姉さんと付き合っていました。 当時、私は第一志望が東大で、それに向かって猛勉強しており、その合間を縫っては、ひと足さきに女子大に入っていた彼女の元へ向かい、デートしていました。 その彼女は高校1年生の頃に付き合っていた彼氏に浮気されて、それ以来男性不信になり、やっと心を開けた男性が私だったようでした。 私もその事実が誇らしく、嬉しく思い、もっと頼ってもらえるように、なお一層、東大合格に向けて勉学に勤しみました。 そんな中、彼女の大学生生

          「別れる」ということについての苦い思い出。

          「別れる」ということについての身勝手な思い。

          社会人になりたての頃、お付き合いしていた人がいる。 そんな彼女に、特別大きな不満があったわけではなかったけれど、先を見据えるような相手ではないなと思ってしまったり、会うたびに、彼女が求める理想の「彼氏像」に応え切れていないのではないかと思ったりしてしまいました。 なので、付き合って8〜9ヶ月の頃に、「お別れしてください」と切り出しました。 そうしたら、何の引っかかりもなく「わかった、今までありがとね」と返ってきました。 そこで私は、こう思ってしまった。 「もっと引き留

          「別れる」ということについての身勝手な思い。

          微熱のポエム 013

          手段を目的化してきた人生なので、肩書きだけ人よりかは幾分かマシにはなったのですが、いかんせん、実践が伴わない。 学歴フィルターで面接は通っても、実際に仕事をしてみるとボロがたくさん出てくる感じ。 それならばいっそのこと、そんなハリボテは要らなかった。 ハリボテに助けられた回数よりも、ハリボテに悩まされた回数の方が多かった。 おかげで、無駄にプライドも高くなってしまったし、コンプレックスを抱くようにもなってしまった。 そんな私を裸で受け入れてくれるところはありますか。

          微熱のポエム 013

          「別れる」ということについて。

          去年、いきなり元恋人にXをフォローされ、ダイレクトメッセージが届きました。 お互いに全てのSNSをブロックして、もう交わることはないと思っていたのですが、何を思ったのか、その元恋人は連絡を取ってきたわけです。 付き合っていた期間は半年とちょっとくらい。 別れたのも3〜4年は前のことです。 お互いに大学生でした。 ダイレクトメッセージで少し世間話をしてから、改めてLINEを交換して、再開する約束をしました。 横浜駅で待っていると、そこには昔とあまり変わらない姿の彼女がい

          「別れる」ということについて。

          怠け者、此処に在り。

          この世にはどうしようもなく怠け者がいるものです。 かくいう私もそのうちの一人、いや、代名詞といっても良いかもしれません。 自堕落で生産性のない毎日を過ごしています。 仕事も業務委託で、毎日2時間くらい働くのがやっとなので、アルバイト並みの稼ぎしかないですし、仕事が終わった後や、休日は死んだように眠っています。 なんとまあ、勿体無い時間の使い方でしょうか、と自分でも思います。 けれど、真面目にエネルギッシュに働くことが私にはできない。 もちろん何度もチャレンジしてみま

          怠け者、此処に在り。

          いつ死ぬかわからないならばいっそ。

          人というものは、本当にいつ死ぬかわからないな、と不幸なニュースが流れるたびに思います。 善人が道端でいきなり刺されたり、交通事故に巻き込まれたり、あるいは災害の犠牲になったり。 そんな中、先日、私の祖父が他界しました。 結果的には病死で、85歳まで生きてくれたので平均寿命をまっとうした人生を送ってくれました。 しかし、体調を崩し、入院するまで、快活で飄々としていてとても元気だったので、それが入院して1ヶ月程度で亡くなってしまうとは、心が追いつきませんでした。 それく

          いつ死ぬかわからないならばいっそ。

          微熱のポエム 012

          「彼女」というものについて。 連絡すればすぐ会える関係だったのに、いつの間にか会うことが叶わなくなってしまったし、連絡すら取れなくなってしまった。 あれは刹那だった。 それに気付けず、その時はこれが一生続くのだと思っていた。 誕生日には「おめでとう」のメッセージを送ってくれていたのに、もう送ってもらえなくなった。 自分から突き放した人もいれば、突き放された人もいる。 でも、糸は繋がっていたじゃないか。 こんなにもあっさりと、ぷつんと切れてしまうのね。

          微熱のポエム 012

          終電まで遊ぶ勇気がなくて。

          私は終電に乗ってみたい。 終電を気にかけなければいけないほど、友人との遊びに、会話に没頭したいし、ひとり旅で星空に夢中になっても良い。 とにかく「終電」という選択肢が自分の中に入り込んでくる非日常を体験してみたい。 多くの友人は、大学生時代に経験するようだけれど、私にはその勇気がなかった。 終電に乗って恋人のもとへ向かうとか、終電まで飲み明かすとか、そういったことを経験せずに20代も終わりに向かってしまった。 30代でできないことはないだろうけれど、確実に翌日に響く

          終電まで遊ぶ勇気がなくて。

          微熱のポエム 011

          言葉は少なくてもいけないし、多過ぎてもいけない。 言葉選びのレシピがあれば、どれだけ多くの人が幸せになれることでしょう。 でも、レシピがあると、皆その通りに言葉を選ぶようになって、言葉の面白みが消えてしまうのかしら。 そう思うと、今のまま、各々が自分で必死に懸命に選んだ言葉で生きている方が面白いのかもしれませんね。 そりゃ、時にはいざこざも生まれるでしょうけど。 そこも含めて言葉であり、人生なのだから、味わい深いのではないでしょうか。

          微熱のポエム 011

          心は枯れるものです。

          最近、心が枯れていると感じています。 ワクワクしない。 楽しめていたものに心が動かない。 笑顔も少なくなった。 このように、心が枯れるときは不定期でやってきます。 この文章も、心が枯れているので、目の前にある言葉を拾うように何とか形にしている感覚です。 それに、心の潤し方もイマイチわかっていないのです。 あれやこれや試してみるのですが、どれもピンとこない。 そもそも、色々なことする気にもならない。 そんな状態が、心が枯れている状態です。 わずかなことで落ち込んだ

          心は枯れるものです。