びっくん

昭和45年(1970年)、神奈川県生まれ、神奈川県育ち。週末や休みの日にだけ、神奈川に…

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昭和45年(1970年)、神奈川県生まれ、神奈川県育ち。週末や休みの日にだけ、神奈川にまつわる思い出などを綴っている。

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最近の記事

【神奈川のこと105】エナジー・フロー(藤沢市/109シネマズ湘南)

故坂本龍一最後の長編コンサート映画「Opus」鑑賞。 よって、これを書く。 令和5年(2023年)3月28日、坂本龍一帰天。   最期のNHKドキュメンタリー映像は釘付ける。 以来、エナジー・フローは鳴り続ける。 そんな折、雑誌「ビッグイシュー」の記事はこの映画知らせる。 快晴の土曜、朝8:55の開始時刻に間に合わせるため、8:26辻堂駅到着。 観客まばら。 他の上映作品陳腐の極み。 全編モノクロ映像。 セリフたった一言。 鍵盤と残響、楽譜のめくられる神の

    • 【神奈川のこと104】ランドリー号に乗って=後編=(鎌倉市/笛田リサイクルセンター)

       西鎌倉に新しくできたカフェ「ヴァルマ」を出発した我々鎌倉リトルリーグ(以下鎌倉LL)同級メンバーの一行は、岩沢監督自宅 ➡ 龍口明神社 ➡ いんちゃん実家跡地 ➡ 手広中学校(旧クローバー畑)を経て、鎖大師(つまり青蓮寺)にて墓参。そして、練習終わりに毎回みんなで立ち寄った「だるまや」がかつてあった場所を、現在のセブンイレブン手広西店はたまたその隣の焼肉羅生門と特定すべきか議論しながら、最終目的地であるグラウンド跡地の現、鎌倉市笛田リサイクルセンターへとたどり着いた。  

      • 【神奈川のこと103】ランドリー号に乗って=前編=(鎌倉リトルリーグ)

        40年ぶりに当時の仲間が集い、想い出の地を巡った。 よってこれを書く。 昭和58年(1983年)、鎌倉市立手広中学校1年生の夏。所属していた硬式野球チームの鎌倉リトルリーグ(以下、鎌倉LL)では、最上級生チーム「イーグルス」の主将として最後の大会に臨むべく毎週練習を重ねていた。 昭和54年(1979年)、鎌倉市立西鎌倉小学校3年生の春に入団してから丸4年。この間、リーグ名は「西鎌倉LL」から昭和56年(1981年)に「鎌倉LL」へ変更となり、これに伴いユニフォームも一新

        • 【神奈川のこと102】平成、昭和それぞれの象徴(横浜市西区/インターコンチネンタルホテル、中区/ホテルニューグランド)

          生暖かい風が吹く1月最後の日曜日。昼下がりのJR桜木町駅に降りた。 よって、これを書く。 職場同僚の結婚披露宴に出席するため、インターコンチネンタルホテルに向かって歩く。 新郎新婦は共に在日韓国人。席次表を見ると、日本の苗字が圧倒的に少ない。女性の出席者にはチョゴリ姿が目立ち、美しい。そして、気になる司会者は、日本語と韓国語の両方で進行する。聞けば新郎の大学時代の先輩という女性。素敵だった。透き通った声で語る韓国語、今でも耳の奥に聴こえる。 横浜を舞台に溶け合う韓国文

        【神奈川のこと105】エナジー・フロー(藤沢市/109シネマズ湘南)

        • 【神奈川のこと104】ランドリー号に乗って=後編=(鎌倉市/笛田リサイクルセンター)

        • 【神奈川のこと103】ランドリー号に乗って=前編=(鎌倉リトルリーグ)

        • 【神奈川のこと102】平成、昭和それぞれの象徴(横浜市西区/インターコンチネンタルホテル、中区/ホテルニューグランド)

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        • 神奈川のこと
          106本

        記事

          【神奈川のこと101】4年ぶり開催(大和市/北京飯店)

          2023年12月と2024年1月、怒涛の2ヶ月が終わった。ここでちょっとだけ昨年のことを振り返っておく。 よってこれを書く。 平成22年(2010年)に、我が母校、東海大相模高校陸上競技部顧問の長澤 彰先生が退任するにあたり、今はもう消滅してしまった相模原市南区のラポール千寿閣にて、私の所属する24期生の前後2期のOBOGが集まって謝恩会を開いた。会の最後は、参加者全員、輪になって手をつなぎ、校歌を斉唱。その瞬間、何かが舞い降りてきて、この伝統ある母校陸上競技部のOBOG

          【神奈川のこと101】4年ぶり開催(大和市/北京飯店)

          【神奈川のこと100】聖なる夜に歯笛吹いて(京都市/西京極総合運動公園~鎌倉市/カトリック大船教会)

          まことに慌ただしいクリスマスとなった。 よってこれを書く。 この度初めて、母校、東海大相模陸上部の女子駅伝チームが全国高校駅伝大会に出場した。 場所は、都大路。つまり、京都である。 同部OBOG会事務局長で、母校の同窓会役員でもあるため、ちょっと体調を崩してはいたが、無理を押して応援に出かけることにした。 今夏、同窓会役員として、日帰りで阪神甲子園球場を訪れた時と同じように早朝、大船駅までカミさんに自動車で送ってもらい、京浜東北線で東神奈川、横浜線に乗り換えて新横浜

          【神奈川のこと100】聖なる夜に歯笛吹いて(京都市/西京極総合運動公園~鎌倉市/カトリック大船教会)

          【神奈川のこと99】大阪より持ち帰りし鎌倉=後編=(かまくら春秋)

          甲子園を後にした前編の続き、つまり後編を書く。 臨時阪神電車で梅田駅に到着。 8期上の先輩で、母校の応援団長を務めたクリスチャンの同窓会長に連れられ、梅田の地下街でランチをご馳走になる。 その後、同窓会長と梅田地下街の雑踏の中、お別れの握手。そのお姿が人混みの彼方に見えなくなるまで、感謝の気持ちで見送った。 さあ、一人になりましたよ。10年ぶりの大阪です。 時はすでに14時15分を回っている。 今日中に神奈川まで帰るため、あまり長居もできますまい。 「紫色、東梅田、紫色」

          【神奈川のこと99】大阪より持ち帰りし鎌倉=後編=(かまくら春秋)

          【神奈川のこと98】大阪より持ち帰りし鎌倉 =前編=(新横浜から阪神甲子園球場へ)

          今夏、甲子園球場を訪れた。 よって、これを書く。 8月12日の早朝4:45。湘南モノレールはまだ眠っていて、大船駅まで家内に車で送ってもらう。横須賀線と横浜市営地下鉄を乗り継ぎ新横浜駅に到着すると、同駅始発の新幹線のぞみ号で一路、新大阪駅に向かった。想像以上に車内は空いていた。ガラン、ガラン。 あの殺人的壊滅的猛暑の中、わざわざ甲子園だなんて。我が母校、東海大相模は、慶應義塾(塾高)に県大会の準決勝で「戦前の予想通り」コールド負けを喫したというのに。では文字通り陸の王者

          【神奈川のこと98】大阪より持ち帰りし鎌倉 =前編=(新横浜から阪神甲子園球場へ)

          【神奈川のこと97】行きつけの酒場(藤沢駅南口/スケアクロウ)

          ああ、3年半ぶりに訪れた。 よって、これを書く。 平成29年(2017年)から3年間、みっちり通ったバー。その名は「スケアクロウ」。 藤沢駅南口を出て徒歩2分、江ノ電の藤沢駅やカトリック藤沢教会のある界隈。ビルの階段を地下に降りれば、その奥まった木製のドアの先に、めくるめくスケアクロウの世界は広がっている。 粋なマスター。そして、カウンターの中でマスターを手伝う女性たちの個性が楽しい。やっこにみーたん、そしてくるみさん他。 その一人やっこは地元、西鎌倉小学校と手広中

          【神奈川のこと97】行きつけの酒場(藤沢駅南口/スケアクロウ)

          【神奈川のこと96】秋にまた行きたくなる映画館(藤沢市鵠沼海岸/シネコヤ)

          すこぶる忙しかった7月が終わる。 その終わりの記念に、映画を観に行った。 熱中症警戒アラートが発表されて、家から一歩外に出れば、殺人的な暑さが襲いかかるというこの異常事態の中、日焼け止めクリームを塗り、日傘を手に出掛けた。 よって、これを書く。 まず徒歩8分のイワサワランドリーへ寄って、スーツのズボンを2本預ける。シャッターがまだ半分閉まっていたので、待つべきか行くべきか3分ほど逡巡していると、「あら~ごめんなさいね~」と、ここで働くマミさんは小中学校の一つ上の先輩。「

          【神奈川のこと96】秋にまた行きたくなる映画館(藤沢市鵠沼海岸/シネコヤ)

          【神奈川のこと95】つわものどもが夢の跡(横浜市神奈川区/三ッ沢公園)

          5月中旬、三ッ沢公園陸上競技場にて神奈川県高等学校総合体育大会、つまり県高校総体、いわゆる一つのインターハイ予選会最終日が行なわれた。 我が母校、東海大相模高校の陸上競技部OBOG会を12年前から主宰しており、コロナ禍も去って、4年ぶりの観戦に訪れた。 よって、これを書く。 気持ち良く晴れた日曜の朝、しっかり朝食をいただき、食後のコーヒーと共にラジオでクラシック音楽を流しつつ、ちょちょいといくつかの用事を済ませると、動きやすい格好に着替えて、「行ってきます」と軽やかに妻に

          【神奈川のこと95】つわものどもが夢の跡(横浜市神奈川区/三ッ沢公園)

          【神奈川のこと94】1992.3.23 "Love is here"(横浜市中区/神奈川県民ホール)

          Dear My Friend、 思いも寄らぬ素敵なギフトが届いた。 よって、これを書く。 平成4年(1992年)3月23日の神奈川県民ホールには格別の思い出がある。 "See Far Miles Tour PartⅠ 1992"と題した佐野元春 with The Heartlandの3ヶ月にわたるライブツアー。 それは昭和55年(1980年)にレコーディングアーティストとしてデビューした佐野元春が、会社を経営する父の逝去により、その会社の清算のため一年間音楽活動を休

          【神奈川のこと94】1992.3.23 "Love is here"(横浜市中区/神奈川県民ホール)

          【神奈川のこと93】信仰なんてラララララ(鎌倉市/カトリック大船教会)

          教会委員長となって2年目が始まった。 よってこれを書く。 昨年、カトリック大船教会の委員長となり、「一丁やったるか」なんて感じで、春、夏、そして秋口までは割と自分のペースを保ちつつやれていたように思う。この教会委員長、別称で「信徒会長」とも言うらしい。鎌倉市立手広中学校の二代目「生徒会長」だったから、まあ似たようなもんだ。ただ、「こんな調子で行くわけないよな~きっと」といつも頭の片隅には不安があった。 11月に入った辺りから雲行きが怪しくなってきて、いよいよ呑気ではいら

          【神奈川のこと93】信仰なんてラララララ(鎌倉市/カトリック大船教会)

          【神奈川のこと92】森下典子さん(横浜市保土ヶ谷区/かながわアートホール)

          ついに会うことができた。 よって、これを書く。 先日、保土ヶ谷公園内にある「かながわアートホール」にて、映画「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」のDVD鑑賞会があった。そして上映後には、原作者の森下典子さんが登壇してのお話しがあった。 森下さんは想像していたよりも、うんと気さくで明るく、愉快な方であった。お話しを聴いていて何度も膝を叩いて笑ったし、へぇ~と感心した。そう考えてみると、なるほど書かれている文章からいつも感じ取ることのできる、あの森下典子だったな~と思う。

          【神奈川のこと92】森下典子さん(横浜市保土ヶ谷区/かながわアートホール)

          【神奈川のこと91】ファミリーヒストリー(相州鎌倉御用邸前通り&横浜市中区山手町)

          あれから150年が経った。 よって、これを書く。 明治5年(1872年)3月下旬。 一人の男が当時の英国領アイルランドから、日本にやってきた。 愛する家族を祖国に残し、35歳での単身赴任。 彼は、時の明治政府からの招きに応じて、電信技術者として来日したいわゆる「お雇い外国人」の一人である。 その後、逓信省(現在の郵政省)の電政顧問として、日清日露の両戦役における軍事通信の確保や日米海底線敷設など、日本国の電気通信技術発展に45年に亘り貢献。「日本電信事業発展の恩人」と呼ば

          【神奈川のこと91】ファミリーヒストリー(相州鎌倉御用邸前通り&横浜市中区山手町)

          【神奈川のこと90】いすゞ天国(藤沢市/藤沢高等自動車学校)

          21歳の長男が運転免許を取った。 よって、これを書く。 1989年(平成元年)3月。高校卒業直前から藤沢自動車学校に通い始めた。 鎌倉の自宅からは結構遠いし、もっと近場にいくつもの自動車学校があるにもかかわらず、なぜ、ここにしたのか? 恐らく、当時藤沢にあった丸井で、「電話優先予約ができるので早く取れる」のうたい文句かなんかにつられて申し込んだか、母校、東海大相模高校の同級生で一緒にアルバイトをしていたトシが通っているからという理由からであろう。 とにかく、毎日、小田

          【神奈川のこと90】いすゞ天国(藤沢市/藤沢高等自動車学校)