落ちこぼれだから感じる社会への疑問
落ちこぼれだから感じる社会への疑問…何をやるか?とかどうやるか?をもっと考えない?
学校も会社も与えられた課題を上手くこなせる人を育て、高く評価します。世の中とはこういうものです。
政府からすれば、国家維持のために働いて納税してくれる人が必要。会社からすれば会社維持のために働いてくれる人が必要。どちらもやってほしいことをやってくれる人を求めているのです。
ということは国家は与えられたことを黙ってやってくれる人を学校教育で育てますし、会社も与えられたことを黙ってやってくれる人を社員教育で育てます。
学校での専攻とか資格、転職時の実務経験も、やってほしいことができるかどうかを測る基準です。
だから何をやるか?やどうやるか?は所与のものとみなされ、それを粛々と滅私奉公して上限なくハードワークして実行できる人が優秀とされます。
だけど何をやるか?とかどうやるか?がおかしいケースが多いと感じます。そこに疑問を抱かないの?とすら思ってしまいます。
それとも疑問を抱いても権力が無ければ変えられないから諦めているの?現実にはこのケースが多いから、何をやるか?やどうやるか?にはタッチしないのでしょうね。幹部になるか独立しないとタッチできない部分ですから。
空気を読まずに何をやるか?やどうやるか?に口答えするのが、落ちこぼれにしかできない役割かもなぁ…なんて思いました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?