見出し画像

あなたの一票が「推し」を追い詰めマネキン化させている。経済至上主義が個人の発言権を奪い芸術を破壊している

世界は私たちの一票で作られている
国やメディアが扇動しても、私たちに選ぶ力がまだある
私たちの毎日の行動が世界を作っている

まだ我々はAI/ロボット化していない
その前提でこの記事を書きたいと思います

「本当に不味いなあ」
前から大変なことになってたけど
最近は人間の心をお金に変えすぎだなと...
そんなことについて書きました
ではタイトルの....

あなたの一票が「推し」を追い詰めマネキン化させている

これはどういうことかというと

日本の芸能界とか、発信者とファンの関係について言っています

本来ファンとは、芸能人とかアーティスト...配信者,youtuber,声優,アイドルを好きになって応援するわけです。ファンが応援したい「推し」を見つけ継続的に支援する。ただ、その応援方法によっては「推し」を追い詰めることもある

むしろ既に追い詰めている。ということを言っています。

どの点で追い詰めているのか?基本的に人権侵害というか、プライベートや人格にまで踏み込み追い詰めているのではないか?という部分に言及します。

推しは結婚できない
20才、30才になったら「結婚したいな」と思う人も少なくないのですが
基本的に芸能人やアーティスト、アイドルは結婚できません。
しづらい。

日本の場合は、アイドルに「処女性」「純潔」を求めるので結婚したり恋愛してると推さなくなります。芸能人も人気が無いと生きていけない、職業として成立しないので、人気の出る活動をします。つまり結婚しない。恋愛しない。恋愛を隠す。

私は仕事とプライベートは別だと考えています。仕事中に顧客から発注、注文があって妥当性があれば応じて働きます。でも業務外に顧客に対応することはありません。職業と自分の時間を別けています。休みの日、業務外の深夜や朝に顧客から「働け!」と言われても応じません。人間だから。休みが必要です。

しかしながら芸能人や声優さんは「プライベート」が確保されてません。極端に少ないです。テレビや公演、仕事時間外の自由時間に恋愛をするとファンに幻滅されます。業務時間外も他人に監視され、とやかく言われるわけです。業務時間外に結婚すると泣かれ応援を絶たれます。違う推しに変わってしまう可能性がある。結婚できない人がでてくる

人権侵害です。

逆にどうでしょう?自分が仕事外にずっとカメラで追いかけられたら。
親戚に「結婚しないのか?」と一度聞かれるだけでもストレスなのに、10000人くらいの赤の他人に結婚した途端色々言われるとしたら。

芸能人も、ファンも"結婚して産まれてきた"という事実を忘れてしまっています。「人気商売なんだ、有名税だろ」「競争社会なんだから一位になりたければ諦めも必要」と言う人もいると思います

でも海外の芸能人は恋愛を公開しています
恋愛をしながらの芸能生活は成立します

大丈夫です。あなたの推しは結婚しても生きていくことが可能です

「恋愛しててもプライベートは別、応援します!」
「人間なんだから結婚を選択しても良いと思います」

ファンの一人一人がそういう考えになって、結婚してても応援する。
人のプライベートに踏み込まない。ことが当たり前になれば、事務所も「結婚しても売り上げ減らないな...結婚してもいいんじゃないか」「恋愛したら相手との相乗効果で人気が増えた....恋愛してもいいんじゃないか」

変えていきましょう。あなたの行動で

「ファンが求めたわけじゃない、マスコミや事務所が決めたことです」
そういう意見もあるかと思います。


ただ、現状は芸能人...人間が結婚を選択できない状況なのは事実です。
あなたの一票で芸能人や応援する人の気持ちを解放してあげましょう。


ということで「あなたの一票が「推し」を追い詰めマネキン化させている」については解説しました。それと似た内容で次はもっと掘り下げた内容になります。


経済至上主義が個人の発言権を奪い芸術を破壊している

どういうことか?

経済活動を重視し、個人の感情や発言を抑える雰囲気を作る。
強く言うと「人よりお金を優先する」という現象。
最近多いクレームが起こったり炎上しそうな案件・人を避ける。

非常に危険です。よくある例

・薬物を使用した人物が作った作品はお蔵入り
・不倫した出演者のCMは取り下げ、賠償金が発生

人格と作品が結び付けられている状況です。
先にも書いた仕事プライベートが分けられていない異常さを感じる

ビートルズの作品は薬物を使用して作られてたとしても世界中で聞かれているし、お蔵入りしない。日本人が薬物を使用したらクレームを入れて作品や広告を取り下げさせる。個人のプライベートに何の関係もない他者が介入しまくる。

芸能人、俳優、ミュージシャン、クリエイター、漫画家、作家、映画監督。
芸術性の高い作品・娯楽を作り公開して我々を楽しませてくれる存在。

そんな文化創造の源、始まりである人間のプライベートに踏み込み介入する
・一度でもミスをしようなら徹底的に叩く。
・気に入らない発言をすると経済的に抹殺する。

危ない

芸能人・発信者としての人気が無くなって、職業として成立しないと生きていけないので自らの発言を縮小していく。クレームや炎上が起こらない発言を選んでいく。自粛ですね。

推しのところでも書きましたが、クレームや炎上させる一票が表現者の行動を制限していくのです。当たり障りのない人間が大量に生成される。

退屈な暮らしに彩を与えてくれる映画・漫画・音楽・小説・テレビ・etc...
それは繰り返しの日常と離れた世界に連れていってくれるから娯楽なわけです。毎日と「ちょっと違う」から気持ちが解放される。

「ちょっと違う」ものを作れるのは「ちょっと違った人」です。
変人まではいかなくても、自分の耳を切っちゃったり、話すのが苦手だから音楽で訴えてきた人だったり、コミニュケーションが苦手だから絵を書いて一生懸命伝えようとしてきた人だったり、踊りで、笑いで、演技で....

一般的な価値観とはズレている人が作って、世の中に公開すると作品になるわけです。「なにこれ!」見たことない!面白いっていう。日常とは違う感覚を提供してくれる。

それが娯楽。もっというと芸術。

なのでミスやエラーを抽出して晒して叩き無くしていくと、エラーや違和感が無くなるわけです。芸術性をスポイルする。つまり経済至上主義が個人の発言権を奪い芸術を破壊しているということです。既に無くなりつつあります。当たり障りのない芸術性が低いつまらない世界。

ミスやエラーを怒って「無くせ!!!!」という行動は、芸術性を無くす一票ということになります。普段から表現者・個人を監視し発言を抑制していく土壌を生成すると新しい表現が産まれなくなります。

「戦争中や監視時にそれらをすり抜ける新たな表現が産まれてきた!」と言う人もいるかもしれませんが、そう言う人はぜひご自分で作ってみてください。イチからゼロを生み出す作業は誰にも邪魔されない世界から生まれることが多いです。自分の場合は。

やはり他人の人生に介入しすぎです

異質なモノ、違和感のあるモノ、自分と違うモノにケチをつけ排除すると均質化が起こります。漫画やアニメ、映画が好きな方はぜひケチをつけないでみてください。クレームを入れたり、制作者の発言を操作すると作品がつまらなくなります。あなたの毎日楽しみにしてる作品が同じような作品ばかりになります。

働く時間が少なくなって、娯楽を楽しむ時間が増える未来だとしたら...
作品の多様性は重要になってきます。

今まで「ちょっと変わった人間が頑張って作ってきた作品」を解析しロボットやAIに新しい作品を作ってもらいたいですが、まだまだ人間が作る芸術作品はあっていいはずです。人間がロボットやマネキンになるにはまだ速いです。


そしてこの記事の重要な部分。

コンテンツ作りに関わる人。例えば出版社の編集者とか、発注する人。
こういった立場にいる方が、SNS上でクリエイター・表現者が変わった発言することを監視し、抑制する行為を見ましたが私は危険だと思います。

炎上を避け、経済を優先する

もちろん商売なので売れなくなったり、利益を生み出せないと仕事にならないのは理解できます。ただ、扱う製品が工業製品とかなら問題無いのですが、人の心を扱った商売ということを頭の片隅においていただけたらと思います。

人間に対して、クリエイターに対して「欠陥があったら工場ラインから捨てる」「病気が発生しないように科学的に調合された餌を家畜に与える」「病気しないように遺伝子を組み替える」行為と同じことを貴方自身が担っていること。機械になら良いのか、家畜にならなにをしてもいいのか...そういうことではなく、自分が行なっている検閲・監視は「生身の心がある同じ人間に対してなされている」ことを自覚してもらいたいのです。「私は仕事の為に表現者の心に影響を与えている」と自覚した上での監視と、そうではない無自覚の監視では残酷さが違ってくるので。

漫画を読む人も心がある人間。
漫画を書く人も心がある人間。
漫画を出版する人も心がある人間。

もし、漫画なんて全く好きじゃなくて100%仕事のためにやっている。
別業界から転職してきた。
そういう人は、監視したり強い立場から作家を操作しても良いと思います。
ビジネスだから。
家畜を扱うような感覚で。
株を売り買いするような感覚で。

感情はいらない。

でも、もし漫画が好きで漫画を読んで出版社に入った人なら
人間の心。表現者も人間なんだということを思い出した方が良いと思います。

これは漫画について書いてますが、娯楽全般に言えることです。
芸能人についても同じ。
音楽や映画、アニメ、映画、小説。

人間の心から発露される表現の創作物を扱うということ。
芸能人も人間なんだけどモノ化されてしまう。
ファンも、事務所も、企業も。

心を殺す。

音楽業界でも、この人音楽好きじゃないのかな?って感じる人います。
初めからビジネスでやっているんなら問題無いんですが、音楽に感動し、創作の喜びを少しでも知って業界に入ったんだとしたら「創作の喜びを殺す」「人間の心を殺す」ことをしないで欲しいです。私なら...無理だなあ


120%ビジネスならいいですよ


繰り返しますが「ちょっと違う」ものを作れるのは「ちょっと違った人」です。それは芸術の歴史が証明しています。変わった人を殺したり、矯正すると回り回って自分の受け取るコンテンツがつまらなくなります。特に現代は歴史を参照することも少なく豊かな文化が失われつつあります

人に危害を加える犯罪を抑止するのは良いと思います。ただクレームを入れたり、監視・介入することの影響を一度考えるタイミングだと思い記事を書きました。ただ残念ながらこの流れは止まらないと思います。

この記事を書いたことで心当たりのある人が読んだら反発しちゃうしな。
10%くらいは共感できることも指摘されたり攻撃されたと感じると、反発して正反対の考えにより進むことありますよね....すみません

こういった内容の記事を書いていて閃いたことがあります。


「なぜ日本人は人格と作品を紐づけるのか?」


①仮説ですが「論評・批評することが苦手」だから
かもしれない。和を尊しとして議論することも無く"なあなあ"に芸術について多様な知見を深める機会は無い

だから芸術は難しい。でも人の悪口なら言える
週刊誌も書いてる、テレビも悪口ばかり。

「楽曲を構成するギターの音色が90年代の影響を...」
「ルネッサンス時代のミケランジェロを彷彿とさせながら現代的な...」

とかいうコメントや呟きを見ることは少なく
「性癖に刺さる!」
「エモい!」
「好き!!!!!」
「このyoutuberは嘘つきだから嫌い」

ばかりなのは、簡単だから。良い悪いは教養が必要だけど、好き嫌いは誰でも言える。そして個人の感想です!と言って背景の説明や責任も追わなくても良い。楽。

②自我と非我の境界線が曖昧
日本に住んでいて自分の他人の境界線が曖昧だなと感じることが多いです。

「あなたいつ結婚するの?」→うるせー!
「大学はどこ出身?」→うるせー!
「誰々さんの所の息子さん...」→関係ねー!
「おまえ掃除してないな連帯責任で全員明日掃除!」→他人巻き込むな!
いろいろ介入しすぎだし、村感覚とか連帯感持たせすぎ。

はっきり言って、私の人生芸能人の人生は関係ないわけです。
とやかく言う権利も無いし、として会うことが無いのです。
売る人(芸能人)消費者(ファン)として、ライブや出待ちなどで会うことはありますよ。

もっと分けていきましょうよ




それでは最後に現代最高の芸術家とも言えるカニエウェストがNDA(秘密保持契約)を破ってレコード会社との契約書を全世界に公開したツイートを載せます。

カニエウェストは人格に問題があるかもしれません。
しかし音楽史に残る最高の作品を作り続けている。
それだけでは無くブランドを作り起業家としても影響力を持っています。

プラットフォーマー・大企業への反目とも言える契約書の公開。
先月に起きた大事件ですが

・クリエイターを搾取したら全世界に公開される
・芸術家を舐めんなよ
・人間はコントロールできない
・もうそろそろ大企業はヤバい(クリエイターが少し強くなってきた)

色々な見方ができて示唆があると思います
それでも....
「カニエウェストは人格に問題がある!もう曲は聞きたく無い」
「芸術家肌の作家は危なくて契約できない」
でしょうか

重要なメッセージだと自分は感じました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?