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人格と作品をセットに考える理由!問題解決

不倫した芸能人がTVに出演できなくなる
薬物使用で捕まった俳優の作品が消える
漫画家が問題発言して炎上する

SNSの発展と共に有名人・クリエイターが
キャンセルされることが増えてきた

業界から干される、活動を辞めさせられる

自分はどうして?
人を嫌いになると作品まで否定するのか

人格と作品を分けて考えられないのか
ずっと疑問だった

でも答えがでました!

この答えは所謂エビデンスや科学的な
データ・論理に基づくものではありません

一人の人間が考えた単なる予測です
ただ自分が悩んでいた問題の解決となる
回答ではあるので…
このトピックに興味のある方はご参照ください

結論から言うと

漫画や音楽を無料で享受していた世代
コンテンツにお金払う習慣が無いまま
育ち成人になり社会に参入してきた

加えてプロとアマの垣根がなくなり
クリエイターが増えて作品が増えすぎた
また消費者に迎合する作家が増えた

性格の悪い・変わった意見を言う
クリエイターがいなくなっても
他の作家の作品で楽しめる[代替]

「良い/悪い」ではなく「好き/嫌い」
で判断し批評という概念も嫌煙された
結果プロとアマを判別できなくなった

クリーンなクリエイターが経済的に残り
人格に問題あるクリエイターが少数派へ
結果、人格に問題があるクリエイターが目立つ


簡単に言うと
「漫画とか音楽とか普通無料じゃね?」
「漫画村とかニコニコ動画でタダだったよ」
「なんでいきなりお金とるの?やばくない?」
「まあ君の絵なら1000円くらいかな」
「嫌なこと言う作家は無視しても良いよ」
「他に沢山良い作品あるし」

という人が増えた時代なんだと思う



世代や年齢で区別するのは分断が産まれて
好きではないけど解りやすく言うと

昭和  令和

昭和の人間が減り、令和の人間が増え
令和の価値観が増えてくるということだ

昭和の時代は
・プロが殆どでクリエイター数も少ない
・漫画や音楽はお小遣いで買っていた

故に
『DRAGON BALL』の絵や漫画は
鳥山明先生にしか描けなかったし

HUNTER×HUNTER』を休止したり
ラフな絵柄/背景ほとんど白で描くこともある
冨樫義博さんも先生だった

多少「ちゃんと描いてください」とか
意見は寄せられてたにせよ
「もう描かなくていいです!」
「他の漫画にします!」と言わず
リスペクトをして待っていた

限られたお小遣いから
これは買うべき作品か?悩みに悩み
お金を出して買っていた

少なくともあっても無くてもどっちでも良い
ということは無かった

例えば、鳥山明さんが一般的な考えとは
違う発言をされたり、
インタビューで過激な事を言っても
「作品をボイコットしよう!」
「掲載を中止せよ!」とは言わなかった

芸術家は少し変わった感覚を持った人だから
凡人には作れない変わった作品を産み出す
という認識が昭和にはあったから

そして、実際にボイコットして
ドラゴンボールが読めなくなったら
嫌だから言えなかった

漫画家が増えた今でも
鳥山先生や冨樫先生の描く絵は
他の作家に代替できるものだとは思えず
芸術品の域にあると私は思いますが…

そして令和との違いはもうひとつ

昭和の時代は作品の価値を担保する
出版社が存在し公開する作品を
選別していました

加えて作品の価値を語るメディアがあり
評論家という職業が機能していました

音楽もレコード会社が存在し
音楽評論誌も同様に機能していたのです

一定のクオリティーに達してるか確認し
アウトプットをコントロールする
ゲートがあったのです



一方、令和はインターネットが発達し
音楽も漫画もtwitterで公開できる時代で
素人もプロフェッショナルも並列に並ぶ

国民総アウトプットできる
カオスの時代

自分が好きなものを否定する批評は読まれず
良い悪い
で議論される機会も無いので
好き嫌いで作品が支持され可視化される

クオリティが高い!
後世に残す価値がある作品だ!
気持ちの良い作品では無いが残すべき

という視点で鑑賞され残すのではなく
この絵、好き!
この漫画気持ちいい
この作品嫌い
この描いてる人嫌い

加えて、
多くの人にいいね!されてるから
この絵は価値がある。
この曲は価値がある。

みんなが並んでいるから
美味しいのだろう。
きっと良いものなのだろう。
という流行に乗り遅れたく無い心理で
コンテンツの受動化は加速していく

ロジックよりも感情が優先される時代

ネガティブなことはインターネットに
書いてはいけないという価値観だと
当然批評や議論はシュリンクしていく

言い方は悪いがノイズ(作品)が増えて
作品の価値・作家のクオリティーが
見極め辛い状況に加えて….
ユーザーや受け手側が
"事物の是非や善悪などを判定する眼識"
批評眼を育てることを意識せず
好き嫌いだけを論じているので
価値ある作品がわからない/残らない
※おそらくこの否定的な文章も嫌煙される

このようなことを書くと
道具の進化とノウハウの可視化によって
作品を作りやすくなり全体のレベルが上がったため
コモディティ化しプロがアマチュアに駆逐された

と言う人が一定数でてくるが断言しよう
AIや技術の進化ではデッサンの狂いは治せない
・音楽の編曲/MIX/納品は訓練した経験と耳が必要

アート作品に必須の文脈やメッセージはAIや技術では作れない

作品のプリミティブな構造や、根幹となる芯は
お手軽に自動作成や、テクノロジーで作れないということ

人体構造を把握して描いた絵と、そうで無い絵
音楽を総合的に理解して作る音と、そうでない音
twitterに散らばっているから
是非鑑賞してみて欲しい



つまり、令和は"作品の良さ/悪さ"について語らない
故に作品以外の周辺について語ることになる

"あの漫画家はトークや配信もできる"
"大好きな芸人が映画を作ってて、多才!"
”私の好きな芸能人と仲良い音楽家だから好き”

まったく作品の良し悪しには関係ないけどな!

作品を語るには教養や知識が必要だし
他人と議論するには作品の根拠を塾考し
自分のセンスや鑑賞眼に自信が無いとできない

なので自然と人格にフォーカスせざる得ない
"あの人は良いこと言う"
"あの芸能人はダメなことしてる"
ということはワイドショーなどで論じられていて
テンプレートがあり言いやすいから



加えてテレビやメディアに出演する
人間のクリーン化

男性でもヒゲは脱毛して化粧水を塗り
肌を綺麗に保つ

2000年くらいから出てきた
「させて頂きます構文」
歌うたってます→歌わせて頂いております
出演しました→演じさせて頂きました
やりたくてやってます→活動させて頂いております

全ての言葉に「みなさまのおかげで」という意味の
「させて頂いております」で始まる

普段眼にする、耳にするアーティストや声優が
綺麗な言葉しか使わない

政治や世の中に否定的なことは一切言わないし
疲れたや、皮肉なんかも言わない

昭和の人からみたら潔癖
令和の人からみたら昭和の人間は清潔感が無い
ということになる

そんな綺麗な人間ばかり見てきた世代には
いきなりネガティブなことを呟きだす
クリエイターやアーティストには驚くのだろう

この点に関しては、不可逆で変わらない
そう感じている

世代交代は止められない

SNSにネガティブな事を書かない時代

今も世の中におかしいと思ったことを
おかしいと言い続けている人もいて
率直に素晴らしいと思う

しかし、令和以降の人間からしたら
「嫌なこという奴だなミュートしとこ」
くらいにしか思ってないと想像すると
批評は代償は大きい

子供の頃に形成された価値観は
なかなか変わらないと私は思うので…

「なんか批評って大事そうだな」そう思っても
幼少期から心の奥に埋め込まれた
「ネガティブなことは皆の前で言うべきではない」
「自分の好きな声優や推しはそんなこと言わない」
「無理して嫌な事と向き合うより推しだけでいい」

ブロックしよ

ていうことなんだろう


クリエイターが多すぎて
有り難みがなくなり
そこらへんにいるお兄さん・オジサンに
話しかけるような感覚で
「性格悪いあなたの漫画わざわざ読みません」
って言うことになるのだろう

クリエイターと受け手が対等
もしくは消費者の方が上のような感覚
「お金を出す人が偉い」という拝金主義もあって


自分は間違っても鳥山明先生や井上雄彦先生に
「ゲーム配信とか、トークしないんですか?」
とか言えない

漫画家は漫画を描いてくださっているだけで
ありがたい

ミュージシャンも曲を作ってくださってるだけで
ありがたい

むしろお菓子コーナーでオマケをつけすぎて
「おもちゃがメインでラムネがおまけ」
という本来のお菓子のクオリティーが下がり
競争力が働かなくなり消費者が損をする

それよりは専業に専念できる環境が良いと思うが

お菓子とおもちゃは「食玩」というセット扱いで
景表法違反ではないみたいなので

音楽と小説
漫画とゲーム配信
声優とダンス

なにか付属させて良く見せていくことは
法律で取り締まられることなく
増えてだろうと予想されます

全体的には
漫画自体、音楽自体、作品自体の
クオリティーが下がるというということ
※既に下がっている


またクオリティーが下がっていても
他のおまけで目が眩み気がつかない
という時代



これからは当たり障りのないこと言う
クリエイターだけが経済的に残り
多様性の無い作品ばかりになるでしょう
※テレビ番組とか既にそうで次はネットコンテンツも

自分は残念だと思うし
なんとかしたいとも思うが
止めるのは難しいと感じました

子供の頃に洗脳された、または教育された
意識を解くのは難しいから

そして令和世代からすれば洗脳でも
悪いことでも否定されることでも無い
良いことなんだと思う

自分も上の世代の価値観には
全く共感できないから
そのようにして人間は変わっていくのだろう
※素晴らしいと思う人の本は影響受けてる


これは仕方のないことだ!
そう思うと心の中がスッキリし
無理に対抗して
「世の中には批評が必要だ!」と
憤ることが無くなりました

無理だ。っていう諦め




絵師さんに「アイコンを無料で描いてください」
音楽家に「お金をとるなんて卑しい」
評論家に「批評なんていらねえ!」
なんで!?そんな酷いこと言えるの?
って当時は思っていたけど



そういった思考の人が出てくる背景を理解しました


音楽を無料で聞けた時代のツケ
漫画を無料で読めた時代のツケ
メディアがクリーンな好感度を重視したツケ

それらが全て合わさって
今の時代の価値観を作っているのだと


それは勝てねえわ
抗えない

なので自分は足掻くことは辞めました
その価値観とは距離を置いて作り続けます

ガチで向き合ったら喧嘩になるし
消耗した挙句お互い分かり合えないですから


いつの日か、後になって何人かでも
わかってくれる人が出てきたらいいな
くらいに思って活動していきます


今、過去の音楽が聴けるようになって
・10年前の音楽でも斬新で掘り返される曲
・10年前流行っていたけど全く聞かれない曲
ほぼ全ての漫画が読めるようになって
・古い漫画だけど、今でも読める漫画
・新しい漫画だけど古いと感じる漫画

ハッキリ分かれてきたように思います

タイムレスな作品が重要視され
のちに理解されるようになったので
長期展望で考えるクリエイターには
良い時代かもしれません

根拠もデータもありませんが
ひとつの考えとしてご参考頂けましたら
幸いです!

みなさんのご意見もお聞かせください

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