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エッセイ492. 引越しー2. 収納について

私は引越し後の数日間の片付けのあと、
(こんなに収納が少ない家なら、今持っている物に行き場があるわけはない)
という暗い思いに捉われました。

 先週まで住んでいた賃貸は、2畳ほど・天井までぎっしり物が入れられる物入れが、部屋の隣に漏れなくついていました。本当に助かりました。
また、和室には押し入れがあり、リビングに天井までの物入れと電話台、2つの部屋は5.3畳と5.5畳の狭さでしたが、それぞれ一つの壁面は作り付けのキャビネットと洋服箪笥でした。この作り付け家具で、この住まいに決めたぐらい気に入っていました。この家具類が、実際の部屋の広さを減らしていたとは思うのですが、とりあえず使わないものは、とりあえずその中に押し込んで、なかったことにすることができました。

で、今手元にあるのは、たびたびの引越しの際に大胆に捨てていった、その残り。いわば精鋭部隊です。どうしても、どうしても捨てられなかった物と感じてしまうものばかり。

子供達がもらったぬいぐるみや服、おもちゃ。その多くは、義両親や叔母たちの手作りです。棒の先に、振るとくるくる回るリボンのついたものは、無口な義父が孫娘めたち四人のために作ってくれたもので、見るたびに、少女たちがそれを手に庭を駆け回っていた情景、幼児だった次女が大きく遅れて追いかけていったことなど、目に浮かんでしまうわけです。
すすす、捨てられません。
これも執着だとわかっているのですが。

大量の書類。
相続の際に役所や行政書士さんとやり取りした書類や、年金・税金関係。
書き溜めた日記や家計簿、何十年にも亘る日本語授業の記録。もはや博物館入り必至の昔の日本語の教科書・・。

よく、箱の中にあるものは、封をして3ヶ月で使わなかったら、要らないものとして捨てて良いとは、いろいろな片付け本にありますが、3ヶ月は流石に不安なものの、30年前の家計簿や日記ってどうなの?
私以外見る人は絶対いないのに、私も、見たことないよね!
・・自分に突っ込んでみたりします。

ああ、私がうんと偉い人だったらよかった。
そうしたら、私が残したガラクタも、なんかこう研究資料として、記念館とかに納めてもらえるのではないでしょうか。誰も見ないとは思うけど。


ネガティブな気持ちになっているときは、思いも沈みがち。

なので、引越し前にはまだまだ元気いっぱい、

(ああもう時間がないから、これ全部新居に持って行っちゃって、
引っ越してから のんびり、いっぱい捨てようっと☺️
引越したらあとは、なんの締切もないもんね!)

なんて余裕をかましていたのは忘れていました。
が、今日は幸いに、そのことを思い出しました。
それで、「すぐにあれもこれも捨てなければ!」
と思い詰めていた気持ちが、少し軽くなったのは確か。
箱の間に座り込んで、本を読む余裕も少し生まれました。
いやいや読まない読まない。

この度私は、今まですごく使いにくかった本箱を、ジモティーで欲しい人にもらってもらい、床から天井までの本箱を買う予定です。
奥行きは、A4のファイルや日本語の教科書が入るものにしたくて、そうなると全巻揃った「ごくせん」「ハチミツとクローバー」「3月のライオン」その他の大量のコミックも入るはず。
なんならサボテンとかも置けるかもしれません。
今から楽しみです。
しかしもちろん、そこまで到達するためには、箱を開けては所定の位置に収めるということを、延々としなければなりません。

ところがこれがなかなか大変です。

私は腰痛持ちなので、重いものは持たないことにしています。
だから、引越し屋さんが3段とか4段に積んでいってくれた箱を、夫に頼んで2段組にしてもらいました。
それで、部屋全体床を埋めた2段の箱の間を、カニ歩きすることになりました。
今仕事をしている部屋の、どこにどういう向きで座っても、箱が画面に入ってきます。
荷解きは、自分に一番近いところにある箱からアプローチして、一箱開いたら、今度は床に座ってその下から出てきた箱を開ける。
その繰り返しをするつもりでした。
しかし、出した中身の行きどころが、前述の通り まだありません。
中途半端に外に出したものと、出せなくて箱の中に残した物がじわじわと別の箱の中身と混ざっていきます。
それに対して、その新しい箱の中身のリストも書き換えていく。
自分からわざわざコトをややこしくしていく私です。
几帳面なのだか、手順が悪いのか、自分でもわかりません。
逃避のためにこのようにブログを書いたりしています。

続きます。


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