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もう少しで幸せになれそうな「辛」

先月の末(2024年4月28日)、詩画作家の星野富弘さんが、呼吸不全のため天国へ旅立たれました。

星野さんをご存じない方のために、星野富弘美術館(熊本県芦北町)のウェブサイトにあるプロフィールを引用させていただきます。

■1946年、群馬県勢多郡東村(現みどり市東町)に生まれる。群馬大学教育学部卒業後、中学校の体育教諭になるが、クラブ活動(器械体操)の指導中、模範演技で空中回転したとき誤って頭部から転落。頸髄けいずいを損傷。首から下の自由を失う。入院中、口に筆をくわえて文や絵をかきはじめる。前橋で最初の作品展を開く。退院後、雑誌や新聞に詩画作品やエッセイの連載を始める。

星野富弘プロフィール

星野さんの故郷である群馬県みどり市にも姉妹館である富弘美術館があり、そちらのウェブサイトには、こんな説明がありました。

■富弘美術館は、来館者の皆様が自由に気持ちを書くことができる「ひとことノート」を置いています。そこには、たくさんの方が富弘さんへの感謝のメッセージを書いています。重い病を患っている方、人間関係に苦しんでいる方、将来に悩んでいる方、様々な思いを抱えた方々が、富弘さんの詩画作品に共感し、励まされ、慰められた様子が、そのメッセージから感じられます。

星野富弘氏 ご逝去について

私もこの美術館へ行って、星野さんの作品に触れ、感動と励ましをいただいた一人です。4年前に、詩の一つを紹介するメッセージを書きましたが(noteでは未発表)、今回大幅に加筆したものをここに掲載したいと思います。




「すいせん」

幸せ という
花があるとすれば
その花の
蕾のようなものだろうか

辛い という字がある
もう少しで
幸せ に
なれそうな字である

(『速さのちがう時計: 花の詩画集』)

これは星野富弘さんの詩で、「辛」という漢字の上部に「一」が加わるだけで「幸」になるように、辛い心も何かのきっかけで幸せになれそうだと言っています。

何年も前に、群馬県にある富弘美術館で、星野さんがクリスチャンになった経緯を詳しく知り、美しい言葉や絵に心洗われる思いがしました。

中学校の体育教師として指導中に事故で頸髄を損傷し、手足の自由を失った時には、まさに「辛い」の極みだったことでしょう。その後、イエス・キリストを知り、希望を持てたからこそ、このような詩が生まれました。

星野さんほどではないとしても(あるいはもっと大変な状況にある方もいるでしょう)、私たちの人生には辛いことがたくさん起こります。それを取り除くことができる場合もありますが、そうでない場合も多くあります。

でも、取り除けないなら、「辛」という漢字に「一」を加えるように、私たちの人生に「一」を加えることを心がけることで何かが変わるかもしれません。

もう一度、やってみる。
もう一日、待ってみる。
苦しい時こそ、ひと笑いしてみる。
もう一頑張りもう一踏ん張りしてみる。
そう、もう一息かもしれません。

私たちを支え、力づけ、慰めを与える神が共におられるので、そのことを思い出せば、さらにもう一歩進んでみる勇気が与えられることでしょう。

主はみずからあなたに先立って行き、またあなたと共におり、あなたを見放さず、見捨てられないであろう。恐れてはならない、おののいてはならない。

(申命記31:8)

そして、聖書からの時にかなった一言には力があり、「辛」に一本の線を引いて、「幸」を生み出す助けとなります。星野さんも、そのようにして希望と幸せを見出していたことを覚えていたいと思います。

「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す・・・・・・」
(このことばを読み)私のうす暗い明日に、かすかな光がさし込んでくるような気がした。
今のこの苦しみは、苦しみだけに終わることなく、豊かな人間性や希望につながっているというのである。

(『星野富弘 ことばの雫』 
引用箇所はローマ5:3-4)

普通に考えたんでは、「貧しい者は幸いです。悲しむ者は幸いです」というのは変だなあと思うんだけど、それが実感として、そうだ、そうなんだなと思えたとき、なんかそのあたりから、幸せが増えたような気がしますね。

(『星野富弘 ことばの雫』 
引用箇所はルカ6:20とマタイ5:4)



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