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借金350万円からすべて完済していく記事です

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R6.2月1.~返済スタート
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借金返済における心理的障壁の克服

こんにちは、アイルです。 借金返済は単に金銭的な問題だけではありません。多くの場合、心理的な障壁が返済を複雑にし、ストレスや不安を引き起こします。今回は、借金返済における心理的障壁を克服するための具体的な方法を紹介します。 1. 借金に対する認識を変える借金を重い負担や失敗だと思うのではなく、成長のきっかけとして捉えることが大切です。これまで借金をネガティブなものとして見ていました。「自分は自己管理ができない」「お金の使い方が変」と自分を責めがちでしたが、借金返済をきっかけ

借金の総額が約350万

こんにちは、アイルです。 今月に入り自分の借金を計算してみると、350万を超えていました。 ちゃんと返済しているんじゃ…。と思いますが、妻への借金が増えていました。銀行やカードローンなどの期日がしっかりあるものを優先的に返済に回しています。妻へは負担をかけてしましますが、就職したら少しずつ返済していくつもりです。 先月はだいぶ支出をコントロールしていくことができました。 予算を少しオーバーしてしまいましたが、予想の範囲内でとどまりました。 極端な浪費も控えることができ、気持ち

2月の収支まとめ

R6年2月1日〜2月26日までの収支表を公開していきます。 予算は260,530円に対して 支出は305,790円でした。 食費→58,749円 日用品費→22,228円 医療費→14,360円 被服費→0円 娯楽費→7,871 子→21,632円 妻→3980円 私→14,310円 雑費→0円 その他→61,094 固定費→105,530円 固定費は水道、ガス、電気、家賃、駐車場代、サブスク代全て含む 2/26 返済 OO銀行 20,350円 ネット銀行 8,000円

家計管理と浪費癖への戦い:賢い支出のための工夫

こんにちは、アイルです。 毎月の支出入力と予算を立てるのはかなり苦労が入ります。嘘をつくことができないため、ありのままの金額を入力するしかありません。予算は妻と二人で相談して決めています。だいたい月25〜30万円くらい。お祝いや急な医療費などで出費が出てもいいように、このくらいの予算を立てています。買い物などその日に使ったものはレシートを見ながら金額を入力します。カテゴリー分けするのに、これは娯楽?それとも食費?と考えながら入力するのは大変です。お祝いだったら交際費、外食だ

双極性障害と向き合う:借金問題との葛藤

こんにちは、アイルです。 この状況で家族や周囲のサポートを得ることが重要だと気づき、妻と医師に相談しました。仕事を辞めて治療に専念し、抗うつ薬を変えるなどして気分を安定させました。その結果、突発的な行動もなくなり、療養中は生活リズムを整えて育児や家事を手伝い、幸せを感じることができました。 しかし、借金問題は解消されず、現実を受け入れなければなりませんでした。借金の詳細をノートに書き出し、返済計画を立てましたが、全ての借金を返済することは不可能であることが分かりました。現在

借金まみれの過去からの再出発:家計簿の見直しと生活改革

こんにちは、アイルです。 22〜25歳の頃、看護師として勤務していた私は、収入はあっても余裕はなく、貯金もあまりできませんでした。しかし、病気や休職、パチンコでの浪費などで貯金が底をつき、借金をするようになりました。その後、妻との同棲や結婚を機に固定費が増え、生活費が厳しくなりました。 パチンコや副業での浪費、ブランド品転売などで借金が膨らみ、最終的には300万円近い借金を抱えることになりました。妻からの資金援助で何とか生活してきましたが、自己啓発のつもりで月収80万以上を

自己浪費を抑えて家計を見直す:月々の生活費と予算の計算

月々の生活を計算したところ 食費30,000円 日用品費10,000円 被服費15,000円 娯楽費20,000円 医療費20,000円 療育費10,000円 妻 10,000円 私 150,000円 その他10,000円 家賃・電気・ガス・水道・通信費その他固定費 97,500円 計352,500円でした。生活費の42.5%は自分の消費で埋まっていました。 私の消費を15,000円で計算すると月217,500円で暮らせることが判明しました。家族三人では大体300,000円か

自己紹介:借金300万円返済への道のり

初めまして、借金300万円返済ブログを運営しているアイルと申します。現在29歳で、無職、双極性障害で療養中です。5ヶ月の子供と育休中の妻がおり、借金は230万円という、まさに役満状態にあります。しかし、この状況から脱出し、借金の重荷から解放されるために、ここから一歩ずつ前進していく所存です。 看護師時代と家庭の経緯 元々私は看護師として、病院や施設などで働いていました。妻とは友人の紹介で知り合い、結婚し、無事に子供も授かることができました。しかし、心療内科で適応障害と診断