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ドイツでの出産-出生前診断-

ドイツで妊娠・出産した。40代前半のことだった。

20-30代、特に大学院の進学を決めてから、自分が結婚をしたり、子どもを持つ、というイメージはあまり持ってこなかった。
実際、自分のことで精いっぱいで大した恋愛もできなかったし、大学院関連の友人や、講師・教師の同僚・知り合いも独身か、結婚をしていても子どもを持たない人が比較的多かったから、結婚や出産を身近に感じる環境でもなかった。

もちろん、かつての同級生たちで、結婚し、ママになっていった人も多くいた。けれど、自分の人生と重ねてどうこうということもなかった。

ただ、みんな素敵な出会いがあっていいなー、とは思っていた。私は決して、結婚や出産を否定しているわけではなかった。いい人に出会って、おつきあいすれば、その延長線上に結婚があり、出産があるんじゃないか、とは漠然と思っていた。
ただ、結婚や出産のために相手を探す、というつもりはなかった。特にすごい子ども好きというわけでもなかったし、自分の子が持てなくても、教師という仕事を通してたくさんの若い人の育成・教育に部分的にでも携わっていられれば、それでいいかなと思っていた。

ところが、40歳を過ぎてから、なぜか急に「やばい」と思い始めた。なにがきっかけでとか、何が「やばい」のかもよくわからないが、とにかく、私の中の何かが、限界が近づいていることを感じているのがわかった。わけのわからない初めての感情に自分でも戸惑った。でも、冷静に考えると、その私の焦りは、正当なものでもあった。個人差はあるものの、40歳を過ぎてからの妊娠は難しいとされているからだ。

でも、同時に私は悔しかった。「そろそろ・・・」という一般論にずっと抗ってきた自分。なかなか一般的なペースでは生きては来られなかったけど、人は人、自分は自分と思って自分が納得いくように生きようと、強がってもきた。
なのに、体はそんな私のペースには合わせてはくれない。まだ何も果たせていないのに、と頭では思っても、体は年齢とともに老いていき、私に一般的なペースに合わせることを要求してくるのだ。

ただ、それならば、これが私のタイミングなんだろうとも思った。
この時につきあっていた彼との間に子どもをもうけることに躊躇する理由はなかったし、彼に提案したら、すんなり受け入れてももらえた。
だから、妊娠がわかったときは素直にうれしかった。

高齢出産という意識はあまりなかった。自分の人生にとってのタイミングが今だっただけだ。それが一般的にいって高齢出産だというだけのことであって、特別に変わったことをしているわけではない。
ただ、これは私の妊娠・出産が順調だったから言えることなのかもしれない。

妊娠中、一度だけ、高齢出産を意識したことがある。婦人科の先生に、出生前診断を勧められたときだ。

私はそれまで全くそれについて考えたことがなかったが、いつもの定期診断で先生から、年齢が年齢だから、出生前診断をうけておけば?羊水検査なら、あなたの年齢なら無料だし、簡単だから、ととても気軽に勧められた。私も、そんなもんかな、ととても気軽に予約した。

でも、予約してからいろいろと考え始めてしまった。

出生前診断は、日本では道徳的な意味での議論が多いようだけれど、そこはひとまずおいておいて、自分に本当にこの検査が必要だろうか、ということを考えた。
具体的には、もしも検査の結果、この子に染色体や遺伝子異常が見つかった時、私はおろす、という選択をする気でいるのかどうか、を。
調べてみて、ハリをさして羊水を取り出すという処置方法も少し気になった。ごくわずかとはいえ、子どもの命をうばってしまうリスクはゼロではないらしい。

だから、
A.羊水を取り出す処置で子どもの命を奪ってしまう確率と、
B.この子に異常が見つかることの確率と、
C.40代前半で妊娠する確率

を考えてみた。
処置で子どもの命を奪ってしまう確率(A)は、40歳前半で妊娠する確率(C)よりも低いかもしれない(A<C)。でも、だからといって、なにかあったときに、確実にまた妊娠できるという保証もない。それに、今妊娠している子と次に妊娠した子は別の子だ。DがダメだったからEで、という話ではない。

次に、BとCを比べたとき、、、と考え始めて、なんだか違うなと思った。もちろん、障がいのある子どもを持つことの大変さをちゃんとわかっているか、と聞かれればわかってはいない。
でも、妊娠を希望してから実際に妊娠するまで(自然妊娠で)約1年かかったことなども考えると、何をさしおいても、妊娠したという事実が最も尊いんじゃないか、と思えたのだ。
それに、もうこの子は私の子だ、という意識もあった。

こうして、私は予約をキャンセルした。

この時、こうやって妊娠中にいろんなことを覚悟していくこと、これが母になるってことなんだなと思った。子どもができたら自動的に母になるのではなく、こうやって少しづつ母になっていくのだ。

ちなみに、夫にも相談したが、全く実感がわかないらしく、君の好きにすればいい、と言われてがっかり、、、。彼が悪い意味ではなく、いい意味で、私のことを思ってそう言ったことはわかっていたが、私一人に決断する責任を押し付けられた気がした。
女性は妊娠中にすでに母になりはじめるが、男性はそうではないということだ。同じペースで親になる準備をしろというのは、自分のお腹に命を宿すことがない男性には酷な話なのかもしれない。
母は強し、のはじまりだ。

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