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「寄り添い合う」事の難しさ ③ の続きです
前頁 ③ 目次
・正しい手話だけが「寄り添ってる!」の空気
・多分、ソコじゃない
・「手話を広めたい」とは言うけれど
・壁を乗り越えられない「挫折組」が大勢いる

この頁(④)目次
・高い壁をどうするの?低くする?高くする?
・どっちもどっちかもー(個人的感想)
 ▶手話できる民に対して思った事
 ▶手話できない民に対して思った事
・視野を広げて見てみよか?


高い壁をどうするの?低くする?高くする?

もーどうにも「手話の壁」って、高いですね!
この壁を乗り越えられない人がたくさんいる事に、驚きです。

手話をやるって、そんなに苦しい大変な事なんですか?!

(だったらそんなにハマってまではやりたくない)
・・・と、お話を聞いて、思ってしまいました。


どっちもどっちかもー。(個人的感想)

手話できる民に対して思った事 ▶▶▶

・「手話たるもの、こうであらねばならない!
と、ちょっと固執や、そういう風潮に流され気味に見えちゃうなー

・「色んな人・色んな思い・色んなレベルの人がいるんだねー」
と、もっと視野を広げたらイイのでは?

・手話に正解はないんですよね?
「こういう風に手を動かしたかった」って人に対して
なんとなくこんな事を言ってるのかなー?って見るチカラも
この先の時代、必要になってくるんじゃないですか?

・下手な手話は見てて気持ち悪いかもしれないけど
ソコを全部否定してたら、難聴ろう者さんの事を解ってくれる人も
少なくなっちゃうのでは?
いや、これまでの手話文化を崩すとか、間違った単語を野放しにしていい
とか、そういう事じゃなくて。

・けど、そう言いたくなる何か理由はあるんでしょう。
言うのは自由だけど、
手がスムーズに上手に動かないし、手話の事を少しずつ学んでる初心者さんのガンバル気持ちにも配慮してるか、
ただ「出来てない!そうじゃない!」って拒否してないか
一旦、落ち着いて見て欲しいな。

・今現在「そんなの手話じゃない!」って見える初心者さんの手話動画が
目に入ってきて、たとえ不快感を覚えて、一言モノ申したくなっても
それは「その人の手話の完成形」ではなく「進化途中」であって、
まだまだ伸びしろのある人の動画だと思いますよ。

その手話初心者さんの進化途中のタイミングで、正論を声高に言う事で
ヤル気の芽を摘んじゃうのは、どうかな~って思います。

-----

手話できない民に対して思った事 ▶▶▶

・誰が見ても幸福しかないフワッフワな子猫の動画ですら、
世に出せば批判する人がいる世の中で、気にしすぎでは?

・簡単に心折れるようであれば
無理に手話を続ける必要もないかもですよ?楽しくないんでしょ?

・わかるよわかるよ、ヤル気削がれるし、気持ち萎えるよね!
でも「手話への情熱」が
ソレ(ネット批判怖い)を超える事はないの
ですかね?
手を動かすのが怖くなっちゃう程度の情熱だったって事ですよね?

倦まず弛まず手話が出来ずに「辛いから、や~めた」ってなるなら
そりゃ、命がけで喋ってる「難聴ろう者さん」は失礼だな!って感じちゃう人もいるかもしれないし。
※ 
私のように「下手ですみません エヘヘ 楽しくやらせてもろてます~♪」と割り切るのもアリかもしれないですよ

・ナンでもカンでも否定的に捉えてしまってないですか?
難聴ろう者さんは、聴者と同じように言葉を操れない方も多いらしいから
キツく言われてるように感じても、
もしかして愛のあるご指導かもしれないし、「初心者への愛かも~♡」って
「愛あるメガネ」でもかけて、ご意見を見てみたらどうでしょ?

・それでも嫌だなって思う意見があったら、ドッジボールだと思って
直球を受け止めて投げ返してやろー!とするのではなく、
ボールを避ける作戦を取ったらどうですか?
その相手に対して「ボールぶつけようとしたわね!」って
過剰反応する事もないのでは?


視野を広げて見てみよか?

どちらにしろ
手話をやっている方々って「手話できる民」も「手話できない民」も
視野が狭くなりがち、という事は客観視してて、いつも思います。
手話の世界の中だけで、こうしてゴチャゴチャやってても
手話の世界の外側は、何~にも、変わってないのが現状です。(下図)

手話の世界を全く知らない聴者の現状。手話の世界の外側は、何にも変わってないです
難聴ろう手話に縁のなかった聴者は、「そんな国があるって聞いたことあるような気がする」というくらい「手話の国」は遠い。自分に関係ない遠い国の政治内情に興味がない。ってくらい、手話の世界に興味持ってないです

外の世界は変えなくてイイ、手話に興味がある人だけでやっていれば…
という考えなら、手話国の国民だけでやっていればイイんじゃない?
と思いますが もし、
よりたくさんの人に「手話・難聴/ろうの世界を知って欲しい!」
と思うならば、
まずは、手話をやっている方同士が、寄り添い合えるとイイですよね!

「手話できる民」は、手話の入口の壁を低くして、その壁の上から
初心者の手を引いて、壁を登るのを手伝ってあげたらどうでしょう?

その差し伸べてるつもりの手に、トゲトゲが付いてないかどうか
よーく確認してからお願いしたいトコロです。


私は、手話をやるなら、上に引っ張り上げるチカラは無いけど
その壁を低くする事はできる、望まれるならソレをやりたい!
とは思っているので

※私達は、手話ってモノを一度もやった事ない人をメインに、音楽一緒にやろー♪って、手話をベースにした振付を多用して、音楽動画を作ってるチームです。
(手話を教える場ではないので、手話を覚えたい人は、ちゃんとしたトコロで習ってくださいね!とお伝え・お願いしています)

目には見えなくても 気持ちは寄り添う方向で
手話できる民の過度なご意見は 参考にしても
「ある程度のスルースキル」を使って、そ~っと距離を置かせて頂いて
今までも これからも
「上を目指してる過程の下手な手話」も やっていこうかなー。。。

どんな事をするにせよ
お世話になっている 手話ネイティブさん・難聴ろう者さんには
感謝の気持ちは忘れずに 色々やって行きます。

お話を聞かせて下さったみなさん、本当にどうもありがとうございました!
こうした言い難い思いも、手話のわからない自分に話してくれて
恵まれてるなぁって、心底感じました!


「手話やってる方々が、内輪でゴチャゴチャやってても、
外の世界(難聴ろう手話に縁のなかった方々の世界)は
な~んにも変わってないと思いますので、

「手話やってる国」の国民の皆さんが、その世界の中でだけ
意見や方向性を整えたいのであれば、
私はこれからも今回のように、お外から観察してますねー。
お外の世界には何も影響はないので。

でも、もし
「外の世界にも、手話・難聴/ろうの 素晴らしい 素敵な 世界を知って欲しい!広めたい!」
と思っているならば

そういう時こそ、国民の皆が同じ方向を向かないでイイんですか~?
内を固めずにどうして、外の世界に出て行く事ができましょう?

先ずは、美味しいモンでも食べてホッコリ幸せになったトコロで、
寄り添い合いながら
国民の皆さん同士で、知恵を絞り、頭を捻り、心を砕いて
どうしたら良いのか建設的に考えてみたらどうですか~?

今、心が折れてるんです~というメンバーは
また気持ちが復活したら、いつでも待ってるから、一緒に手話歌やろうね♪


根深い話なので 誤解なきよう、丁寧に書いたら長くなりましたが
この感想レポートが、
どんな立場の人が、どっちに向いて行くにせよ

・今、手話を辞めたくなっている方々(手話できない民)
・初心者の手話が気に障って仕方ない方々(手話できる民)
それぞれにとって

少しでも視野が広がり、少しでも心が軽くなるように
お役に立てたらいいなーと思ってます。


連載目次一覧

「寄り添い合う」事の難しさ ①

・「寄り添い合おうよ」って言うけどさ・・・
・手話ドラマの影響か? 定期的に「NO!下手“手話”運動」が発生
・みんな、寄り添いたいと思ってる
・「寄り添う」と「寄り添い合う」の違い
・複雑 で 悪循環 な 世界

「寄り添い合う」事の難しさ ②

・時代は変わっているのに
・エスカレートする「否定(有言無言)の圧」
・「無意識」の善意と悪意が表裏一体の同調圧力
・その「無意識の正義」に傷付く初心者たち

「寄り添い合う」事の難しさ ③

・正しい手話だけが「寄り添ってる!」の空気
・多分、ソコじゃない
・「手話を広めたい」とは言うけれど
・壁を乗り越えられない「挫折組」が大勢いる

「寄り添い合う」事の難しさ ④

・高い壁をどうするの?低くする?高くする?
・どっちもどっちかもー(個人的感想)
 ▶手話できる民に対して思った事
 ▶手話できない民に対して思った事
・視野を広げて見てみよか?




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