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なんでも自分でやりましょ。〜フリーター、大学院を目指す【試験まで35日】

哲学の勉強は頭を使う。(当たり前だ。)ある程度 読んだり書いたりしたら、ちょっと休まないといけない。そうしないと、心身ともに調子が悪くなってくる。

脳が24時間、絶え間なく活動しているというのは有名な話だ。寝ている時も日中と同じだけのエネルギーを使って活動しているらしい。であるならば、哲学の後には別様な脳の使い方をして休ませてあげる必要がある。

そこで最近始めたのが、絵を描くことだ。知性を総動員させた後に、感性を総動員させる。といっても、絵心なんてないから、テキトーに落書きするだけだ。ほぼ下ネタの落書きとか、変なキャラクターを作って描いたりしている。

運動もしている。(休憩のために運動することをアクティブ・レストというらしいが、意識高そうなので不採用!)走ったり、筋トレしたりしている。昨日は坂道ダッシュして死にそうだった。

これが人間的な生き方だと感じる。どれが?知性・感性・身体をバランスよく使うことが。スポーツや音楽をやっていた人はよく分かると思うのだが、それらは身体活動でありながら、ある意味で知的であり、ある意味で感性的である。たとえばボールを目指すところに投げられないとき、投げるフォームを調整する。ちょっと早めにボールを放してみたり、腕の軌道を傾けてみたり。この試行錯誤のプロセスは多分に知的だが、かといって客観的なデータとしては認識されていない。腕をあと2°右に傾けて、という風な調整はできない。そうではなくて、「若干傾けてみたら上手くいった。この感じを覚えられるまで投げ込もう」という風に練習するわけである。

哲学とて、完全に知的な営みに終始するのではない。たとえばメルロー=ポンティという学者は、精神と世界の関係を、身体から紐解こうとした。また、勉強するにしても、「この哲学者が気になるな」とか「この議論のXXに違和感があるな」というふうに、感覚的な動機から哲学が始まることも少なくない。

身体・感性・知性を協働させるのが人間的だ。だから、色々なことを思いっきりやるのがいい。俺が人生で出会った中で一番頭のいい人はスゴかった。彼は俺の同級生で、高校生の頃から何ヵ国語も独学でマスターし(彼はコーランを原書で読む)、大学レベル(あるいはもっと?)の数学を勝手にやり、OSを自作していた。そんな彼は、歌がとても上手く、また、調理実習では圧倒的な料理の腕を披露した。(スポーツは苦手だったみたいだけれど。)頭の作りが違う、ような気もするけど、彼から学べることはある。色々なことをやること、色々な頭の使い方をすること。それが成長の追い風になって(また風だ)できることが増えていく。自分で色々やってみるのが大事だ。自分でやるというのが面白いし幸せ。幸せをやっていればレベルアップしちゃう。人間はよく出来ている。


哲学とフランス語を勉強しています。
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学費ピンチなのでお金ください🙏ナムナム。


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