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ボードゲームにおける複数の勝利ルートの意義(Multiple Paths to Victory)

本記事は、Anthony Faber氏が2019年11月9日にBGG上に投稿した「Multiple Paths to Victory」の翻訳である。

過去の記事だが、有意義なものを掘り下げている。重めのゲームにとっては、複数の勝利ルート(や戦略)があることはある種当然の話ではあるが、それを整理している記事は珍しい。複数の勝利ルートが生み出す面白さを言語化した記事となっているように思われる。

元記事は、以下のリンク先を参照されたい。ヘッダー画像は、みんなのフォトギャラリー機能を利用させていただいた。

この話題に興味があるけど、この文章量を読み解く気力がないって? そんなみんなのためを思って別のメディアを用意したよ! 「西フランク王国の聖騎士」の掘り下げたレビューを添えて、ポッドキャスト「Two Wood for a Wheat」での会話を聞いてみてくれ。

現代ボードゲームに対して評される大きな賛辞の1つは、そのゲームが複数の勝利ルートを用意していると指摘されることのように思われる。毎回、同じことをしていたいと思う人はいないよね。私が遊ぶ卓において最もよく聞く発言の1つは、"今回は、全く異なる戦略を試してみたいね!"であるように思う。

どんなゲームでも、様々な勝利への戦略から利益を得られると思う。「ブラッドレイジ」のように、カードドラフトを用いて様々な勝利ルート(ロキ(Loki)戦略、戦闘重視、探索重視、ラグナロク戦略等)を計画することができるコンフリクトゲームにもなり得る。「The Castles of Burgundy」のように、13個の異なる得点方法が用意されているフェルト的ポイントサラダのユーロゲームにもなり得る。プレイヤーごとにゲームのルール自体が異なる「ルート ~はるけき森のどうぶつ戦記~」や「Vast: The Crystal Caverns」のような情け容赦のないコンフリクトゲームから、ゲームのプレイのあり様を劇的に変化させるほど強力な固有能力を各プレイヤーが1つ有している「クランズ・オブ・カレドニア」のようなユーロゲームに至るまで、異なる勝利ルートを取り入れるための強力なゲーム開始時の非対称能力があるゲームにもなり得る。

もし、異なる勝利ルートが十分にバランスが取れていて、はっきりと異なっており、興味深いというものでなければ、ゲームは、説得力のある(compelling, ※魅力的な)分岐した(divergent, ※多様な)戦略を設けようとする努力を怠る可能性がある。

バランスの取れた勝利ルート

ゲームバランスに関する前回の話(※翻訳はここ)の焼き直しをするつもりはない。けど、もし、あるルートが圧倒的に強力な戦略だとしたら、必然的に他のルートの存在は無視されることになると言っておけば十分だよね。ほとんどのバランスの問題と同じく、この問題は、現実に存在するというよりも主観的に存在すると言いたいと思う。

マルコポーロの旅路」を初めてプレイする人たちは、旅が戦略として弱すぎると不満を言う傾向にある。コストがかかりすぎるし、市場に行って契約を達成しているだけのほうが、はるかに簡単に勝利するってね。この問題は、繰り返しプレイすることで消え失せる。

大部分のゲーム終了時の得点を得るために旅を用いるというよりか、自分のリソースエンジンを組むために旅が必要不可欠となっている。下手に旅をしたプレイヤーはひどい負け方をするけれど、上手に旅をしたプレイヤーは、ゲーム終了時の得点も獲得しつつ、少なくとも動かない(stationary, ※旅をしない)プレイヤーと同じくらい多くの商品を生み出す。そして、ほぼ常に優れた結果となるんだ(皮肉なことに、このゲームの実際のバランスの悪さは、北方の旅の経路が最も簡単となっていることなんだが、これを理解するまで長めの時間がかかる。)。

初めて「ブラッドレイジ」をプレイして、ロキ戦略を用いたプレイヤーにボコボコにされたプレイヤーが、こういった(※BGGの)フォーラム上で不当だと叫び声を上げているのを見かけることがあるけど、それと何ら変わりはない。だが、プレイし続けていれば、その対抗策(the counters)をすぐに覚えるさ。

とある著名なインターネット上の人が、「アンダーウォーターシティーズ」の昆布戦略が強すぎると声高に不満を述べていたが、ほかの戦略は、昆布戦略と同等か、それよりも強いことが判明した。そんな簡単にわかる明白な話ではなかったというだけだ。

弱点とは到底いい難いが、こういった傑作ゲームにおける"バランス"の問題は、うまく取り入れられた場合には、ゲーム内において複数の勝利ルートがどれほど素晴らしいかを示している。最初は、あるルートが最善のものに見える、その後、別のルートが最善のように見えてくる。プレイヤーたちがある方法でプレイしていると、1つの勝利ルートが強いものとなるが、別のグループとプレイすると、別の勝利ルートが支配的なものとなる。ゲームに対する探求と調査には見返りがあるものだね。

当然だけど、今の話は、勝利ルート間のバランスが常に取れているということにはならない。非対称能力は、異なる勝利ルートを生み出す自然な方法だけれども、ゲーム内のバランスを整えるのが最も難しい要素だろう。誰よりも多くのテストプレイをしているJamie Stegmaierに尋ねてみるといい。けど、「サイズ – 大鎌戦役 –」や「タペストリー ~文明の錦の御旗~」の固有能力は、はっきりと強さのレベルが異なっているよね。さらに、非対称能力は、選択し得る勝利ルートを拡大するどころか、制約してしまうという逆効果を伴う可能性がある。このことは、非対称能力があることによって、プレイヤーが固有能力を上手く使いこなすためにまさに1つの特定の方法でのプレイを強いられてしまって、各固有能力にまさに1つの勝利ルートしかないなんて場合に起こってしまう。好きか嫌いかは別として、「ケイオス・イン・ジ・オールドワールド」は少しこれと似ている。つまり、ゲームの繊細なバランスを破綻させながらこっぴどく負けたいと思わない限り、固有能力はタイプに逆らってプレイすることはできない。

はっきりと区別された勝利ルート

クレジット: Anthony Faber

複数の勝利ルートの違いが感じられない場合には、そのゲームは、多様な有力な勝利ルートを備えていないことになりかねない。

「西フランク王国の聖騎士」は、この弊害によってちょっと評判が悪くなってしまっていると言いたいね。このゲームには、勝利に導くための6つのコアアクションがあり、これらはゲーム終了時に大量得点をもたらす重要な能力スコアを向上させてくれる。修道士の任命、赦罪、壁の要塞化、駐屯、外敵への攻撃、外敵の改宗を含むこれらのアクションは、間違いなく異なるように思えるし、確かにそのメカニズムは少し異なっている。

けれども、これら全ては、つまるところ3つのコア能力の1つの前提条件という性質、特定のアクションにより上昇する異なるコア能力という性質、それに追加のリソースやワーカーといった一定のボーナスがもらえるという性質を有している。どれも、一直線の道筋を走る感じだ。あるものはAという能力が必要で、Bという能力をもたらす。別のものは、Bという能力が必要で、Cという能力をもたらす。さらに別のものは、Cという能力が必要で、Aという能力をもたらす。これって全く同じことの別バージョンだよなあ。

このゲームを擁護する人たちは、そのパズル感を楽しんでいると抗議するだろうし、それは私も同感だ。しかし、1ゲーム内で要塞化と攻撃に集中することが、任命と赦罪に集中することと大きく異なる印象を受けると言う奴はいないと思うね。ワーカーとリソースを用いて効率的にした人が勝利することとなる。そして、ある勝利ルートは別の勝利ルートととても似たプレイをするんだ。

このように、勝利ルートをはっきりと区別することができなかったことは、大方のポイントサラダ式のユーロゲームの欠点にもなり得る。得点するための多くの様々な道筋があるかもしれないが、それぞれの道筋で根本的に異なることをしていないのであれば、全部同じことのように感じてしまう。

興味深い勝利ルート

勝利ルートを分岐させるには、分岐することでゲームを更に良くなるために面白くて説得力のあるものにする必要がある。常々思っていたのは、「世界の七不思議」の欠点というのが、第2ラウンドと第3ラウンドで青いカードを収集することが非常に強力であるとともに、非常に退屈であるということだ。あらかじめ必要なリソースを獲得して、その後、得点カードを手に入れるだけとなる。緊張感や不安定な瞬間をもたらすからといって、科学をプレイする友人もいる。マジで青カード戦略をとって楽しんでるやつがいるなんて想像できないよ。

同様に、「ウイングスパン」において最終ラウンドで卵をたくさん産むプレイに関する不満は、バランスが取れていないからというところにはない。大抵の場合、終盤のゲームプレイとしてはベストなものだからね。その不満は、本当に退屈なところにある。このプレイを成功させるのに特別な能力は必要ない。たくさんの鳥さんたちを卵の列に置いておいて、卵を産ませる。そして、卵はもっと産まれる。さらに、卵が産まれる。利益が出る!

変化に富むからこそ、人生は楽しくなる ー モジュラーセットアップ

真に多様性があったり面白かったりする複数の勝利ルートを設けることに失敗したものをみていくと、複数の勝利ルートを設けることの意義を思い起こさせてくれる。それは、変化に富むということだ。毎回、面白いパズルや状況を生み出すためのね。

現代ゲームの多くは、複数の勝利ルートが目的とする変動性をもたらすものの役割を担うものとして、少し違った方法を見つけていた。それは、モジュラーセットアップである。毎回ゲームのセットアップを変化させることで、複数の勝利ルートが避けようとしていた決まり切った退屈な手というのを回避している。

あまりに多く語りすぎている私のお気に入りのユーロゲームである「マルコポーロの旅路」に話を戻そう。プレイヤーの固有能力とゲーム終了時の目標に加えて、ゲームボードが毎回劇的に変化する。マップ上のそれぞれの地点には様々な特殊能力がある。固有のワーカーの配置場所になったり、そこに旅した最初のプレイヤーがリソースの報酬を得たり、固有の収入が得られたりすることができる。多種多様なアクション場所、収入、リソース報酬があり、毎回、その全てがボード上の異なる場所に配置される(※毎回、セットアップが異なる)。変動性とユニークな空間的な構成(a unique spatial configuration)が組み合わさって、それぞれのセットアップで毎回異なるプレイをすることとなり、ある場合では良い戦略となっても、別の場合では見事に失敗することとなる。

二次元空間が複雑化する影響(the multiplying effect)のためか、空間的な要素を伴うゲームは、特にモジュラーセットアップと適合的だ。「Lords of Waterdeep」における(アクションスペースであるところの)異なる建物が、ある程度の変動性をもたらしている。例えば、「クランズ・オブ・カレドニア」のモジュラーボードは、異なる場所に異なるボーナスの港を組み合わせて、幾何学的は複雑さが増しているし、タペストリー(※ゲームのことではない)みたいな可能性に富んだ複雑な絡み合いがもたらされている。現代ボードゲームは、特にセットアップにおける空間的な変化といった部分で、ますますモジュラー形式を使うようになっているけれども、これは新しいアイディアではない。「クランズ・オブ・カレドニア」におけるモジュラーボードと港というのは、「カタン」から着想を得てる。

クレジット: Anthony Faber

最近のポリオミノパズルゲームが氾濫してる中で、「タイニー・タウン」ほど、徹底的にモジュラーのセットアップのアイディアを取り入れたゲームはない。このゲームでは、プレイヤーは、様々なリソースを、あらゆる方法で得点もたらしてくれる建物に変化させるために個人ボード上の小さいグリッドにリソースを配置する。各ゲームで、プレイヤーは、7つの基本建物から1つを建設することができることに加えて、自分だけが入手できる特別なモニュメントを建設することができる。けれども、7つの建物のうち1つを除いた全ての建物は、4種類の大きく異なる能力があるし、各ゲームごとにそのうち1種類が選択される。さらに、利用することができる20種類の異なるモニュメントが用意されている。

こういったことは、膨大な建物のセットアップがあって、それぞれのセットアップはどうやったら得点できるか、どうやって得点すべきかに関して別のセットアップと劇的に異なるということになる。50回ゲームをプレイしたとしても、毎回、かなり異なる戦略を強いられる可能性がある。

私のポッドキャスト「Two Wood for a Wheat」の共同司会者を含めた純粋主義者は、モジュラーセットアップが複数の勝利ルートとは全く違うものだと異議を唱えるかもしれないね。要は、モジュラーセットアップは、セットアップを変動させるが、複数の勝利ルートは、ゲームの中核部分の範囲内で異なるルートを歩むものだとね。

純粋主義者の言うことは、キリキリと詰めていけば正しいかもしれないけれども、大事な要点を外していると思う。ここで述べている最終的な目標というのは変化に富むということだ。そして、両方とも変動性をもたらしてくれる。実際に、最高の現代ゲームはゲームプレイの中核部分に様々な勝利ルートとモジュラーセットアップを設けている。そうして、毎回、異なるプレイ感をもたらしてるんだ。

現実を直視しよう。開始時において決まりきった手が行われることで知られている昔ながらのゲームの愛好家ですら、モジュラーのセットアップが大好きなわけだ。「アグリコラ」について、どれほど同じように感じられて決まりきった手ばかりなのか、特に序盤で誰かが木を取ると、他の誰かが葦やら何やらを取るじゃないかと不服を言うと、「アグリコラ」が大好きな人なら誰でも、私の言い分を止めてこう言うだろう、「カードを使ってちゃんとプレイしていたのかい? 職業カードをしっかりドラフトしてプレイする必要があるんだよ。」とね。これこそが、「アグリコラ」のモジュラー要素なわけだ。通常はドラフトで配られることとなる多種多様な職業カードがなければ、このゲームは古典的傑作の地位を絶対に得ることはなかっただろうと主張しておきたいね。

有機的にからみあった勝利ルートとプレイヤーインタラクション

最も報われる勝利ルートというのは、デザイナーが"こちらがAルート"、"そちらはBルート"、"あちらはCルート"といったネオンサインを大きく掲げるようなものではない。むしろ、自然とプレイヤーが操作するゲームの要素の組合せを通じて、多くの場合に相互に影響しながら、有機的に絡み合って到達するルートというのが、そういった勝利ルートであると言ってもいいだろう。

人工的に作られたルートに関する余談だが、自分たちの「タペストリー ~文明の錦の御旗~」のレビューには"トラックを上昇させる"という題名を付けた。多分、このゲームというのはトラックの前進を伴うゲームの中でも優れたほうの1つではあるけれど、トラックは範囲が限られていて、決まりきっており、形の変わらない勝利ルートの権化と言っても過言ではない。つまり、プレイヤーは言葉とおりに勝利ルートを進んでいき、誰がそのルート上で最も先に進んでいるかが非常にはっきりとわかってしまう。有機的に絡み合った融合とインタラクションに張り合うほど、トラックを十分に面白くさせるには、トラックと他のアイディアとを統合させるための相当な作業量が必要となる。

間違いなく、強力なプレイヤーインタラクションというのは、様々な勝利ルートを生み出す最も自然な形ではある。特に、そのインタラクションは単純な直接攻撃のあるもの(take that stuff)ではないけれど、それに対処するための様々な方法がある場合にはなおさらそうだ。

キングメーカーはゲームの特性であってバグではないというCole Wehrleの主張に与しないが、強力な負のインタラクションを伴うゲームが決まりきったプレイを破壊することは否定できない。だって、対戦相手が行う動きと同じだけ多くの勝利ルートがあるからだ。それでも、インタラクションの強いコンフリクトゲームにおいては、"みんなに首位プレイヤーを叩いてもらうためにめそめそと泣きながら訴えて、みんなが叩かれた後に勝利のために滑り込む"といった一貫してイライラしてしまう勝利ルートを避けるために的確なデザインの腕前が必要となる。もっとも、(※そういった勝利ルートがシステム的に避けられた場合で)プレイヤーによる負のスキームがシステムによるものであるとすれば、自分がシステム上の厳格さに対応する必要はなくなるわけだ。

こういった有機的にからみあっていてインタラクションのある勝利ルートが単純なベースシステムから生じている例は、「チグリス・ユーフラテス」、「砂漠を越えて」、「サムライ ボードゲーム」といったReiner Kniziaの空間ゲームの多くに見られる。「囲碁」のような古典的なゲームを思い起こさせる奇妙で繊細なエリアコントロール要素は、インタラクションの強い争いという形を含んでいる。しかし、その争いに確実に勝利し、長期的に自分のエリアを保持し、自分の計画全てについて、自分が対処している問題と同じ問題を対戦相手にどのように取り組ませるかによって決めていくのは単純ではないし容易でもない。

重量級のユーロゲーム

多人数のインタラクションの強いゲームや繊細なエリアコントロールのゲームだけが、複数の勝利ルートのある素晴らしいゲームの具体例というわけではない。重量級のユーロゲームの中でも、「バラージ」は、満足のいく分岐する勝利ルートと多様性をもたらしてくれる信じられないほどの大成功ゲームだ。

このゲームにおいては、プレイヤーは水を確保するためのダムを建設し、その後、ダム内に溜まった水を利用して電力を産出し、契約を達成していく。このゲームでは、リソースを得点に変換するというアイディアに独自の工夫が施されている。その変換過程では、ダムを作り、ダムに溜まった水を発電所に送る導管を作り、電力を作るために必要となる3つ目の建物を作るといった建設する過程に複数の段階を必要とする。そして、その過程が終わっても、リソースである水はなくならず、発電所から流れ出て下流にある次のダムに向かっていく。

プレイヤーは水がどこに放出されるのかを予測して、水を手に入れるために適切な場所にダムを配置することになるので、この要素によって水をめぐる複雑でインタラクションのある争いがもたらされる。

もし、この要素がゲームの大半を占めていたとしても、それでもなお、たくさんの素晴らしい戦術的なプレイがもたらされていただろうね。けれど、これ以上に遥かに多くの考慮すべき事柄があるんだ。プレイヤーが建物を建設する場合には、自分のロンデル上にリソースを置いて、それが一周するまでリソースが使用不可能になってしまう。新しいリソースを手に入れるのは非常に難しいので、タイミングに関するパズルが建物のパズルに付加されている。

最高の契約を手に入れたり、自分のロンデルを回したり、ボード上に水を流したり、建物を建設することができるようになるアクションを永続的に強化したりするアクションをめぐってワーカーの配置争いがある。「テラミスティカ」や「クランズ・オブ・カレドニア」のようなラウンド終了時の得点目標だけでなく、建物を配置した時に与えられる特殊能力や得点もある。このゲームは、ユーロ的な良さが盛り込まれた異常に大きなパズルとしても、インタラクションのある戦術的なナイフ・ファイト(knife fight, ※ナイフを用いた戦闘)としても成功している。

複数の勝利ルートという点についてみると、プレイとしては、序盤の電力と契約達成、巨大なインフラの構築して、得点を得て後に電力を産出したり、対戦相手を直接妨害したり、誰にも邪魔されない帝国を築いたり、ラウンド終了時の目標から得点を獲得することに集中したり、より明確に契約に集中したりするほか、上記の全てのバリエーションがどっさりとある。だけど、全員がある程度の契約を達成することになるため、"契約"ルートのような完全に区分された"ルート"というのはない。むしろ、多種多様なアイディアの移り変わりやすい配列があるのに近いかな。

クレジット: Anthony Faber

負のインタラクションをあまり取り入れず、優れた技量を用いて非常に多様な独自の勝利ルートを設けることに成功した重量級のユーロゲームとして、「オーディンの祝祭」がある。道具の製作、捕鯨、狩猟や漁業、動物の飼育、自分の部族の移住、家や小屋の建設、近隣からの略奪、新しい土地の発見、食料の収穫とより良い物との交易に集中することができるけど、嘘偽りのない話をすると、これら全てのルートは同じようには感じられないし、全てをうまく組み合わせることができるんだ。そのルートがとてもバランスが取れているのは驚くべきことで(動物の飼育のバランスを取るために、「オーディンの祝祭:拡張 ノース人」が必要だったけれどね)、ほとんどのルートが別個にあるミニゲームのためのテトリスのピースを生み出すという点で、多少同じように感じられるものもあるが、生み出されるテトリスのピースは全て異なっているし、そのピースをどうやって当てはめなければならないかについては違った感覚となる。それにルートの中には全く異なることをするものもある。

「アグリコラ」で見たことのあるような有効性が確実な職業カードも取り入れられており、様々な勝利ルートをちょっとだけ後押ししてくれる。プレイヤー間のインタラクションは、古めかしいワーカーの配置場所の妨害がほとんどだが、このゲームは、私が冒頭で述べたたわごとである「今回は、全く違った戦略を試してみたいね!」というプレイヤーが卓上で最初に声を発する目標を見事に成功させている。違った戦略を試すことができるし、そうするだろう。そうしたら、その全てに没頭することになるだろうさ。

みんな、読んでくれてありがとうな! 私が知りたいのは、複数の勝利ルートを設けることに見事に成功したゲームで、みんなのお気に入りのものは何かってことだ。

以上

※Anthony Faber氏の記事としては、他に以下のものがある。

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