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【掌編小説】どれい商人の娘#ウミネコ文庫応募

(読了目安5分/約4,000字+α)


 今よりもずっと昔、乾燥した砂漠の町にココという痩せた少女がいました。

 ココは働き者でした。朝早く起きると、井戸へ行き、洗った水がめにいっぱいの水を汲みます。ヤギにあいさつをして、乳を絞ると、ブルーノさんが起きてくるまでに、朝ごはんの支度をするのです。

 ブルーノさんがごはんを食べ終わり仕事に出かけたら、お部屋の掃除をします。帰ってきたときにゴミが残っているととても怒られるからです。

 ブルーノさんのお家の掃除が終わったら、ヤギに干し草をあげます。そのあいだにヤギのフンをかたづけて、小屋の中をととのえます。ヤギの世話が終わったら、どれい小屋のフンをかたづけます。

 ブルーノさんはどれい商人でした。毎朝、どれいをつれて町へ売りに行きます。つれていった人数よりも随分と少なくなることもあれば新しいどれいをつれて帰ることもありました。

 牢の中には、血やフンがこびりつき取れなくなっていることもあります。ココはゴミをはきだし、水を流して洗います。お昼までに洗えば、帰って来る頃には乾いているのです。

 掃除が終わったら、小麦の穂をつぶして粉にします。細かくすればするほど美味しくなります。時間いっぱい細かくしたら平たいパンを焼きました。

 ブルーノさんはいつも肉と酒を買って帰ってきます。炉に火の準備をしておくと、その肉を焼き、パンと一緒に食べます。明日の朝のパンを残し、残りのパンを皿に入れると、ココはどれい小屋へ向かいます。

 天井近くにある明かり取りの窓のおかげで、どれい小屋の中は少しだけ様子がわかります。牢の奥の方に何人かが固まり、シクシクと泣いていました。

 ココは牢の格子の内側にパンを乗せた皿をそっと置きます。すると、すぐそばから声がしました。

「きみはここで働いているの?」

 驚いて振り向くと、格子のすぐ向こう側、手を伸ばせば届くところに少年がいました。薄茶色の瞳がココをまっすぐ見つめています。

「止めとけよ、チャド。そいつはあの男の娘だ。一言も口をきかねえよ」

 目の前の少年ではなく、暗闇の奥の方から声がしました。ココは何も言わず、立ち上がります。

「そうなのか。ねえ、このパンはきみがつくってくれたの? ぼくはチャド。きみの名前を教えてくれないか?」

 立ち去ろうとしたココに、目の前の少年は立ち上がり、もう一度声をかけます。身長はココと同じか、少し高いようでした。

 ココは彼の月明かりに光る茶色の髪と白い肌に目を奪われました。砂漠に住む人はみな肌が赤茶色く、髪も瞳も濃い色をしています。きっと他の土地から来たのでしょう。

「……ココ」

 ココがつぶやくと、チャドは嬉しそうに笑いました。

「ありがとう、ココ」


 その日から、パンを持って行く度に、チャドは話しかけてきました。

 チャドは行商人の子どもでした。両親とその友人たちと一緒に、幌馬車で各地を回っていたのです。しかし不運なことに、盗賊に襲われ、家族は散り散りに逃げました。チャドもまた逃げ回り、やがて空腹で倒れていたところをブルーノさんに拾われたそうです。

 ココはどれいと話をするのを禁止されていたので、早く牢を出て行かなければいけません。けれどもパンを運んだ皿を持って帰るのもココの仕事です。みんながパンを食べ終わるまでの間と決めて、チャドの話に耳を傾けました。鉄格子を挟んで、チャドとココは壁に背を預けて、一日の最後を過ごすようになりました。

 チャドはパンを食べながら、色々な話をしてくれました。ヤギ以外にも乳を出す動物がいたり、空を飛んだり、人のように前足を自由に使う動物がいるそうです。地面が砂でないところもあるそうです。自然に草木が生える土地があって、遠くから見るとまるで緑色のじゅうたんのようなのだそうです。海という、大きな水たまりもあるそうです。井戸よりもずっと広くて深くて、青くてキラキラしているそうです。しかもその水はしょっぱくて、乾燥させると塩が手に入るのだそうです。

 ココはこの牢とブルーノさんのお家しか知りません。町に行くことをブルーノさんから止められているからです。町には多くの人がいて、ココが何もしなくても騙そうとしたり襲ってきたりする人がいるのだそうです。ただ怖い所だと思っていた外に、そんな色々なものがあることを、ココははじめて知りました。

 ココはチャドの話にときに頷き、ときに首を横に振り、ただ黙って聞きました。

「いいかい、ココ。この世界はずっとずっと広いんだ。このパンよりも美味しい物だってたくさんある。ぼくが一人で生きていけるようになったら、必ず迎えに来るよ。だからその時には一緒に来てくれないか」

 ココはチャドの言葉に黙って頷きました。


 ある日の夕方、帰ってきたブルーノさんはひどく怒っていました。「あの他所者が」とブツブツと言いながら帰ってすぐにお酒を飲みだします。ココは食事の準備をし、すぐにその場から離れました。どれいの牢にチャドはいませんでした。それどころか誰もいませんでした。

 ブルーノさんが怒っていたのは、きっと売れたからではなく、逃げられてしまったからなのでしょう。ココはいつもの場所に座り、パンをかじりながら、明かり取りの窓を眺めました。

 次の日も、その次の日も、ブルーノさんは怒っていました。どれいの牢は空でした。「お上のせいで商売あがったりだ」とブルーノさんは言いました。パンを持って牢へ行こうとしたココの腕をつかみ「もう無駄なことをするんじゃない」と頬を叩かれました。そして床に倒れたココの上にまたがり、体中を撫でまわしました。ブルーノさんの息は酒臭く、なんとか逃げようとしましたがその度に顔を殴られました。それは毎晩続きました。ココの下腹が膨れるまで続きました。

 お腹は時々立っていられなくなる程ひどく痛みましたが、ココは日々の掃除とパンを焼くことを続けました。ある日、掃除も出来ないほどの痛みに床で喘いでいると、帰ってきたブルーノさんが湯と布を持ってきてくれました。一日かけて産まれた子どもをブルーノさんが抱きかかえ、「よくやった」と褒めてくれました。ココははじめて褒められました。安心してそのまま眠ってしまいました。

 次に目が覚めた時には、すでに陽が落ちていました。調理場ではブルーノさんが大きな肉を焼いています。

「目が覚めたのか。もう体も軽くなっただろう。明日からはまた働けるな」

 ココは頷きます。ブルーノさんは上機嫌でした。ココは平らになったお腹をそっと撫で、訊ねます。

「わたしの赤ちゃんはどこですか?」

 ブルーノさんは唐突にジョッキを机にドンと置きました。机の上に置いた食器がガシャンと音を立てます。

「お前に子どもなんていない」

 それだけ言うと、ブルーノさんは肉にナイフを突き立てました。それを見てココはわかりました。あの赤ちゃんを売ったお金で肉を買ってきたのです。

 そしてまたココの日常が始まりました。朝は掃除とヤギの世話。昼には麦を砕きパンを焼き、夜には酔ったブルーノさんに体中を撫でまわされる日が、下腹が膨らむまで続きました。

 二人目が産まれそうな頃、ココはとうとうブルーノさんの家から逃げる決心をしました。町はとても怖いですが、ブルーノさんに子どもを取られることの方がもっと怖いのです。調理場のナイフを服の下に隠し、重くなったお腹を抱えて町の方へ歩きました。

 熱い砂地に足の裏はすぐに火傷し、痛くて長くは歩けません。時々日陰に入り、休みながら歩きます。町を過ぎる人々はココを見て顔をしかめました。

「あの子、あっちの方角から歩いてきたわよ」

「あっちは鬼畜ブルーノしか住んでいないだろう」

「ああ、どれい解放のおふれに大騒ぎしていたブルーノか」

「ほら、あの子よ。ブルーノの世話をしているっていう」

「そういえば小さな娘がいるって噂があったな」

「でもあの子、妊娠しているわよ」

「誰の子だ? あそこにはブルーノしかいないはずだぞ」

「なんて汚らわしい」

「最近、赤子を売って羽振りが良くなったという噂だ」

「自分の娘に産ませていたのか」

「なんて汚らわしい」

「なんて汚らわしい」

 人々は遠巻きにココを見ていました。どこからか石も投げられます。

「ココ! ココ!」

 呼びかける声に怖くなり、できるだけ急いで歩きます。その声の主は後ろから近づいてくるとココの腕を掴みました。ココは振り向きざま、とっさに隠していたナイフを突き出しました。そのナイフは男の下腹に吸い込まれます。男は薄茶色の瞳でココを見つめ、笑いました。

「やっぱりココだ。遅くなったね」

 チャドの立派な服からは血が染み出していました。周囲から悲鳴が聞こえました。

 ココが声を上げるよりも早く、チャドは手綱を引きラクダを座らせ、その上にココを乗せました。

「さあ、ココ。この子に乗ってお行き。道はこのラクダが知っている。ぼくも必ず後で向かうから」

 チャドがラクダの尻を押すと、すぐに歩き出しました。人の波をかき分け、町を過ぎ、隣の町までラクダは歩き続けました。

 ココが目覚めると、そこは大きな建物の前でした。その前でラクダはココを下ろします。

「あなたがココね」

 建物の奥から年配の女が出てきました。

「チャドのラクダが帰ってきたからすぐわかったわ。さあ、おいで」

 おばさんはココの背中をそっと押して、建物の中に招き入れました。

「さあ、ココ。あなたの部屋よ」

 戸を開くと、そこは緑色のじゅうたんが敷かれた明るい部屋でした。窓辺にはたくさんの木彫りの置物があります。かつてチャドが語っていた動物たちでした。

 ココは薄暗い石牢の中でチャドが話していた内容を、今耳にしているように思い出しました。ヤギ以外の乳を出す動物や、空を飛ぶ鳥や、前足を自由に使う動物。一面草に覆われた大地と大きな青い海。おばさんはそっとココを抱き寄せました。

「チャドが帰ってきたらごちそうを作りましょうね」

 この日、ココははじめて声を上げて泣きました。




ウミネコ文庫に応募したいです(願望)。


 童話にそぐわないテーマかもしれませんが、真っ当な童話のほかに番外編の枠があればそちらで入れれば嬉しいです。
 遅くなったけど…………なんか暗い話になっちゃったけど…………どうかどうか仲間に入れてくだせぇ! 同じ鳥類のよしみで!

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