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【掌編小説】読む時間#シロクマ文芸部

(読了目安2分/約1,400字+α)


 読む時間が無い。悪いがそこに置いておいてくれ。

 PCから目を離さず妻に言う。妻は何も言わず、机のわきに封筒を置き部屋を出て行った。キリの良いところまで文書を作成すると、封筒を袖机の二段目に入れる。ここのところ毎晩のように妻が届けてくる六歳の娘からの手紙だった。

 わたしが職場から帰ってくるのは早くても二十二時。その後書斎で続きをして一時に眠る。娘とは顔を合わせることも少なく、直接会話をする時間も無いため、妻の入れ知恵で手紙を書くようになったらしい。当初は目を通していたが、内容は特に無く、いつしか読むこともなくなった。

 そんなことよりも法律事務所の役員としてこなすべき案件が山ほどあるのだ。一刻一秒を無駄にできない。雑多なことを他の弁護士や事務官に任せたとしても立場上すべてを把握しておかなければならない。平日は自ら対応している案件のアポイントと情報整理に追われるため、事務所の休日にこそ各報告書に目を通し、指示を出すことが出来る。週七日働くためには、規則正しい生活を心がけ、睡眠時間を確保しなければならない。妻は理解があり、わたしが効率の良い生活を送れるようフォローをしてくれる。だが、娘は昔からイレギュラーしか起こさなかった。

 夜中に泣き出し、着替えるのも時間がかかり、ご飯を食べながら遊びだし、わたしの進行方向の邪魔をし、風呂にもなかなか入ろうとせず、寝付く間際まで大声で歌い、妻に手を焼かせていた。小学校に進学してからは少し落ち着いているようだが、代わりに始まったのがこの手紙だった。妻には、たまには返事を書くように言われているが、そもそも返事を必要とする内容でもない。

 そのため妻からの電話は、また面倒事を起こした、というのが最初に受けた感想だった。

 電話を受けたときにちょうどそばにいた事務官の方が動転し、わたしは事務所を追い出される。その足で病院へ向かうと、入口で泣き腫らした顔の妻が出迎えてくれた。妻はわたしの到着に礼を言うと、救急処置室へ案内する。ひさしぶりに顔を見る娘には、小さな体に仰々しいほどの管がつけられ、多くの数字と機械音に囲まれていた。

 医師の話では、バイクとの接触事故により強く頭を打ち内出血を起こしているという。すでに応急処置として手を尽くしており現在は安定しているが、今後状態が悪化する可能性もあれば、今のまま目が覚めない可能性もある。

 妻は娘の手を握ったまま一向に動く気配はない。日をまたいでも様子が変わらない妻に、交代で帰る提案をする。帰ろうとしない妻に押され、わたしはタクシーで家へ帰った。

 書斎でメールの確認をすると、今日の午前中にわたしがクライアントへ行う予定のプレゼン資料が届いていた。添付ファイルを開き眺めるが、視線が上滑りして内容が読み込めない。

 大きく息をつくと、袖机の二段目から封筒をまとめて取り出す。ひとつずつ封を開けると、大きくいびつな文字を指でなぞった。「大すき」の「き」の字は他の二倍のサイズになり、「がんばって」の「つ」は小さくない。「たのしかったよ」の「よ」の字は反対になっている。

 同じ二段目の底に眠っていたレターセットを取り出すと、愛用の万年筆で娘宛ての手紙を書く。いつ読まれるかもわからない一方通行の手紙と知りつつ、無償の愛へ返答する。



シロクマ文芸部の企画応募です。

今回のテーマは「読む時間」。
何回か前に「書く時間」というのがありましたが、あの時も手紙ネタでした。発想力が無いな。

「読む時間」の前に書いた「書く時間」をカピバラさんが読んでくれています。聴いて。


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