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【ショートショート】通勤ラッシュ#描写遊び

 前を走る車のランプが光るのを見て、ブレーキを踏んだ。

 車が完全に停止したのを確認すると、私はいつものようにルームミラー越しに後ろの車の運転手を眺める。

 彼女は大きく欠伸をすると、助手席にあったコンパクトを取り出した。ビューラーを片手に、真剣な顔つきで何度となく白目を剥く。そしてマスカラを取り出すと、目を大きく見開き丁寧に塗りつける。再び助手席へと視線を落とし片手で何かを探していたが、両手を助手席へと向かわせルームミラーから姿が消えた。

 やがて鏡の中へと姿を戻すと、眉間に皺を寄せ何かを毒突く。再びコンパクトを開き、自分の顔を様々な角度から凝視していた。コンパクトを閉じて乱暴に投げ捨てると、赤い唇から大きなため息をつく。

 私はにやけた顔のまま、ルームミラーから信号へと目を移す。その刹那、前の車のルームミラー越しに、険しい顔をした初老の男性と目が合った。


(375字)


Emiko(シモハタエミコ)様の企画を今更ながら見つけたので乗っかってみました。

1年前の企画のようですが期限が無かったので「#」を付けてみます。

世の中には、文章を書く仕事なのに描写が苦手な人がいるとのこと。
文章を書く=描写だと思っている私にとっては、描写抜きで文章を書けと言われる方が難しいです。鶏に首を動かさずに歩けと言うようなものです。(違う?)

ちなみに今回のは2005年11月作成のものをそのままアップしました。口ほどにもねぇなと思った方、許してください。まだ若かれし頃のものです。もしかしたらデータで残っている最古の話かもしれません。(もっと昔はルーズリーフに書き散らしてた)

描写といえば。
引っ張り出した『陰翳礼讃』の有名な一節を載せておきます。やはりプロは違う。

かつて漱石先生は「草枕」の中で羊羹の色を讃美しておられたことがあったが、そう云えばあの色などはやはり瞑想的ではないか。玉のように半透明に曇った肌が、奥の方まで日の光を吸い取って夢みる如きほの明るさを啣んでいる感じ、あの色あいの深さ、複雑さは、西洋の菓子には絶対に見られない。クリームなどはあれに比べると何と云う浅はかさ、単純さであろう。だがその羊羹の色あいも、あれを塗り物の菓子器に入れて、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる。人はあの冷たく滑らかなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。

谷崎潤一郎『陰翳礼讃』28-29頁(1975年、中公文庫)


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