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【掌編小説】永遠の恋人

(読了目安3分/約1,400字+α)


 焼きつけるような陽の光に、彼は目を細めた。

 腕を持ち上げ光を遮ると、白波の立つ海へと走る彼女の後姿が見える。彼女は楽しそうに、水を蹴散らす。

 太ももあたりまで海につかると、彼女は足を止め振り返った。

『マサヤ』

 彼女の幸せに満ちた声を聞き、彼も海へと走り出す。

 しかし、彼がたどり着く前に、彼女は後ろへ倒れるように海に飲み込まれていく。

『ナツキ!』

 海へ沈む彼女の姿が記憶の中の光景と重なる。その忌まわしい記憶を振り払うように彼女の名前を叫んだ。

 波に足を捕られるのも気にせず、彼女の沈んでいった場所へと手を伸ばし、そのまま彼も潜っていく。

『ナツキ! ナツキ!』

 真っ暗な深海で、彼女を求め、辺りを見回す。

 目に映るものは何もない。方向感覚がなく、上下さえもわからない。

 冷たい闇の中、全身に冷や汗をかいていた。

 目の神経がおかしくなりそうなほど眼球を回し、辺りを彷徨う。

 彼女を失うかもしれない恐怖が胸を圧迫する。

 浜辺で血の気の引いた彼女の身体をかき抱いた、あのときの記憶がふと蘇る。

 もう二度と失いたくはない。ずっと彼女のそばにいると、あのとき心に決めたのだ。

『ナツキ!』

 一面塗りつぶしたような黒い視界の右片隅に、ぼんやりとした白い光が映る。

 確認する間もなく、彼はその方向へと駆け出した。

 やがてはっきりと見えてくる。白く輝いて見えたのは彼女の頭蓋骨だ。

 彼女に指先が触れた途端、彼の体は急激に落下した。



 叫び声を上げ、上体を起こした彼は荒い息を整えた。すぐ隣に彼女がいるのを確認すると、汗で張り付いた髪をはらう。

 薄暗い彼の部屋に、開けることのないカーテンの隙間から朝日が入り込んでいた。

「また、ナツキがどこかへ行ってしまう夢をみたよ。変だよね。ナツキとはもうずっと前から一緒なのに」

 彼女の形の良い頭をなで、彼は苦笑した。

 最近頻繁にみる夢だった。夢の中で彼女を抱きとめられたことが一度もない。彼女が海に入る前に気づいてあげていればと何度となく考えてしまう。
いつもと同じ思考を繰り返していることに気づくと、彼は小さくため息をついた。

 ベッドから降りると、着替え、スープを火にかける。

「ねえ、ナツキ。今日はせっかくの休みだし、山へでもドライブに行こうよ。外へ出るのも久しぶりだよね」

 まだベッドの上にいる彼女に話しかけながら、彼は顔を洗った。

 返事をしてくれない彼女を振り返ると、思い出したように笑う。

「ああ。部屋の掃除もしなきゃいけないけどね。でも、後にしようよ。せっかくの晴天を無駄にはしたくないし」

 動こうとしない彼女をテーブルに着かせると、彼はとろみのあるスープを軽く混ぜ、皿に装う。

 彼女の向かいの席につくと、合掌し、スプーンを手に取る。

 闇を湛える彼女の両目は、スプーンに口をつける彼の姿に向いていた。

 その視線に気がついたかのように、彼は顔を上げ、彼女に笑いかける。

「このスープも、最初は作りすぎてどうしようかと思ったけど、もう残りも少しになったんだよ。とてもおいしいからナツキにも食べさせてあげたいんだけど、もうナツキの舌は食べちゃったからな」

 彼は柔らかく煮込んだ彼女の肉を口へと運び、咀嚼する。飲み込めば、また少しだけ彼女と一緒になれる。

 彼はふと彼女から視線を離すと、ため息をついた。

「確かに、掃除もしないとね。ドライブから帰ってきてから、少しずつするよ」

 彼がスプーンを置くと、赤黒く染まった部屋の中で、テーブルの上にある白い頭部だけのナツキがカタンと音をたてた。




ずーーーっと昔に書いたお話です。今年の夏にはアップしようと思っていたのに、海でキャハハウフフが寒い時期になってしまった。

由貴香織里という漫画家さんの作品が好きなんですが、その「少年残像」の2ページから書いたお話です。

由貴香織里『少年残像』(白泉社、1998年)より「少年残像」
殺人鬼と娼年のお話です。

Kindle版を発見しました。うわーkindleに移行しようかなぁ……。
しかも、『天使禁猟区』の続編が始まっているとか。気になる。。。

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