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演じる まねする 嘘をつく

演じるってなんだろう。と2日に1回くらい考えている。客を呼んで舞台で披露する総合芸術としての演劇だけでなく、日常に転がっているもの、例えば嫌いな上司の前でニコニコとご機嫌よくやっていくのも演じることだし、自分へのサプライズを見抜いてしまったけど驚いたフリをしてしまうのも、そう。

そういう演劇以外の、日常の演じる目的とは?自分の場合は、コミュケーションを円滑にしたいから一択である。よくやってしまうのは、相手と会話の弾む、もしくは弾みそうな人物を思い出したり勝手に想像したりして、その人物の言動をまねること。話し方や、選択する会話のトピックをまねる。真似事は演じる行為と近い距離にありそうである。

人が演じるときのマインドは、2種類あると思う。1つは、自分が今演じていると自覚して行うもの、もう1つは自分がそう感じていると思い込んでいる状態。

笑おうとして笑える人はすごいなと思う。先に行動して後から感情がついてくるタイプなんだろうか?先に笑いたいと思う気持ちの昂りをイメージしてからでないと、自分は笑えない。

演劇、のほうの演じるについて。

劇団に通っていたときに「怒る演技でぶりっ子するな。」とよく言われた。笑う、泣くと比べて怒る演技が苦手だった。

バグズライフ原作の芝居で、アリたちがパーティーのための準備をしている中、ある一匹が手伝おうとするも荷物をぶちまけてしまう、というシーンがある。

そこで『君の親切はいつも迷惑なんだよ!!』と怒鳴り散らす台詞があった。しかし、怒鳴ったことがないから感情のイメージがつかない、頭を空っぽにし怒鳴る行為をやろうとしても、声帯の震わせ方がわからない。結果どうしてもほっぺを膨らませながら文句を言う感じになっていた。

怒鳴る演技ができる人は、生きる中で怒鳴る機会があり、かつ自分の怒る感情レベルをしっかり掴んでいる人たちなのか、、いつか理解したい境地。

演じるとは何か、を理解しなくても演じることは可能だし、見て楽しむこともできる。むしろ定義に当てはめてしまわないほうが高い感度で演劇に触れられるかもしれない。

演じる、に対して浮かんだことをつらつら適当に述べてしまったけど、少なくともそれは「嘘をつく」とは別物だと思う。嘘よりももっと意識的で、躍動的。

画面の奥で愉快に崖の上のポニョを歌う大橋のぞみちゃんが、演劇と出会うきっかけだったなあと思い出した。たまたまTVがついていて、なんとなく「わたしもこういうことやりたい」と親に話した。それが演劇を好きになる最初の一歩だったと考えれば、物事を始める理由なんて、ささいなことでも、何でもいいのかもしれない。

と、ちょうど就活で こっぴどく“理由”を問われる日々を面倒に感じながら、文字を打った。

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