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HOUSE OF GUCCI

映画[ HOUSE OF GUCCI ]を観た。
テレビでこの映画のコマーシャルが流れてくるたびに「あっ、観たい」と思っていたが、テレビコマーシャルもなくなって、映画フリークたちのブログ記事もピークを終えたところを見計らって観た。
コマーシャルや他の方の感想の先入観がある期間はどうしても観れない性分だなので、いつも一歩遅くなってしまう。

あらすじ…
貧しい家庭出身の野心的なパトリツィア・レッジャーニ(レディー・ガガ)は、とあるパーティーで世界的ファッションブランド「グッチ」創業者の孫であるマウリツィオ・グッチ(アダム・ドライヴァー)と出会う。互いに惹かれ合うようになった二人は、周囲の反対を押し切って結婚。やがて、セレブとしての暮らしを満喫する彼女は一族間の確執をあおり、グッチ家での自分の地位を高めブランドを支配しようとする。そんなパトリツィアに嫌気が差したマウリツィオが離婚を決意したことで、危機感を抱いた彼女はある計画を立てる。

シネマトゥデイより

最初は謙虚な夫婦生活をおくっていたパトリツィアとマウリツィオだったが、徐々に自分の権威を主張するようになる様子が不気味だった。
伝統的な家族経営であることの苦悩。
プライドが高いことの醜さ。
お金がありすぎることの心の狭さ。
そういうことが手にとるようにわかる映画だったと思う。

私は、この映画の舞台となった時代のグッチも好きだし現在のグッチも好きだ。ただそれは全く別物と言っていいくらい昔と今とでは違う。
もう20年以上前になるが、私は少しの間イタリアに滞在していたことがある。その時、親友に子供ができた知らせを受けて、フレンツェの本店に出産祝いにグッチの子供用の靴を買いに行ったことがある。
その時、ソファに招かれてシャンパンなどをご馳走になった。
「さすが本店!」と思って感動したのだが、今日の映画の中のグッチ家の人の会話で『日本語を勉強したらどうだ?日本人はグッチの上客だからな』という皮肉たっぷりのセリフがあった。
なるほどなと思った。
子供靴ひとつでシャンパンなんて今じゃありえないだろう。
私が行った時はちょうどグッチ家の崩壊が近づいている頃だったと思う。
そういう意味では貴重なグッチ訪問だったのだ。
今現在のグッチにはグッチ家の人間はひとりもいないらしい。まさしくファミリーとしてグッチは崩壊したことになる。
新しいデザインの洋服などを雑誌などで見て「素敵」と思うけど、昔のシックなデザインもやっぱり捨てがたいなと思う。
この映画に出てくる人の出立ちはみなシックだ。素直に素敵と思う。



どうでもよすぎる余談だが…
私はかなり前からアダム・ドライバーが大好きなのだ。
彼が出ている作品はたぶん全部観ていると思う。
韓流アイドルやフィギュアスケーターの推しはいないが、あえていうなら、私はアダム・ドライバー推しだ。
それとレディ・ガガは見事にちょっと下品な女を迫力満点で演じていたのにはびっくり。
最後のシーンで裁判長が「パトリツィア・レッジャーニ」と本名で呼びかけるのに返答はせず、ゆっくりと「グッチ夫人と呼びなさい」と裁判長に命じるドスの効いた声はカッコいいとさえ思ってしまう。

華やかな世界と裏の物悲しい世界をこの映画で見れてよかった。





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