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あぁ、世界は悲しからずや

2023.11.6(月) so sad


平常に戻った。
三連休が終わった。
連休中は、アイスクリームを食べに行ったっきりどこにも出かけなかった。
夫は友達の付き合いやなんやでいろんなことろに出かけたみたいだが、どこもかしこも人だらけだったとぼやいていた。
テレビで京都の観光地の様子などを見ていると、恐くなるほどの人がいる。
知らない人と肩が触れあうほどの近さでぞろぞろ歩いていらっしゃる。
嵐山の竹林の小径なんていうのは、静けさの中一人二人で歩くから情緒があるのであって、花火大会を見に行く行列のように歩いているのは不思議な世界を見るようであった。

武田百合子さんのエッセイの中に…
『京都は女がやってきて嬉しがってお金を使うところだ』
という一節があるが、そのくらいの気合の入った粋な京都が私は好きだ。
このエッセイも1991年ごろに書かれたものだから、その当時はそういうプライドのある京都はまだ存在していたのだろう。
私が最後に京都に行ったのはいつだったろうとふと考えてみる。
いつの時だったか思い出せなくて、スマートフォンの中にあるアルバムなどを検索してみたら、もう5年前であった。
宇治の黄檗宗大本山・萬福寺に普茶料理を食べに行ったのが最後だった。
あの時は夏だったが、人は少なかった。
また京都に行こうという気には、このテレビの映像を見ていると起きない。
本当に萬福寺が人生最後の京都になるのかもしれないと、ふと思った。

午後から雨になった。
雨になっても暑さは消えない。
それどころか、蒸し暑さも加わってまるで梅雨の走りのような気さえしてくる。
風も強く吹いているようでベランダの鉢植えがひっくり返りそうになっているので室内に避難させる。
雨の中、スーパーに出かけると、苦手な方に出会ってしまう。
それもふたりも。
今日はあまり良い運勢の日じゃないかもしれないと思い、さっさと買い物をしてさっさと帰る。
さっさと買い物をするのは余計なものを買わなくて済むという利点はあるが、買わなきゃいけないものを忘れるという難点もある。案の定、牛乳を買い忘れたではないか。再度出かけるのは面倒。牛乳なくても何とかなるでしょうと思い再度出かけるのはやめにした。

テレビを見ていると、世界はもう世紀末のようになっている。
そっと差し出すその手が血だらけだ。
母親は自分の子供の体に名前を書くのだそう。
体がとんでもないことになっても自分の子供だとわかるように…
悲しいことばかりが起こる。
悲しいことはいいことよりずっとずっとたくさん起こる。
そんなことを考えていると胃がずしりと重くなった。

連休明け、お疲れじゃないですか?


読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。