結論から言うと、何故HSPがADHDといった医療で認められた障害と同じ土俵で話せれてたりするのか疑問だ。という事だ。
診断もされず、
かといって投薬やカウンセリングで向き合うこともせず、
さらに障害でもないから社会的なハンデもなく、
「うまれもったものだからしかたないじゃん」という障害を自他したものだけが使える言い訳だけをスポイルして、
配慮をもとめるそれは
みっともないのではないか。
HSPはもう有名すぎて説明する必要はないだろうが、改めて説明すると
生まれつきつまり先天的に「非常に感受性が強く、敏感な気質を持った人」という意味らしい。
・・・これって誰にでも当てはまりますよね?
誰もが当てはまることだと思う。バーナム効果。
さらにこれには
HSPセルフチェックなどというものもある。
質問のうち12個以上なら、HSPの気質があるそうです。
・・・これって誰にでも当てはまりますよね?
バーナム効果ではないかい?
セルフチェックしたうえで病院にいき医師の診療の元、正式に診断されて意味があるものではないか。
さらに、診断されてその障害と向き合うのもセットではないか。
何故、自分からHSPになりたがるのか?
それは、己が社会で上手くいかない理由を生まれ持った障害のせいにしたいからである。
実際はわからない。周りの人間のせいかもしれないし、本当にうまれもった何かしらの気質のせいかもしれない。あるいはただ本人の努力不足のせいかもしれない。
しかし、そういったあいまいな状態のまま過ごすのが耐えられないのだろう。だから、自分の責任の外に原因を見出して、とりあえず安心するのだ。
それでも現実も問題は何一つ解決しないが、心の安寧を手に入れることはできる。
今までのうまくいかなかった現実を障害、気質のせいにすれば、
「ああ、なんだ。うまれもったものなんだ。自分の選択が悪いせいではないし、自分の責任ですらないのだ」となる。
どうやらHPSは選ばれしものの星座占いみたいなものらしい。
ADHDやトラウマ治療を医師の診断のもと行い、社会でも障碍者として一般就労もできず、障碍者ゆえに結婚もできず、低賃金でいきている身としては意地悪も言いたくなる