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「幸せでも不幸でもない」”ぬるま湯”結婚生活から脱出ーー本当の「自分」を取り戻した

国際結婚に憧れ、やっと手に入れた夢の「結婚」。でも思い込んでいた「愛」はイリュージョンだった。

「この人と居ても幸せじゃない」と感じ始めてからすでに3年が経過していた。「1人になって苦労するよりマシ」と無理に自分に言い聞かせてた。今の生活を続ける方が便利ーーただそれだけ。

でも本当の私の気持ちは? 自問自答が始まった。不幸じゃないけど幸せでもない。仕事も私生活もパッとしない。収入も少ない。いつもこれで良いの?と思う時、NOなのに、依然「決断」する勇気がない。ぬるま湯状態だった。

いつの間にか夫の顔色を伺い、彼のいう通りに行動するのが日常になっていた。彼がハッピーなのがいつも優先。私のハッピーと思う事は二の次。要するに私の好きな事は優先してくれない、彼のコントロールが「私らしくない」人生を感じさせる引き金となっていた。

「無償の愛」なんてあるんだろうか?「本当の愛」には巡り逢えるのだろうか? 再び1人になってそんな事を考えていた。すでに40代半ば。生活が不安定なフリーランスになってもしパートナーと別れたら、この先1人でどうやって生きていけば良いのか路頭に迷っていた。

毎日、どこに行ったか、誰と何を食べたか、車で何マイル走ったかなど色々聞かれる。全てタックスのためだというけど、うざくてしょうがない。彼のタックス軽減の為の質問なんて。フリーランスになって経済的弱い立場になった私は反乱を起こせなかった。

「一緒にいたくない」どんどん気持ちが高まってくる。「とりあえず家を出よう」。それだけ決めた。それも彼に知られずに。でもそんなことできるだろうか。。。あの嫉妬深くて私の行動をいつも監視している夫から離れられるだろうか。

作戦決行は住む家(部屋)が見つかってからと決めた。でも見つけるのは簡単ではなかった。フリーランスの仕事は、部屋=オフィスになるので、種類や参考資料などの荷物も多い。結局、どの家も狭いか高いかで、私が妥協できる部屋がみつからず、また一年が過ぎた。

その日はついにやってきた。巡り巡ってやっと良いルームメイトに恵まれた部屋が見つかった。「今しかない」私はすぐ手続きをした。まず家の外に借りていたオフィスを引き払い、一旦荷物を家に置き、そして引っ越しの日を模索していた。夫はまだ私の作戦に気づいていない。さて、いつ話そうか… どんな風に?胸がドキドキしてきた。

ついに私から勇気を出して口火を切った。「私、新しいオフィスを見つけたからそこに住むことにする」。咄嗟に変な言葉が出た。「どういう意味? オフィスに住むって」。質問は当然だろう。「住めそうなオフィスだから、ここを出て、、、、」「出て行くんだ。それって離婚するって事」?「あ、、、、じゃなくて別居。しばらく1人になりたい」。彼の顔はみるみる鬼瓦のように高揚している。「ヤバい。。。」でもここで引き下がれない。「この家を出て行く」。

それから2週間、口も聞かずに夫と暮らすほど辛いものはなかった。でも前に進まなきゃ。毎日引っ越しに向けて忙しい日々を送った。

そして迎えた引っ越しの日、日雇の手伝いの人を雇い、運転したこともない大きなトラックを借りて運転しなきゃいけない。不安だけどここからは誰も手伝ってくれないのだから、運転する勇気を振り絞った。

長年彼と暮らした家を出て新しいルームメイトに迎えられた。そこに待ってくれていたのが引っ越しの手伝いに来てくれた3人の友達だった。涙が出るほど嬉しかった。

今、全てが終わり、これから全てが始まる。「希望」を持てばそのように進んでいくのも人生。この先、何が起こるのか誰にも分からない。

アメリカでは2組に1組が離婚すると言われている。。それがアジア人とアメリカ人の組み合わせならもっと高い。うまくいかない原因には価値観の違いとコミュニケーションがあげられる。言語の壁ももちろんある。でもそれ以上に「その人」(人間性)の本質を知らなかった。見抜けなかった。

もしお互い「本質」を尊敬し認め合う事ができるなら、国際結婚だろうが、誰とでもうまくいくのだと思う。

私たちの結婚を振り返れば、「略奪愛」から始まったハラハラドキドキの恋愛だった。略奪したのは私の方。じっくり相手を観察する間もなく私たちは急速に接近し結ばれた。むしろ私が現れて、彼の人生をも変えてしまったのかもしれない。

物換星移ーー10年前、あれだけ激しい恋愛を経て永遠の愛を誓い合ったのに、「愛」という名の虚像は崩れ去っていった。無条件で「愛を与える」事ができなかった。思いやりを持てなかった。
「頑張った恋愛を何らかの形でけじめをつけたかった」という安易な考えもあったかもしれない。でもたった一つ真実があるとすれば、私たちは真剣に恋愛をし結婚という道を選んだという事。

引っ越しの片付けをしながら、部屋に1人になった瞬間、とめどなく涙が溢れてきた。底知れぬ心細さが襲ってきた。でも心の底で「自由」を歓喜する自分もいた。これは私の決断。泣いても笑っても前に進むしか無い。

荷物が片付く頃には、心がとても軽くなっていた。もう束縛も夫の顔色を窺う事もない 誰も私のことをコントロールできない。本来の「自分」を少しずつ取り戻していた。

それから一年後、私はまた新しい恋をした。その運命の恋は私に、ずっと探し続けていた「無条件の愛」というギフトをくれた。あの時の苦渋の「決断」は、間違えてなかった。本当の「自分」を受けてくれる、そして引き出してくれる、最愛の人に出会った。

あれから15年、私は「幸せ」というものがようやくわかる歳になった。「お金持ちになる」とか「大きな家に住む」とかの「条件」はどうでもよく、自分が自分らしくある事が、幸せを呼び込むのだと悟った。

別れたいけど別れられない人にはそれぞれ事情がある。例えば「大きな変化を齎せたくない」「経済的に無理」「子供がいるからしかたない」など。でもきっと皆あなたの幸せを願っている。「もう歳だから」「もう遅い」と諦める必要もない。私のように50歳代でまた恋をし、還暦手前で3回目の結婚をした例もあるのだから。

結婚生活に悩みを持つ美しい女性たちへ。勇気を持って新しいページをめくってほしい。たった一度しかない人生を「自分らしく」輝いて欲しいーー 怖がりの私が一歩踏み出し「本来の自分」を取り戻したように。一歩踏み込めば、そこにはまた違う世界が広がる事を自分の経験を持って伝えたい。

#あの選択をしたから

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