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#010_231031 訪問看護

約束の時刻になったが、訪問看護がいらっしゃらない。連絡もない。こういうことは時々あったのであまり心配しないように意識するものの、先週の面談での気まずい思いを引きずっているのだろうか。

私はと言うと、思い出せば、傷は疼く。でも、その都度、深い呼吸をして感情に流されないよう冷静になる。待っている間、何も考えず、家事をする。特に「洗う」こと(掃除、食器洗い、洗濯)は癒される。ゴミ出しも毎回、スッキリする。家事をして気を紛らしている間、訪問看護からのメッセージを見落とした。

かつて働いていた頃、私は時間を守ることを重要視していた。だから、今回のように訪問看護が連絡なく、訪問時刻をコロコロ変えることはかねてより気になっていた。こちらが無職で家で待っているだけだから…そんな風に思われるのはおもしろくない。けど、前はフードバンクのお世話にもなっており、細かいことには目をつぶってきた。

訪問看護との面会は特に問題なくこなした。フードバンクの利用中止について、核心に触れることはなかった。(少しの保存食と日用品は持ってきてくれた…感謝)

過食の原因が薬の副作用で、現時点で薬の調整は困難だとの主治医の説明は淡々と伝えた。しかし、訪問看護にはよく伝わっていないように感じた。たとえ副作用で睡眠中に食べていたとしても「努力で過食をやめられる」との意見はまったく覆らない。「まだ薬のせいにして…」と言わんばかりの目つき…。辛い。

私は1日の中で、自分の病気について知る勉強をしている。まるで子どもの頃の英語学習のように。双極性障害の薬は一生服薬しなければならないか?との質問に答える渥美Dr. (睡眠外来)の話を聞く…答えはYES

つまり副作用は一生続く、と言うスタートラインに立ち、ここからどうするかを考える。15年前から運動することによって、減薬を成し遂げ、これ以上減らせない。服薬を中止したら眠れなくなる。「完治」を目指すより「QOLの向上・維持」だと思う。

訪問看護について辛いなぁと思うこと2つ
・過食をやめる努力をしないからフードバンクの利用中止
・過食をやめる努力も根性もないと私のことを思っている

フードバンクの利用中止により、今後家計が圧迫される。フィットネスクラブに通うのを諦めなくてはならなくなるかもしれない…考え出すとキリがないのである程度でやめる。そして現時点ではまだクラブも諦めなくていい、家計もなんとか回せているので、むやみに不安にならないことにする。

いささか訪問看護からのメッセージの頻度が上がった気がする。フードバンク中止、努力・根性なしと言われ、傷ついたことを私も言わない。言っても理解されないから。過食についても、もう私のほうから相談するのをやめる。もしかすると腹の探り合いのような関係性になってきたかもしれない。

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