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勝手にポンジュノ長編監督作品を勧める

どうも、ポンジュノ大好き20代ニートです。
大学時代は太宰治を専攻していましたが、人に勧めるという観点で作品に触れていなかったので、僕がまともに個人の作品群の話ができるのはポンジュノと今敏しかいないかもしれません。

ポンジュノは大学生時代を含めて、7本の長編映画、僕の知る限りでは7本の短編映画を監督しています。他にも3本の映画に脚本で参加しています。
短編と脚本参加の作品はいくつか入手困難なものがあり、すべて観られたわけではないので、長編監督作品をすべて推薦したいと思います。
そうです、すべて観なさいということです。

1.ほえる犬は噛まない(原題:플란다스의 개)

ポンジュノの記念すべき長編監督作品第一作目です。
興行的には振るいませんでしたが、売れないということは出来が悪いのではなく、とがりまくっているのです。ポンジュノの場合は。

あらすじなんて野暮なことここには書きませんが、ポンジュノ作品のメインテーマである貧困や格差社会をみごとに絵的に表現しており、画面全体を社会のメタファーにする手法はこの頃から健在です。
まるでネオレアリズモの大監督シーカの『ウンベルト・D』の犬かのような、階級に振り回される人間に巻き込まれていく犬たち。
シーカにある切実さや優しさが、この作品では不条理な笑いに一変します。
親友で先輩であるパクチャヌクもシュルレアリスムをよく用いますが、ポンジュノも実は、型破りかつ再構築していく監督なのです。観ろ。


2.殺人の追憶(原題:살인의 추억)

ポンジュノファンの中では一番の名作と名高い今作。
もうたまらないんですが色々。
この作品は人の顔の映画と言っても過言ではないでしょう。
ポンジュノは主人公を2人以上に設定することがほとんどなのですが、この作品も例にもれず主人公は2人の対照的な刑事。
ポンジュノのよき相棒ことソンガンホ演じる刑事は人相で人を判断できると考えていますが、その信条とあの名ラストシーンと実話を照らし合わせると、沸き上がる感情をどこにぶつけたら良いのか分からなくなります。
とにかく絵が美しい。登場人物の顔の使い方がとにかくうまいし、反復表現もことの残酷さを演出しています。

光州事件をはじめとする運動が激化していたことにも少し触れています。ポンジュノはその世代(685世代)と呼ばれることを嫌うのですが、なるほど嫌いなんだなというのが伝わる表現です。

実話をもとにしているだけあって、無駄なメッセージはそぎ落とされている印象もあり、演出に若さや泥臭さは感じつつも、洗練された映画です。一見の価値あり。観ろ。


3.グエムル-漢江の化物-(原題:괴물)

韓国では一番売れたポンジュノ映画。ポンジュノがゴジラ魚版の映画を撮るの???と混乱しますが、観てさらに混乱します。これまでの2作も含め、ポンジュノは既成のジャンルに縛られることを故意に避けています。しいて言うならポンジュノというジャンルを確立しているのです。
だからこれは、ポンジュノの怪物映画
今までも直接的な社会批判はありましたが、この作品は中でも強烈で、保守的だった政権から一時的に追い出されたほどです。(この作品だけが原因ではない)
実際に米軍が韓国で起こした事件をモデルにした事件がすべてのことの発端になり、その末生み出されたグエムルは韓国人を殺していく。この図は『パラサイト』につながるところがあります。本当に戦わないといけないものは何か?ポンジュノは常に社会に問うています。
しかもこの作品、英語タイトルが“The Host”なんですよね……

ストーリーもさることながら、僕はとにかくポンジュノの絵作りが大好きです。ポンジュノはしばしば、走る人を真横から固定カメラで、かなりのロングショットで撮影します。そうすることで、客観性が生まれたり、登場人物との精神的距離が生まれるという効果があります。他にも、大きな社会に小さな個人というメタファー表現にもなります。
物語内容を表現するうえでとても意味のあるショットですが、なによりそれが美しいこと!絵画ですあんなもんは。
ぜひどこのシーンを言っているのか確認してみてください。これももちろん観ろ。


4.母なる証明(原題:마더)

僕が個人的に愛してやまない一作です。セリフを覚えるほどには観ています。
この作品では韓国一のイケメン俳優ウォンビンの除隊後復帰一発目という記念すべき作品です。そんな作品でこんな役をさせるなんて、ポンジュノは本当に意地悪な人だと思います。褒めてます。
僕はこんなウォンビンが見たかった!と思いました。世代ではありませんが。

ポンジュノ作品にはたびたび、発達障害や知的障害を持っていると思われる人間が登場しますが、そんなキャラクターの中で、初めて主人公になった作品といえるでしょう。

母とは何か、母性とは何かを一から問い直し、母そのものを脱構築させた作品です。とても暗い(本人曰く)映画なのですが、僕はでっけえ愛を感じる作品だと思っています。
母という存在はあまりにも特殊であるが、その存在は聖母のような純血さと美しさを持つものなのか?と問う今作の裏テーマは「セックス
はい、もうわかりますね。ポンジュノは大変に意地悪な人です。
ポンジュノ自身がそう明言していますが、僕がそうだと感じた瞬間の演出を初めて観た時は、あまりの意地悪さに思わずにやけてしまいました。
僕も変態なのでしょうか。これを観た人間はだれしも変態になるかもしれません。だから観ろ。


5.スノーピアサー(原題:설국열차)

ポンジュノ初のハリウッド作品である今作は、僕含むポンジュノファンにはあまり人気のない作品ですが、韓国人人気がかなり高い印象があります。
それこそポンジュノが今まで物語内世界を使ってひとつのメタファーを作り上げるやり方の集大成と言える作品でしょう。
氷河期と列車。世界そのものがファンタジー化しており(小説が原案)オーバーに戯曲化しているからこそ、徹底的に社会批判をしています。

この作品では、上流~下流階級の格差を横のラインで表現します。これは縦で表すより、隔たりなどなく地続きの関係であることが強く主張される表現方法だといえます。ポンジュノと言えば階級問題の批判だという人は一見の価値ありです。そうでなくてもまず観ろ。


6.オクジャ(原題:옥자)

ポンジュノ2回目のハリウッド作品。僕の個人的大好きな作品2つ目です。
食肉の問題提起かと思いきや、動物と人間という構図を社会問題への批判に結びつけていくポンジュノの執念深い演出にはやはり笑いを禁じえなかったですね。
これまたシーカの『自転車泥棒』のように、否応なしに社会の中でもまれていく子どもが主人公ですが、『自転車泥棒』の子どもの何倍も野生的で力強い精神を持ち合わせています。
韓国の山奥のシーンは『もののけ姫』アメリカでのパレードのシーンは『イノセンス』を参考にして撮られており、日本が誇る画面作りにこだわる2人の巨匠の作品がみごとにポンジュノ流に昇華されています。

この作品に限らず、ポンジュノ作品にはマーティン・スコセッシ監督の多大な影響を感じます。
暴力的なシーンにスローを使う演出なんかモロです。
2人とも純粋芸術のような題材で軟派に、しかし大衆的とは言い切れない絶妙な塩梅の映画を作り上げています。
オクジャの舞台の半分はアメリカなので、そういう演出が多くみられるのでしょう。アメリカや資本主義への批判はありつつも、リスペクトすべきものを見失わない、自分の持つポンジュノらしさが垣間見える作品です。観ろ。


7.パラサイト(原題:기생충)

言葉はいらない。とにかく観ろ。と言いたいところですが。
僕が人生で一番好きな映画です。
今まで説明してきたような、社会批判の集大成的作品と言えるでしょう。
この映画のすごいところは、悪い人が一人もいないところ。悪い人はいないのに、なぜか悪いことが起きる。そういった構図が浮かび上がってくるのです。主人公一家はけしてああするしかなかったわけではありません。作中に他の選択肢も出てきます。しかし彼らは寄生することを選んだ。
その時の選択として彼らは最善のものを選んだのです。それが主人公ギウの罪悪感と贖罪につながるのです。まさにこういったモチーフもマーティン・スコセッシ監督に近いものを感じますが、ポンジュノはやはりそこに貧困という要素を入れる。
実に韓国的でありながら普遍的なテーマが潜在しているのです。

とにかく絵作りが最高な映画で、特に大雨の中、家族が下に下にくだっていくシーンはお得意のロングショットを用いて静かに描いており、個人的には映画界に残る名ショットだと思っています。
あのロケ地に行くのも僕の夢の一つです。

メタファーの使い方も大変秀逸で、一つのものがメタファーとして起用しながらも美術的美しさもあり、しっかり物語内の事物として機能している。
映画全体が現実の模倣と考える人がいるくらいなので、メタファーひとつでなんだと言う方もいらっしゃるかもしれませんが、こんな使い方できるか?と思うものばかりなのです。

ぜひ映画を観た方は僕の『パラサイト』論を読んでいただけると泣いて喜びます。

というわけで、世紀の大名作を刮目せよ。

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