コロナが終わって元通りになって欲しくないもの

自分が携わっていた夏のツアーイベントが、全て中止が決まった。

覚悟はしていた。難しい状況だということは勿論わかっていたけど、会えるはずだった人たち、諦めず準備を続けてくださっていた方々、楽しみにしてくださっていた方々の顔を思い浮かべると無念だ。 同時に自分たちができる取り組みを始めたり、作ったビデオレターに「また会えますように」と気持ちを込めたり、応援し続けてくださる方々の存在に、感謝と共に背筋が伸びる思いでもある。

そして、まず生活を整える。今を生きながら、元気があるときには「今の先」を考えてみようとする。何もかも分からないことだらけだ。というか、正直先を考えるのが怖い。情報はひっきりなしに流れ、いろんな人がいろんな所からいろんなことを言う。何が本当でないのかを注意深く見分けられたとしても、「何が本当に本当か」なんて誰にも分からない。

手探りの状態で、そもそも「どう考える」かということにヒントをくれる本に出会った。イタリアの文学者パオロ・ジョルダーノによる「コロナ時代の僕ら」だ。

感染症の流行に際しては、何を希望することが許され、何は許されないかを把握すべきだ。なぜなら、最善を望むことが必ずしも正しい希望の持ち方とは限らないからだ。不可能なこと、または実現性の低い未来を待ち望めば、ひとは度重なる失望を味わう羽目になる。希望的観測が問題なのは、この種の危機の場合、それがまやかしであるためというより、僕らをまっすぐ不安へと導いてしまうためなのだ。

必ずしも希望的観測をすることがベストではない、という言葉が身にしみる。何より、今回のコロナで大きく価値観が揺さぶられていることは分かる。じゃあ、楽観的になりすぎず、かといって絶望せず、何を考えたら良いんだ?

感染症の流行は考えてみることを僕らに勧めている。隔離の時間はそのよい機会だ。何を考えろって? 僕たちが属しているのが人類という共同体だけではないことについて、そして自分たちが、ひとつの壊れやすくも見事な生態系における、もっとも侵略的な種であることについて、だ。

「人間中心主義」を見直せ。そういうメッセージは、今までも形を変えて色々な所で発せられていたと思う。耳を貸してこなかった僕たちに、ついに地球が、確かに聞こえない声を震わせて「叫んで」いるような気がする。

いや、もちろんそういう風に「受け取らない」こともできる。そんなのは捉え方に過ぎない。地球が何だって? 目の前の問題が山積みだ。こっちは生活が困ってるんだ。こっちだって叫びたいくらいなんだよ。

COVID‐19 の流行はあくまでも特殊な事故だ、ただの不運な出来事か災難だと言うことも僕たちにはできるし、何もかもあいつらのせいだと叫ぶこともできる。それは自由だ。でも、今度の流行に意義を与えるべく、努力してみることだってできる。この時間を有効活用して、いつもは日常に邪魔されてなかなか考えられない、次のような問いかけを自分にしてみてはどうだろうか。僕らはどうしてこんな状況におちいってしまったのか、このあとどんな風にやり直したい? 

そうだ。3.11で学んだのではなかったか。まだ半径1mの「自分中心主義」から抜け出せずにもがいている自分の器の小ささを、改めて痛感する。

そう、今はまだ「非日常」の中にいる。それがいつしか「日常」に変わる。肩を叩いて、抱き合ってまた触れ合える喜びを共有できる。そんな日が待ち遠しい。 

でもきっとその前に、考えなきゃいけないことがある。 よかったね、元通りだね。もしそうなった時、全てがそれで本当に良かったのか?

もっとも可能性の高いシナリオは、条件付き日常と警戒が交互する日々だ。しかし、そんな暮らしもやがて終わりを迎える。そして復興が始まるだろう。
だから僕らは、今からもう、よく考えておくべきだ。いったい何に元どおりになってほしくないのかを。

実際はそんな簡単に日常には戻れないだろう。既に、大きく変わらざるを得ないことがいくつもある。もうどうやっても元に戻らないことだってあるだろう。反対に、沢山の変化に紛れてひっそりと元に戻ろうとする「元通りになってほしくないもの」がきっと存在する。

僕には、どうしたらこの非人道的な資本主義をもう少し人間に優しいシステムにできるのかも、経済システムがどうすれば変化するのかも、人間が環境とのつきあい方をどう変えるべきなのかもわからない。実のところ、自分の行動を変える自信すらない。でも、これだけは断言できる。まずは進んで考えてみなければ、そうした物事はひとつとして実現できない。

元通りになって欲しいもの、欲しくないもの。そのために何ができるか。そう簡単に分かるものじゃない。

でも、コロナが収束してまた「自分中心」「人間中心」の中で生きる自分ではありたくない。そこには戻りたくない。人間は世界の中心ではないことを心に刻みながら、人を大事に生きていきたい。

そのために何ができるか、まず考えたい。できれば一緒に考えたい。話がしたい。どうせなら楽しく、ね。

引用:パオロ ジョルダーノ. コロナの時代の僕ら (Japanese Edition)

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