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人生ずっと体調が悪い話~こんなダラダラした脳梗塞あるんかい~

脳梗塞ってパっとなってパタッと倒れるイメージがあるけど
こういうバージョンもあります。
というお話。


私の人生は基本的に体調が悪い。
普通の状態が既にちょっとしんどい。

そんな私が20歳の夏、右の頬に違和感が。
頬っていうか鼻の横らへん?なんかちょっと痛い気がする。
それは副鼻腔炎では?となり耳鼻科でレントゲン撮るも何も映らない。

気のせいかな?と思ってる間にそのなんとなく痛い気がする箇所は毎日徐々に広がってくる。

痛いっていうか痺れてる?

なんやろな~とか言いながら何度か耳鼻科に通ってる間も上下左右に広がっていく。

そのうち口の中の右半分の感覚がおかしい気がしてきた。
右側だけなんか冷たく感じる気がする。

どんどん広がる。

その少し前から頭痛はあった。
後頭部がなんか痛い。
でも体調がなんとなく悪いのはいつものことやから。

広がる広がる。

この頃から日光がいつもより眩しく感じだす。
元々色素が薄目なので、太陽光は苦手やったけどいつもよりツラい。というか日光で目の奥が痛い。

気付けばきっかり顔の右半分だけが皮膚の感覚がなくなっていた。
それでもまだ耳鼻科に行っていたwww
鼻の中や耳の中も右側だけ違和感を感じていた。
半月とか・・・1ヶ月は経ってないと思うねんけどなあ。
じわじわと増える感覚のない箇所が遂に後頭部と首より下にもおりだした頃、ようやく紹介状を書いてもらって近所の神経内科へ。

その頃はもう体がしんどくてしんどくて病院行くのもめんどくさて感じやった気がするけど。

これやったけどほんまに全然できんかったw
自分の鼻にも先生の指にも辿り着けん。
でもそれももうどうでもええくらいしんどかったので、そのできないことにもショックも何も感じなくてとにかく寝かせて欲しいと思ってたことを覚えてる。

ほんでなんとこんなけ症状が出てるのに脳を撮影した画像には一切何も映らず担当医困惑。
とりあえず即入院。
何かしらの膠原病の可能性もあり。

という状態で点滴打ち続けていたものの、麻痺はどんどん広がっていき
遂には箸が持てない状態に。
今になって思うけど、この時の両親の気持ちを思うと居た堪れないね。
一番絶望しとかなあかんはずの本人はしんどくて絶望する元気もなかった。
ほんま無の状態やったから、親もどうしていいかもわからんかったと思う。
落ち込んだりしてたら励ましたりなんだりできるけどさ、本人無やからw

というのも私はこの頃にはもう希死念慮があり、
なんかどうでもいいという気持ちもあった気がするなあ。

入院中も何度か画像を撮っても何も映らないまま半月ほど点滴打ってたらそのうち麻痺は治ってたwww

は?

てかんじやけどよくわからんうちに治った。
ほんで退院間際位に、これ・・・これかなっていうの映ってるんですけど・・・
てかんじの見せてもらった。
その後1年通院と検査入院をして終了。

今思い出してもなんやよくわからん。
こういう病気をすると、結構みんな

命は儚い!やりたいことをやろう!キラキラ

と、その後の人生を充実したものに変換するらしいという話をよく聞きますが、私の場合は

いやーーもうせっかくやし無理せんとゆっくり生きよう。

と思ったのでした。
人生色々。

そして無理せんはずが勝手に激動の20代を過ごしたら
30歳の頃バセドウ病になったのでした。
つづく。


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