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救いようがないワタシとその過去

こんにちは!めんだこです。

今日は、久しぶりの読書記録です。

私は、辻村深月さんが大好きです。
というもの、小学生の時に母にすすめられて読んだ『凍りのくじら』が私的に大好きな作品となり、読書好きになった契機とも言えるものだからです。

辻村さんの好きな所は、人のどうしようもなく些細なダークな部分を掬い上げて露呈させてくるけれども、最後にはそんな部分を救い、希望的な道筋を見せてくれるところです。

自分の無意識下であろう、最低な部分を認知させたうえで救いもする。
作家としての凄みを感じざるを得ません。

ある時、大学時代の後輩にそんな話をしていると、
「めんだこさん!!!この作品は辻村さん救ってくれませんでした!!!」
と告発がありました。
そんなことがあるものか!!と慌てて手に入れたのがこちら。


4つの短編集から成る比較的薄めの1冊。
ポップな表紙と計量的な見た目に反して、かなり重たい1冊です。

あの、私は朝に読了したのですが、その日一日本当に胸が重くてどうしようもなかったので、休み前日の夜とかに読むのをお勧めします。全力で。笑

どの短編でも共通するのは、
どこかで人を軽んじたり、無意識的に蔑視したり、軽視した過去を現在になって、当事者に突き付けられ、思い返してみれば自分の中では取るに足らないもので、もはやどのような発言をしたのかすら覚えていない。

そんな中で、ナイフのような言葉でぐさぐさと、自分が無意識に人を傷つけた過去について直視させられるというようなものです。

読者としても、何が真実なのかが分からない程、両者の会話も過去についての捉え方も異なっている。
そのちぐはぐな感じが読んでいてまずもやもやします。

それだけではなく、無意識の言動だからこそ覚えていない数々の発言をとりあげられ、凶器のように仕立て上げられる状況
あたかも揚げ足を取られているかのように捉える登場人物にも、
しょうもないと思いながらも少し同情してしまいたくなります。

当の本人は傷つけるつもりがないのを分かっていても、
勝手に傷ついてしまう繊細なめんどくさい自分。
全く悪いなく放った言葉が思いがけない形で相手に届き、
無意識に傷つけてしまっているかもしれないという恐怖。

どちらも分かりすぎて、どっちの立場になる可能性も高すぎて、戦慄しました…。
正直、この本を読んだ後は、人と関わるのが少し億劫になります。。。

そして、結果的に救われるような解釈を持つ登場人物も特になく、4つのストーリーは終わります。(しいて言うならば、「ナベちゃんの嫁」の「私」は、無意識的な愚かさを正しく認知し、受け止めてはいるように思いました。)

確かに、現実世界もそう甘くはなく、簡単に救われてはいけないのかもしれないし、救われないことの方が多いのかもしれない。
そういった意味では、リアルを徹底的に追求しているのかもしれません。

また、簡単に救われるようでは、「無意識」の愚かさとは呼べないというか。「無意識」という強めなアイデンティティこそが今回の主軸なので、通常救われないどころか認知さえされないものばかりなんだと思います。

むしろ、認知しないで生きていけたらどれだけ幸せだろうか。。。と思ってしまうくらい。

ですが、敢えて顕在化し、認知することで自分にとっての「無意識」が他者へのナイフになり得ることを知るだけでも対人関係の構築が成長するかもしれません。

恐らく、いくら気を付けたとしても他者との間にかみ合わない会話と過去を持ち続けると思います。もし、かみ合わない一面が露呈したときには、それでも対話を辞めないこと。
何が真実なのかどうかよりも、他者にとっての「過去」を受け取め、寄り添うことが大切なのかと思います。
かなり大人にならないと出来なさそうですが…。
でも大切な相手であれば対話し、寄り添う過程こそが信頼関係を作りますよね。

そこまで重要でない人なのであれば、「自分の過去」として自分の範疇で扱う分には自由ですから。

まぁ、人の数だけ、過去もあるし、でも本来真実と呼べるものは1つのストーリーでしかないはずで。
結局事実への捉え方がその人の真実になるということなのでしょうかね。

考えるべき点が多すぎて、それ以前に心へのダメージが大きすぎて、この作品は良くも悪くもしばらく引きずることになりそうです…。

皆さまも是非読んでみてください~

めんだこ。


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