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ひとりずもう

毎日、人の数だけ違う事が起こっています。

同じ日なんて無い。

一瞬も無い。

自分に起こる事をよく観察し、考え込んだりできる事こそが、人生の妙味なんだろうなと思うんですよね。

なぜなら、自分のことだけ考えていると。

他の人は、毎日、同じような考えで、同じような出来事を過ごしている気がしてくるものです。

幸せそうな人は、ずっと幸せにしているんだろう。

バカな人は、ずっとそんなバカをしてるんだろう。

嫌な人は、ずっと意地悪い行動をしてるんだろうって。

けれど、そんなことはないですよね。

考えるまでもなく。

例えば、嫌な人だって、目の前では憎らしい行動をしていて、仮に、「あんなヤツと一緒に仕事した人は、ホントにかわいそうだ」なんて決めつけられたとしても。

他の人の前では、いつもニコニコして心穏やかに過ごしているかもしれない。

自分の人生を決めつけるだけで飽きたらずに、他人の人生まで決めつけるようになったら、人生には、きっと何も起こらなくなるんじゃないでしょうか?

起こらないというより、気づかないんだろうなぁ^^;

そう、生きてると色々ありますよね。

良いなと思っていたモノが駄目になったり。

駄目だと思ったモノが良くなったりするには、十分すぎるほどの時間があります。

人生の多くって、実は、「雨垂れ石を穿つ」じゃないか?と思う様になっていて。

一粒の雨が、色んなベクトルとして石に落ちても、石に穴をあけることはできません。

同じベクトルに集中することによって、はじめて力が発揮されるわけです。

回りの人たちの意見に惑わされてしまい、本来の自分自身の向かうべき方向を見失ってしまうことがあります(^^;

冷静になって自分自身のすべきことに集中することが大切だということを教えてくれていて。

だったら、好き嫌いで割り切らず、抱えられるものは抱えていく。

やってみて。

挫折して。

また、しばらくしたら、やってみて。

こんな、ゆっくりした感じで様々なモノの良さを探窟するのが、人生というモノの醍醐味なんじゃないかなと、そう思っています(^^)

例えば、その様な生き方を理解できるかどうかは、雨によって窪みの出来た石を見て、自然の力に感動することが出来るか?

人というのは、感動することによって心が豊かになり、心が豊かになれば、心に余裕がでてきます。

心が豊かな人は、物事を冷静に見ることもできます。

心に余裕がないときは、頭の中や会話の中で、次のような言葉を発したりしています。

「忙しい」「疲れた」「嫌だ」「大変だ」「難しい」「できない」「やりたくない」「やってられない」「ダメだ」「不幸だ」「どうせ」「どうでもいいや」等。

どれもマイナスイメージばかりですよね(^^;

逆に、心に余裕が出来ると、発する言葉も変わってきます。

小さなことでも、こつこつと日々を省みて、根気強く続ければ、明日に繋がる経験が宿り、それが私たちの成長の糧になるので、大切にして行きたいですよね。

そのためにも、結果をすぐ求めず、過程の充実を心がけて、それを習慣化できれば、尚更、良いのではないかと考えていて。

その際、もし習慣化の最終奥義?が有るとすれば、たぶん、8割から9割の人が、習慣化に成功するのではないかと推量する共通の要因。

それは、その習慣が、自分のためだけ(ひとりずもう)ではなくて、大切な人のためにやっているということではないかと思います。

本質的に、人は、自分のためには怠けてしまう(^^;

大切な人のためには、怠けることができない。

あの人のために頑張ろう。

あの人が喜んでくれるから一生懸命やろう。

そういった事が見つかれば、ほとんどの物事が習慣化する事に成功するのではないかなって、そう思います。

大切な誰かのために何かをやろう。

自分のためでなく。

そして、それが自然にできるようになれば、いいよね(^^)

そんな、色々あるから、生きているんだとも言えるんじゃないかと。

そうじゃない?

今日も一日、頑張っていきましょう(^^)

【参考記事】
好奇心を持たせられれば、人は夢中で頑張るようになる
https://blog.tinect.jp/?p=76873

脳科学者・中野信子氏が語る「親ガチャ」問題 選ばされた「不本意な運命」にどう向き合うか
https://logmi.jp/business/articles/327018

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