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【壁がある。だから、行く。】時代のせいにしていたら

パリ・ルーヴル美術館に所蔵されているサモトラのニケ

時代は、このまま変わらない。

[テキスト]
「三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾」近藤康太郎(著)

人は、生まれる時代も、世界も、選ぶことは出来ない。

しかし、どう生きるかを、決めることはできる。

だから、勢いで出した答えを、もう一度、考えてみることもできる。


再考①:孤独を学べ

大人って、何だろう?

歳を取れば、誰だって、大人になる?

そんなはずはない、に決まってる。

こうすれば、大人になれると、書いてある本は、どこにもない。

それでも、世間には、素晴らしい大人と、そうでない人がいる。

なぜだろうか。

たぶん、生き方なんだろう。

大人になるために、何からはじめるか。

私は、こう思う。

自分は、何のために、生まれてきたか。

自分は、どんな人になりたいか。

それを、無駄だと知りつつも、改めて、考えることだ。

考えること。

その答えを、探すことには、不可欠なものが、ひとつある。

それは、一人で考え、一人で歩き、一人で悩むことだ。

孤独を学べ。

孤独を知ることは、他人を知ること、なのだから。


再考②:私の声を聞こう

誰かの声じゃなく、自分の心の声を聞く。

大きな声じゃなく、小さな声を聞く。

それは、とても勇気のいること。

そして、とても大切なこと。

誰かに、言われたことじゃなく。

自分の内なる声に、素直になって、

生きる人たちが、毎日を変え、世界を変えてきた。

私は、もっと、気持ちよく生きていい。

私は、もっと、楽しんで生きていい。

私は、もっと、幸せなっていい。

私が、心地よいと思うものを、身につけよう。

私が、大切にできるもので、身を包もう。

私が、正しいと思うことに、身をささげよう。

さあ、心の声に耳をすませて。

そうすれば、きっと、話し始めることができるから。

私だけの声で。


再考③:見たいが世界を変えていく

海の向こうを、見たい。

だから人は、船を創った。

宇宙の果てを、見たい。

だから人は、ロケットを創った。

レントゲンも。

望遠鏡も。

そして、テレビも。

見たことのないものを、見たいと願う。

人間の本能から、どれも、生まれたものだ。

「見たい」

その時、人は、未来に、繋がっている。

それは、生きる世界を、どこまでも広げ。

より、深く。

より、豊かに。

より、面白くするエネルギーへと、変化していく。


再考④:生きるって何だろう

平家物語を、引き合いに出すことも、なかろうが。

生きるということは、死ぬ、ということではないか。

あるいは、死につつあること、と言っても、いいのかもしれない。

満開の桜が、そうであるように。

漆黒の天にかかる満月が、そうであるように。

全霊で生きるものは、何の迷いもなく、己を散らせることへ、突き進んでいくのみ。

であるならば。

この微塵の一生。

いつか、どこかで、花を開き。

円く満ちるときを、留めることこそ。

全てだと、言えはしないか。

天と地との狭間に。

抗うだけの毎日に。

風穴を開けられるのは、自分しかいない。


再考⑤:まだ知らないことがあったという幸福

この国は、広くはない。

でも、この国は、広い。

そして、深い。

四季、二十四節気を跨ぐ、多彩で、気まぐれな、自然の気質。

そこに、その土地土地に生きる人々の、表情や、知恵や、文化が、滔々と息づいている。

また、この国は、分かり易くはない。

だからこそ、

「その奥にある何か」

への興味は、尽きない。

時も季節も、常に、変化する。

人や、ものや、ことが、次々と生まれ、その役割を果たし、そして、淡々と消えていく。

この国には、その連なりを、

「うつろい」

という概念で、受け容れ、千載一遇のこと、奥深きこと、としてきた類まれな感覚がある。

深く、深く、その季節と、場所を訪れ、そこで、出会う、時どきのうつろいを、愛でる。

それこそが、殊に、この国を旅する、究極の醍醐味ではなかろうかと、さえ思う。

まだ、知らないことがあった、という幸福を、実感する道程へ。

日本の奥の深さと、出会い。

時どきの、うつろいを愛でる。

人生の、今までにない体験と発見を、この目で見る旅へと。



【雑談】

楽しくない、訳じゃないけど。

楽しくもない、この時代。

楽しい事だけを、やっていたい。

そのひとつが、面白いことを見つけて、書く。

文章で、表現するとは、そういうことなのだと思う。

嫌な、つまらない、愚劣なことが、多ければ、多いほど、いっそう、「面白さ」が、必要になる。

つぶされないように、明るさと、寛容さを、失わないように。

自分自身で、いられるように。

考えて。

書いて。

生き延びる。

生きることは、すなわち、考えて、書くことであり。

考えて、書くことは、読むことと、密接に、繋がっている。

だから、読書は、素晴らしいのだと、そう思う。

【テキスト参考文】

「富―貧、名声―無名、権勢―服従、強大―無力、健康―病弱、教養−無知、労働―無為、飽食―飢餓、善行―悪行、これらは単に自由の程度の大小に過ぎない。」

「言葉は、自分の考え、感情を表す道具ではない。

むしろ言葉が、自分の思想や感情を生起させる。

順番が逆なのだ。

だから、世間で流行している言葉を使うということは、自分のマインドとハートとを、世間に売り渡すことなのだ。」

「言葉にならない感情、言葉に落とせない思想は、存在しない。

言葉にならないのではない。

はなから感じていないし、考えてさえいないのだ。」

「文章を書くのはなんのためか。

~中略~

狭量と不寛容と底意地の悪さにあふれた、争いばかりのこの世界を、ほんの少しでも住みやすくするため、生きやすくするため、肺臓に多量の空気が入ってくるために、書いているのではないのか?」

「文章を書くとは表現者になることだ。

表現者とは、畢竟、おもしろい人のことだ。

おもしろいことを書く人がライターだ」

「目の前が広々と開けること、周囲が明るくなることを、古来、日本人は『おもしろい』と表現してきた。

『おもしろし』とは、本来、そういう意味だったのだ。」

「表現者とは、おもしろいことを、発見する人のことだ。」

「おもしろきこともなき世におもしろさを発見するのが、表現者であり、君子(屈託がなくおおらかで、おっとりと、他を攻撃しない人)であるのだ。」

「ところで、なぜおもしろいことを見つけなければならないのか。

それは、世界がおもしろくないからだ。

世界は愚劣で、人生は生きるに値しない。

そんなことは、じつはあたりまえなのだ。

世界は、あなたを中心に回っているのではない。

宇宙は、あなたのために生まれたのではない。」

「そもそも『おもしろきこともなき世』が常態なのだ。

だから、人類は発見する必要があった。

歌や、踊りや、ものがたりが、<表現>が、この世に絶えたことは、人類創世以来、一度もない。

それは人間が、表現を必要とする生物だから。

雪の朝の冷気のような、清潔で柔らかな、明るさというより深みのある、気持ちが開けるような、生きる空間が広がるような、そんな『おもしろさ』が、人間にはどうしても必要だったからだ。」

【参考図書】

「百冊で耕す 〈自由に、なる〉ための読書術」近藤康太郎(著)

「アロハで田植え、はじめました」(河出文庫)近藤康太郎(著)

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