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【クラシックとはどんな音楽か】個性こそが歴史に残る

クラシック音楽も同じ音楽なのに、何故、歌謡曲やポップス等は、次々と移りかわり、クラシックは、後世に迄、生き残っているのか。

その点について、不思議に思っている方も、多いかもしれません。

それは、作曲家たちが、曲をつくる時の基本的な視点に、あるのではないかと、私は、そう考えています。

歌謡曲の作曲家の方々のことを思い浮かべると、わかりやすいのですが。

彼らは、例外はあるにしても、まずは、

「いい曲を書いて、ヒットさせよう」

「多くの人々に歌ってもらおう」

と考えて曲を書くことが多いのではないでしょうか。

どのくらい人々にアピールするか、できるのか。

そのことが、意識として、かなり高いように見受けられると感じています。

クラシックの作曲家たちの中にも、そんな感覚の方々もいたのですが、ちょっと違う様に感じます。

確かに、時代により、単に、注文に合わせていた時期も、あったかもしれません。

しかしながら、彼らは、基本的に、

「他人と同じものは書かない」

「それでは 歴史に残らないから」

という意識が強いのではなかったかと思われます。

つまり、聴衆にウケることよりも、仲間の作曲家と違うこと、自分だけの個性を出そうとする意識の方が、強いように思えるのです。

或いは、誰かのモノマネをした作曲家もいるにはいたのではないかと思われますが、そういう人は、埋もれ、忘れられた、ということかもしれませんね。

いずれにせよ、歴史に生き残った作曲家たちの作品を聴いてみると、それぞれが、どこかしら、とても個性的です。

歌謡曲のように、

「似ている」

という印象は、極めて薄い様に感じます。

もっとも、作曲家達にしてみると、その様な作曲環境は、とても大変だったのではないでしょうか。

他人のやらないことをやる。

一見カッコよくは見えるけれど、実際には、後に登場する人ほど、不利であり、大抵のことは、先輩たちに、やられてしまうからです。

何かないか、何かないかと、やっているうちに、いつの間にか、自分だけの世界に埋没していき、気がつくと聴衆とは、まったく別のところにいた。

そういうことも、充分にあり得るのではないかと推定され、現代音楽が、ある意味で、行きづまっている、聴衆離れを起している、と言われているのも、もしかすると、その段階に来ているからかもしれませんね。

声楽曲だけでなく、さまざまな器楽・管弦楽曲が生まれて、それぞれが、発展・進化し長い歴史を創ってきたクラシック音楽の世界。

残された曲は、だから、どれをとっても、形・内容・響き・情緒等の点で、他にない、個性があり、魅力があるのだと、そう思って聴いてみると、クラシック曲は、一つ一つが、人間(個性)に似ているともいえるのではないでしょうか。

【季節とシチュエーションに応じたクラシック音楽】

flow - Shiori Sugaya × Masashi Okamoto

Reminiscence - Shiori Sugaya × Masashi Okamoto

福間洸太朗『幻想を求めて - スクリャービン&ラフマニノフ』

サティおじさんのおかしな交遊録

穏やか:エルガー「5月の歌」

切ない:ラフマニノフ「ヴォカリーズ(管弦楽編)」

カッコイイ:ラヴェル「組曲「鏡」道化師の朝の歌(チェロとピアノ編)」


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