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③苦しいと言えない人たちと今を変えたい人たち

2023.10.18
 
教育はあくまで投資であるアレにとって,私はリターンが少なかった失敗作。うん。知っている。わかっている。本当に申し訳ない。他人の「そういうものだ」「そういう時期だ」「いつか大人になったら関係性も変わる」という言葉も聞き飽きた。その「いつか」がくる前に疲弊していく。どこかにいる「私より辛い誰か」と比べれば恵まれている私の声は「我儘」となる。それも知っている。気にしてはいけない。それもわかっている。

 朝起きて,起こしてしまわないようにお弁当を作り,起きてしまう前に家を出る。学校に行き,私は笑いながら学ぶ。ここでもまた私たちは成長しなくてはいけないのだと絶望ながら。そして増えていくアクティブラーニングやレポートと,減ることのない暗記や小テストというタスクをこなす。委員会や部活や行事。私は私という存在を常に何処かの組織に属させようとする。評価のためと言って「それっぽい」発言をする友人を横目に,私も授業後教師へ質問しにいく。それが「良い質問」なのか「悪い質問」なのか教師の目の色を伺って。家に帰れば,閉じることのできない耳を憎みながら,椅子に座り,鉛筆を握る。時折入る妨害に抵抗することなくやり過ごし,あと数時間後にはまた冒頭に戻るのかと。その頃には絶望さえ存在しない。

 そして三年周期で,受験という「良い経験になる」とされるものに挑む。私という存在が,人と人の間に生きていると感じることは難しくなっていく。隣にいる他者は自分より上なのか下なのかを判断しないと気が済まない友人と話しながら,「いつか」彼らも考えが変わるのだから,その「いつか」を待てば良いのだろうかと思いながら愛想笑いをする。

 演じることに慣れきった私は,演じることに慣れきった友人たちと共に家路に着く。少数派だと思っている人々は,声として立ち上がらないだけで少数派ではないということ。それでも,どの環境でも起こりうるが故に,あるいは自分にも重なるところがあるからこそ,沈黙する人々。それでもそんな社会は嫌だと,「いつか」じゃなくて「今」を変えたいんだと。そういって心身を壊す人を見ながら,私は現代社会を生きていく。


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