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ちょっと艶っぽい「京都の大人の遊び方」_セカンドライフ

私の大好きな場所のひとつに、京都があります。
京都は歴史的探訪だけでなく、素晴らしい知と食が楽しめる素敵な場所です。

40代のとき単身で大阪に2年ほど赴任していたのですが、週末は何もすることもなく、暇つぶしに京都一人旅を始めたのが運の尽き。

京都の魔力に取り憑かれ、ほぼ毎週京都一人旅をしておりました。 

京都の歴史は、歴史書やお寺の立て看に書かれている解説を読めば、その場所の由来を学ぶことができます。

しかしです。。。。色んなお寺や、名跡を訪ねるうちにあることに気づいてしまったのです。

京都の名所名跡は必ずその時代の権力者や雅の人達が関わっており、人間関係、男女関係を通してみると、なにやら艶っぽい世界が見えてくるのです。
※私は、これを「夜の京都解説」と名付けました。。。汗

今日は、いま大河ドラマで有名になった後白河上皇と法然のお話します。

ただし、これからお話することはあくまで私の勝手な想像の物語ですのでご容赦を!
  

1.昼の京都解説(後白河上皇、法然編)


1200年代に京都東山に往蓮山安楽寺というお寺がありました。
このお寺は、法然の弟子で往蓮と安楽という僧侶のよって建立された浄土宗の寺です。
 
当時、後白河上皇には美しい女官、鈴虫と松虫という姉妹がおりました。
二人は、あまりの美しさ故に女官の間で妬まれて嫌世していたとのことでした。

1206年、後白河上皇が熊野神社に参宮の留守中、鈴虫と松虫は往蓮山安楽寺に逃げ込み、住職であった往蓮と安楽は二人を出家させてしまったのです。
 
これに激怒した後白河上皇は往蓮と安楽を死罪にし、師匠であった法然は讃岐国に流罪されてしまいました。

数年後、法然が帰ったとき往蓮山安楽寺は荒れ寺になっていたため、法然は知恩院に住むことになりました。

400年後の1608年。
法然の魂を祭るために、知恩院住職によって法然院が建立されたました。
そのためこのお寺は、世間に門を閉じ参拝を拒絶しています。

ここまでが、一般に解説されているお話ですが、さてここからが夜の解説です。

2.夜の京都解説(後白河上皇、法然編)


まずなぜ鈴虫と松虫が後白河上皇の留守中逃げたのか?という謎です。

私の推測では、後白河上皇はかなり嫌な奴、または醜男だったに違いありません。でなければ二人揃って出家するなど考えない。

更に如何わしい解釈をすれば、後白河上皇の夜の営みは、かなり酷いものだったと考えざるを得ません。(これ以上は言えません。ごめんなさい!)

 鈴虫と松虫は、後白河上皇のお気に入りの女官ということは、間違いなく相当な美人です。

夜中にこんな美人二人がお寺に飛び込んできたのですから、いくら僧侶とは言えども、往蓮と安楽は心乱れたに違いない。
例えばこんな風に。。。。。
 
往蓮「どうしよう。。。めっちゃいい女っすよね。でもこの二人を出家させちゃえば後白河上皇も手を出せないけど、そんなことしたらやばいっすよね?」
 
安楽「そうだような。。でもこのまま戻しちゃったら可哀そうだよなぁ」
 
往蓮「だよなぁ。取り敢えず出家ってことで、後は法然様になんとかしてもらいましょうよ」
 
安楽「そうっすね。法然様だったらなんとかしてくれますよね? じゃぁ取り敢えず、剃髪して泊まっていってもらいましょう」
 
往蓮「そうっすよね。そうしましょう」

後白河上皇がこのいきさつを知るところとなり、往蓮と安楽は逆鱗に触れて死罪。

法然はとばっちりを受けて讃岐国流罪となってしまった。きっと法然は、こんなことを考えたに違いありません。
 
「まじかよーー。なんで俺まで流罪になるんだよー。あの二人。勝手なことしやがって!」
 
部下の不始末の責任を取らされることは、今の世にもよくあることです。

しかもトップの愛人にちょっかいかけて、部下の責任を取らされた法然は、きっと忸怩たる思いだったでしょう。

3.想像と知で遊べる京都は楽しい

まぁ以上は下世話な余興ですが、京都は雅の土地ゆえ艶っぽい話に思いを寄せながら、一献嗜むのも楽しいものです。

他にも、こんな艶っぽい想像させてくれる場所は沢山あるんですが、今日はこれくらいにしておきます。

戯れ言でした。ごめんなさい!


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