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【読書感想】写真で何かを伝えたいすべての人たちへ

どうも、地方公務員のばたやんです。

今回は、写真に関する書籍の読書感想になります。

写真やカメラに関する本はいくつか読んだのですが、撮影に関するスキルや道具のお話がメインであったのですが、今回読んだ本書は度の本よりも哲学的でした。


🔷写真で何かを伝えたいすべての人たちへ

著者:別所 隆弘
インプレス


🔷本書を読もうと思ったきっかけ

私は、昨年2023年4月にミラーレス一眼カメラを購入し、そこからなんちゃってフォトグラファーを続けており、最初はカメラで写真を撮る楽しみに浸っていたのですが、だんだんと違和感?というか迷い?みたいなものを感じ、本書のタイトルを一目みただけで読んでみようと思いました。


🔷違和感?迷い?

私は基本的にカメラで撮影した写真はレタッチ(編集)せずにスマホに転送してInstagramなどのSNSに投稿しております。

SNSに投稿するということは、フォロワーやそれ以外の方から「いいね」などの反応を受けるということになります。

それはありがたいことなのでポジティブに受け止めているのですが、問題はその先にあって、私のタイムライン上にとてつもない数のいいねが付いた絶景写真がたくさん表示されるようになってしまいました。

私は個人的にノンレタッチ(無編集)が好きなので過度にレタッチされた写真は苦手で、またそれらの写真にいいねがたくさんつくのもやや懐疑的な視線で見ていたりします(ひねくれものなので)。

そのようなモヤモヤを抱えながらも写真を撮ること自体は楽しいので続けていたのですが、本屋でたまたま本書を見つけ、タイトルに撃ち抜かれて即購入しました。


🔷ほかの写真書籍にない哲学的な内容

本書は「はじめに」で、表現がSNSやAIによってコモディティ化される「表現の死」が近づいているとしており、それに対して「人間とは何なのか」を写真を通じて探求していくことを本書で行う、と書いていてこの時点でだいぶ哲学すぎん?おもろとか思ってしまったんですね。

私も写真やカメラの本は読んできましたが、ここまで哲学している本は出合ったことなくてですね、とてもワクワクして読み始めました。


🔷写真は真実を写すのか?


日本語の「写真」の語源は、中国語の「真を写したもの」とされております(Wikipedia先生)。
しかしながら本当に写真は常に真実を写しているのでしょうか?
Googleで「It's media」と検索していただくと有名な一枚の画像が見られます。


この画像からわかることとしては、写真は事実の一部を切り取ることができるが真実は事実というパーツからいかようにも作られる、という事でしょう。

写真に写されるものは紛れもなく現実世界の一部を切り取った「事実」ですが、それを見る側の解釈(認知)で「真実」は揺れ動くものだ、と本書でも書いています。

私なりの解釈では、受け取られる状態のものから得られるものこそがそれぞれの「真実」であり、SNSに投稿された画像から人々はそれぞれの「真実」を得ているということになると考えます。

私は写真を撮るときに「想いや空気を伝える」ことに重きを置いていて、それが伝わるように撮影に臨んでいます。


🔷表現のコモディティ化

バズが引き起こす現象として、表現のコモディティ化があると本書では書いており、それまで知り合いや自分のフォロワーからしかなかった反応が、突然通知が鳴りやまなくなりどんどん反応の数字が上がっていく、しかし数日もすればまたいつも通りの反応にもどっていく、この過程でバズには「数値が価値を押し上げる」作用があると本書では説明しています。

本来、写真は芸術的だったり質の高いものが選ばれ反応されていたものが、「バズっているから」という理由で反応される、そうするとその写真本来の価値は数値の後ろに隠れてしまう。

もちろん「バズっている写真がすべてダメ」というわけではなく、写真を表現やコミュニケーションの手段として使っている私はここにかなり悩まされていることに気づきました。

表現が一瞬で消費されていってしまうまさに表現のコモディティ化、本書の帯にもこうあります。

あらゆるクリエイティブが一瞬で消費される時代に表現を続けていく意味を写真家、文学研究者と渡り歩いてきた著者が体験とともに解き明かす。

写真で何かを伝えたいすべての人たちへ

この、表現のコモディティ化に対してどうすべきかについて、著者は次のように考えています。


🔷写真の「語り直し」

写真の持つ力として「世界をどう解釈したかを語り直させる」というものがあると本書では書いています。

バズが消費と相性がよいとするならば、最も相性が悪いのは物語なのだ。(中略)1枚の写真に重ねて残される「物語」は、1枚の写真から読み取られる、撮影者が残した祈りと希望であると思っている

写真で何かを伝えたいすべての人たちへ


表現がコモディティ化されてすぐに模倣されるものであるならば代替性の低いものは何なのか、本書では物語が代替不可能なもの、そして写真は世界をどう解釈したかを語り直す行為そのものだと書いています。

そして、本書ではこの「語り直し」は織物を織るような行為だとも説明しています。

写真を撮る時に感じたこと、写真から見出した意味、それぞれが結び合わされてやがて壮大な織物を作り上げることとなる。

これこそが写真がコモディティとなることから救う希望となる。


🔷写真を撮る行為への意味づけを再確認

本書では語り直しの道とは、「映え」という王道を外れて獣道を探すようなものだ、と書いています。

私は本書を読んで写真を撮る側にあって、写真を見る側の憧憬に語りかけその人が語り出したくなるような写真を目指したいと考えました。

Instagramのプロフィールも「写真で想いと空気を伝えるフォトグラファー」としているのも映えよりも伝える伝わることを優先しているからで、昨今の「映えなければ意味がない」風潮と反対方向に向かっていると感じていたところでした。

本書を読んで、バズが引き起こす写真のコモディティ化や「語り直す」ことで見える希望をさまざまな切り口から知ることができ、私自身の写真哲学を見直すよい機会を与えていただきました。

ここでは紹介しきれなかった、フランスの哲学者ロラン・バルトの「ストゥディウム」と「プンクトゥム」のお話も非常に興味深かったのですが、私の文章力ではただただ説明になってしまいそうなので割愛しました。

カメラをやっていなくても表現のお話しや行動経済学と繋がるお話がありますので興味がある方は読んでみてください。



今回は趣味寄りのお話になってしまいましたが、この記事の内容が誰かの力や気づきになれれば幸いです。

それでは、地方公務員のばたやんでした。

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