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旅の記憶 1994・夏 最後の思い出



30年前の夏
僕はペシャワールの
小さな村にいた


一通り校内を案内された僕らは
再び村を歩く
村の案内はこれで終わりで
帰路に着く


追いかけてくる子供達



この辺りの記憶はあまりないが
村の外に向けて歩いているようだ
この子達は僕たちの後を
ついてきていたのかな

背の高い塀に囲まれているみたい


こうしてみると
村は塀に囲まれているように見える

そう言う慣習なのか
はたまた安全対策なのか


この少年は学校に行っていないのかな


学校にはたくさんの少年がいたが
学校に行ってない子もいたようだ

案内された学校は
私立の学校みたいな感じだったのかも


道端で遊ぶ子供達 


この村でのことは
せっかく貴重な機会だったのに
言葉が通じなかったせいなのか
あまり記憶に残っていない

30年たった今写真を見て
あーこんなだったんだ
と言う感覚だ


笑顔が見たかったな


思うに、中国国内では
会話は通じなくても筆談で
コミュニケーションが取れていた

パキスタンでは
公用語であるウルドゥー語は
全く理解できなくて

この時もパパ氏に連れ歩かれただけだから
結果として旅の記憶としては
薄いということなのだろう


はにかむ少女


海外を旅するならば
やはり言葉が通じた方が
何倍も楽しい

旅の最中もそうだが
中身の濃い旅になるから
必然思い出としても
色濃いものになると思う


なぜか牛に乗っているケンイチロウ


こんな印象的な一コマも
全く記憶にないのが
残念だ


村を出る時の見送りの様子かな

30年前の旅の写真を振り返りながら
写真と体験と記憶について
感じたことは

強烈な体験や
辛かったことは
鮮明に記憶に残っているということだ

その時その問題を解決しようと
四苦八苦して
悩んだり仲間と相談したりした
ことは30年たった今でも
記憶にしっかりと定着している

写真は瞬間を切り取るだけだけど
その経験の中で撮った写真は
記憶を蘇らすきっかけになる

綺麗な景色だったり
印象に残ったものを
思いつきで撮っただけの写真は
記憶を蘇らす
きっかけとしては
少々弱いようだ


村を出たところだろうか


僕はこの時日記もつけていたが
白紙のページも多くて
その空白は僕の記憶の中でも
空白のままだ

こまめに日記をつけていれば
写真と日記とで
蘇る記憶も増えるかもしれない


村を出て、街に帰るところだろうか


僕は旅が好きなので
仕事をリタイアしたらまたこんな風に
知らない国に行ってみたいなと
思っている


その時もカメラを持っていくだろう
そして今度はしっかり日記もつけようと思う

その旅を
30年後に振り返ることはないだろうけど
こんな風に記事に残しておけたら
思い出がいつまでも
残ってくれるような気がするから

僕の体験を
誰かが読んでくれて
その人の旅や写真に対する
何かのきっかけになってくれたら
嬉しいし

なにより僕の中の記憶が
形になってしっかりと
残っていることが嬉しい


終わりに

旅の記憶
シルクロード〜パキスタン編は
これが最後の記事になります。

1994年8月5日に大阪港を出てから
9月4日まで、約1ヶ月の旅の記憶

拙い文章と、上手ではない写真ですが
僕の体験を読んでくれた皆さんに感謝です

当時大学生だった僕が
こんな風に旅をしていたことを
30年たった今振り返ってみて
当時のことを懐かしむというよりは
もう一度旅をしているような感覚で
記事を書きました

忘れていた旅の思い出を
思い出せたこと

長く眠っていたフィルムが
こうして日の目を見ることができたこと

改めて、自分が
旅と写真が好きだと言うことを
初心にかえって思い出せたこと

また旅に行きたいなと
強く思えるようになったこと

皆さんのスキやコメントがなかったら
途中でやめていたかもしれません
皆さんのおかげでこうして全ての写真を
振り返ることができました

見てくださった皆様に
感謝です


1994年夏の旅の記憶はこれで終わりですが

次は1995年春
チベット〜ネパール編をお届けします

少し準備の時間をとって
4月から公開予定ですので
ぜひまた見にきてもらえたら嬉しいです

ここまでお付き合い頂き
本当にありがとうございました

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