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西村賢太『羅針盤は壊れても』(2018年12月)

 残念ながら私は持っていないが、西村賢太の本で装幀へのこだわりが最も分かりやすい形で見られるといえば、まずは函付きの『羅針盤は壊れても』だろう。付録までついている。

 『一私小説書きの日乗 堅忍の章』(本の雑誌社)の2018年10月19日部分には、近代文学の古書好きな彼が、大正期から昭和三十年代前半までの文芸書を想起しながら、「”函入り”と云う、現在では流行らぬスタイル」のこの本の準備を、「色々初めてとなる試みが楽しみでならぬ」と書いている。

 亡くなる直前、2021年12月の「週刊読書人」での新庄耕との対談においては、「自分の本なんだから、他人まかせにできる方がおかしい」、「原価まで計算して、紙代から装幀代、函の折代、組版代まで書面にする」と言い、『誰もいない文学館』(2022年 本の雑誌社)には、城昌幸『みすてりい』(昭和38年)の装幀の「何んとも魅力的」な、その本体、箱、帯の鮮やかな青色だけでなく本文のインクの色までもを意識したと書いている。

 2018年10月2日の『日乗』には、「講談社でイラストレーターの信濃八太郎氏、装幀家の浅妻健司氏と打ち合わせ」とあるが・・・


 この打ち合わせに先立って、彼は函本の好例として見せたかったのだろう、参考資料を準備していた。
 当初テーブルの上に置いてデジカメで写真を撮っていたが、灯りが写り込んでどうもうまくいかないようだ。するうちに舌打ちが聞こえてきた。

「スキャンにすればいいじゃん」
「?」
「うちのプリンター、スキャンできるんよ。あそこに置いてビャーってやっ
 たらきれいにとれるよ。写真より絶対きれいだよ」
「…でも大丈夫かよ。変な光とか当たるんじゃねえか?」
「コピー機だって変な光、当たってんじゃん」
「…本当に大丈夫なんだな?」
「大丈夫だよ」
「そうか、ならやってくれよ。任すからよ。…気を付けろよ?」
「あ、じゃあ置くのはけんけんが置いてよ。私ボタンだけ押すから。」

固唾を呑んで家庭用コピー機を見守る彼。
大陸的にボタンを押し間違える私。
コピーをとってトナーを無駄遣いするコピー機。

…無事にとれたPDF。

プリンタドライバに残っていた

 このデータをノートパソコンから彼のデジカメにに入っていたSDカードに移してやった。
「他のデータ、開けんなよ」 人質でも取られたように言う。
「面倒くさいな、見ないって。…はい、できた」
「お前、パソコンのほうのデータ、消しとけよ」
「消したよ。てか移動させたんだから、そもそも残ってもないよ。
 このSDカード持ってって、担当者の人に『お願いします』って言えばそっ 
 から先はしてくれるよ」

 しかしそこは、念には念を入れる男、西村賢太である。
「お前、このデータだけ、編集者に送ってくんね?」という訳で、口述筆記ならぬ口述タイプをして、私のアドレスから担当編集者の方にメールを送った。

 こうして西村賢太は東京へ帰って行った。
 SDカードを私のパソコンに残して…😱


 函に触れられていないのは残念ですが、好きな書評です。

生活不能者のような主人公が、この国の私小説の正統な継承者であるという小説家の秘密があかされる。貫多は、自らを社会という表面から閉ざすことで、私小説作家たちの言葉に寄り添い、人生を生き直し、無頼のなかに希望を見いだし、挫折のただ中に自由と夢を創り出す。

富岡幸一郎

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