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適応障害で休職中 考えた結果、本当に父との縁を切る

11年程前になる。
最後に父に会った日に
「私はパパを死んだと思えっていうこと?」という私からの問いに
父は、うなずいた。


17年前、私がシングルマザーになろうかどうか、
つまり離婚するかどうかの時だった。
父は「まだ、かじるスネはあるぞ」と言ってくれた。
金銭的に頼っていいぞ、という意味だ。
母も、祖母も「そんな夫と一緒にいる意味は無い。早く離婚しなさい」と私に言った。
まず、最初の問題が金銭面だったので
父のその言葉はありがたかった。


でもそれはおそらく、今思えば、
存命だった母に対するカッコつけだったんだと思う。


15年前に母が亡くなったあとは
父は、娘と孫への接し方に苦慮していたのかもしれない。
私としても、父は頼れるどころか扱いに困る対象になっていった。
家族の人数が減って、かえって父とは距離ができていった。


母が亡くなって3年経つと
父は「再婚する」と言って家を出て行った。
父と話し合いを重ねたのだが
父には何も伝わらなかった。
そして最終的に、冒頭の会話となった。

あれから、父には会っていない。


そもそも昔から父は、仕事とゴルフばかりの人で
家では新聞を読んで、スポーツニュースを見て、庭を少しいじる程度。
本人は家庭円満、のつもりだったのかもしれない。
仕事の面では私は父を尊敬していたが、
父は家族との関係性がずっと薄い人だった。



昨日、家で見た映画で
事情があって疎遠になっていた父親に
成長した子が会いに行くシーンがあった。
今は疎遠でも、幼少期の温かい父親との思い出が映画の主人公にはあった。


私には、一緒に遊んでもらったとか
そんな温かい父の思い出はないなぁ。
火傷して、母に放って置かれたときに
父が気づいて、手当てしてくれたくらいかなぁ。


11年も疎遠になっていて、道義的には会った方がいいのかな。

でも。

私は就職活動を途中で止めて、県外から実家に呼び戻され
母の看病、介護を12年間私に丸投げされた。
「パパには無理だからよろしく」と。

母がもうすぐ亡くなるという時、
私に任せて、父は平気で病院から帰っていった。


母が亡くなって、父は私に、私の年齢について
「もう36歳になっちゃったんだね」と言った。
母を介護し通したことをねぎらうとか、
娘は今後どうするんだろうとか、
何か私を思って言ったのではなく
単に「長かったね」と、いう意味だった。
私の人生なんて、何も思っていない顔だった。

父の再婚相手の元夫が服役中で出所間近であり、
再婚相手が可愛がっている息子が身元を引き受けるらしいと言うので
「その女性とお付き合いするのは構わないが
 出所する元夫がどんな人なのか分かるまで
 籍は入れないでほしい」
とお願いしたのだが、父は少しも聞き入れてくれなかった。


そもそも、昔から父を理解できないでいたのに
最終的に理解し合えないし
私と子どものことを父は何も考えようとしないのが分かった。
だから、疎遠になったのだ。


休職中、時間はたくさんある。
悩むだけ悩んだのだが、結論。

私の父は、もう死んだのだ。


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