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シニア枕草子 ①

枕草子的に思いついたことを思いついた時に記します。

登場される人物をデフォルメしますが、万一個人が特定されますと、大変なご迷惑をお掛けしますので、予めご了承ください。

30年以上前の特別養護老人ホームです。
介護保険制度ではなく、福祉の措置という制度下で、自宅で暮らせない理由がある方が暮らしておられました。

その中に、◯◯さんという、面会はほとんどないけど、市内に子供さん、お孫さんが何人もおられる高齢女性の方がおられました。

当時は、個人情報の管理も緩く、職員は誰でも入所者さんの家族構成や、ざっくりとした生活歴を書いたファイルを読む事ができました。

職員1人で3〜4人の利用者の担当があり、その担当も定期的に交代していきます。担当すると、洗濯物を棚に仕舞いに行ったりして、他の利用者より会話する機会は多くなります。

◯◯さんは、いつも「有難う有難う」と言われ、穏やかな人なのに、たくさんいる子供さんは、みんな薄情な人ばかりだと思っておりました。

主任さんは、入所前からの様子を把握しておられるので、「子供が何人もいて、全員が一旦は自宅に引き取って一緒に生活して、みんながお世話できなくなり入所に至った。親子関係は、他人にはわからない」と話されておりました。

そして、こういう言動が子供さん全員が暮らせなくなった理由かもしれないと思う事態が起きました。

自分が妊娠中に夕食後の就寝介助の時間となりました。

施設では、体調不良の方以外は、歩ける方も車椅子の方も、原則食堂で夕食を取ります。その後は、早い時間ではありますが、職員全員で手分けして、排泄介助後、ベッドで横になっていただきます。

自分は妊娠中のため、夜勤からも外れており、他の職員からはお腹の子供を気遣われ、車椅子の方をベッドへ移乗するのは原則として行っておりませんでした。

ただ、その時は周囲を見回しても、◯◯さん以外には、自分が就寝介助できそうな方は残っておられません。声を掛けると、食前に排泄介助も済ませており、車椅子からベッドで横になりたいとの事でした。

◯◯さんに先にこう伝えてから、車椅子からベッドに移動、就寝の介助を行うことにしました。

「◯◯さん、勝手な話ですが、私今お腹に赤ちゃんがいます。車椅子から立ち上がることできますよね?
私の肩に両手を掛け、1.2.3の掛け声で立ちってくださいね。◯◯さんのベッドに腰をかけてから横になれるよう、お手伝いします。」
「赤ちゃんおるんやな、わかった、立ちれる。ウチも子供や孫がおる。子供は可愛いなあ」

笑顔で、その言葉をいただき、日頃立位動作ができている◯◯さんを信じ、車椅子からベッドへの介助開始。普通なら自分の足で立ちる事が可能な◯◯さんの場合、声を掛けてから、車椅子からベッドの移動は一瞬で、楽な介助です。

そして、◯◯さんと自分の双方が最小限の力で安全に一旦ベッドに座位を取り、就寝姿勢になれる筈でした。

1.2.3で立ち上がった瞬間、足の力が入っておらず、自分に◯◯さんの体重が掛かりました。
「え?」と思いつつ、ベッドに座る姿勢へ移動。そこから約90度横に身体を回転しつつ枕に頭がのるよう上向寝の姿勢へ。移動で気分が悪くなければ、排泄介助は、夜勤職員がご本人の意向を含めて対応する事になります。

その後、日勤終了時間まで、乾燥機が止まっている洗濯物を畳む作業をしようとして、身体に異変が起きました。

不正出血です。先輩職員に話すと、顔色が変わりました。「すぐに帰宅し病院に電話!明日は休んでも良いから早く帰りなさい」と言われ帰宅しました。自分自身は、先輩大袈裟だなと思っておりました。

その夜は病院が遠いこともあり、翌日通院しました。切迫流産の診断で4週間入院か、自宅で安静にするよう言われました。


◯◯さんは、子供さん全員と暮らしたが、息子さんとは嫁姑問題、娘さんとも歯に衣着せぬ物言いで、全員と不仲になり、施設入所となってしまった。
子供さんが面会に来られないのは、顔を合わすのも嫌な位、意地悪な言動があったから。もしかしたら、あなたがお腹に赤ちゃんがいると言ったから、故意にぶら下がったのかもしれない、と診断書を持参して休んでも良いかと事情説明した時に上司から言われました。

夜勤しないで日勤のみでも、突然4週間休む事は、3Kと言われる人手不足の職場で、大変迷惑を掛けました。4週間休んだ後は、不定期に現れるツワリで体調の好不調はありましたが、無事出産を迎える事ができました。

復職後は、車椅子で就寝介助を待っておられる姿を見ても、他の職員の手があくまで待っていただき、1人で就寝介助をする事はしませんでした。

認知症が進むと性格が変わってしまい、優しい方が攻撃的な性格になったり、しっかり者だった方が何もかもを人任せにするようになったりします。

切迫流産で休職したのは、自分が余計な介助をしたから。10分待てば、他の職員の誰かが就寝介助に来ていた筈。
自宅で安静にしている時に、頭の中で自責と後悔の気持ちが堂々巡りしました。

何年も施設職員を続けていると、最初の真っ白な気持ちが、気づかないうちに汚れてしまうように思います。そのまま流産していたら、その後の人生が全く変わっていただろうとも思います。

今は家族介護者の立場から「福祉」を見つめております。

何を言いたかったのか、まとまってなくて、枕草子と名を出して、清少納言が怒りそうな、中途半端な内容ですが、今回はこれまで。

最後まで読んで頂きありがとうございます。

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