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福澤諭吉と歩く

 先日、不滅の福澤プロジェクト「中津城下町まち歩きマップ」完成プレイベントに参加してきました。
 不滅の福澤プロジェクトとは、一万円札として史上最長の40年活躍された福澤諭吉の功績を2024年の肖像交代をきっかけに”オールなかつ”で後世に伝えていくプロジェクトらしい。

 あまり知られていないけど、大分県中津市は福澤諭吉の故郷なんですよ。
 そして、「中津城下町まち歩きマップ」とは、福澤諭吉が創立した慶應義塾の山内教授が監修した地図。諭吉先生が歩いたであろうルートを歩きながら、昔の中津の街並みを知ろうといったもの。

福沢諭吉が生きていた頃の中津のマップの上に、今の中津市の地図を合わせ、歴史の移り変わりを見ることが出来る。

 きっと自分より若い世代の子とかは諭吉先生のことを知る機会がどんどん減ってくると思う。それだけ一万円札の肖像であることは大きいことなんだろうな。
 とは言っても、自分自身も福澤諭吉についてはそこまで知っているとは言えないかも。『学問のすゝめ』を読んだことがある訳でもないし。だから、今回のイベントは結構勉強になったというか、諭吉先生のことだけでなく中津のことも知ることが出来た。

イベントが始まるにあたって、奥塚正典市長のご挨拶。
入院されていたそうですが、元気になられてよかったです。

 まち歩きの前に福澤記念館でご挨拶と今回のイベントの説明がありました。中津市民ですが初めて福澤記念館に入りました。自分のまちことを知らなさ過ぎて少し反省。

車の通りには気を付けて、山内教授の解説を聴きながらまち歩きを楽しみます。

 諭吉先生のことだけではなく、他の中津の偉人の話もしてくれます。ここでは和田豊治の解説をしてくれました。
 和田豊治とは明治・大正期の財界人で、次の一万円札の肖像となる渋沢栄一に続く、大正時代の財界世話人と呼ばれた人。福利厚生の仕組みを作った人でもあるそうです。
 創立に携わった会社は数十社に及び、富士紡績や理化学研究所などを創立した人らしい。なので、中津市は以前、富士紡績やカネボウがありました。自分が小さい頃はカネボウの前にボーリング場があった気がします。今ではTSUTAYAになっているけど・・・。

これが和田豊治の説明書き。こんなに凄い人が中津市にいたんですね。

 ほかにも福澤諭吉に縁のある人の説明を聴きながら歩いて回ります。諭吉先生の又従兄弟で、先生を暗殺しようと試みた増田宋太郎の生家や暗殺
を試みようとした場所など。
 調べてみると諭吉先生は結構暗殺されそうになるんですが、人と夜遅くまで飲んでて暗殺出来なかったりなど運がいい男でした。
 西洋文化を取り入れようとした人でしたから、そうではない人からすると命を狙うほど目の敵にされていたんでしょうね。

300年以上の歴史を誇り、九州で2番目に古い醤油蔵。むろや醤油。

 醤油蔵ですら歴史たっぷり。ここまで古い歴史のある醤油蔵は全国でも珍しいそうです。ただ数年前に当主の急逝により、一時休業していたとのこと。今は経営を再開しており、ここの醤油を使ったカレーも有名です。
 何でも、諭吉先生が日本で初めてカレーを「コルリ」と訳し、紹介したそうです。最近、中津市は中津からあげに次いでカレーを推しています。

解体新書で有名な前野良沢も中津の偉人。そう、杉田玄白じゃない人です。

 中津市は医学も有名。中津市にある村上記念病院は歴史のある病院です。
 解体新書で有名な前野良沢とともに、西日本で初めて人体解剖を行った村上玄水から続いている病院です。
 解体新書といえば、杉田玄白と前野良沢。日本史では必ず学ぶ人物ですね。
 それだけではありません。中津市は日本初の歯科医である小幡英之助もいます。この方は諭吉先生を支えた小幡篤次郎の従兄弟だそうです。

仕事柄、水道の歴史も気になりました。

 やっぱり仕事柄気になるもんですね。中津の城下町では1620年には上水道が整備されていたそうです。
 中津の城下町は海に近く、飲料水に適さなかったため、山国川から石樋で城下町まで給水させ、竹筒でみんなの家に給水していたようですね。この時代にも水道屋とかいたのかな。
 しかも、九州で上水の仕組みが最初に出来たらしいです。

諭吉先生の銅像。立派な銅像です。

 さて、1時間半にも及ぶまち歩き。諭吉先生だけでなく、色々な歴史を知ることができました。同時に自分の住む街のことを勉強して、子供にしっかり伝えていきたいなと感じました。
 もちろん、中津市を知らない人にもこの街の魅力を伝えていきたいですね。

まち歩きマップです。ぜひ、中津の街を歩いてみてください!

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