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#リタの鐘


竹鶴とリタ。久しぶりに「余市」が飲みたくなった。

リタの鐘


 日本のウイスキーの父、竹鶴政孝。ウイスキーづくりに情熱を燃やした彼は、遠く離れたスコットランドで製造方法を学び、多くの苦悩や挫折を経て、日本に本格的なウイスキーづくりを持ち込んだ一人である。

 日本で蒸留所を設立してからも苦悩は続いた。資金繰りに苦しみ、それでもウイスキーづくりに人生を捧げた竹鶴を支えたのは妻のリタであった。竹鶴がスコットランドにいた頃、周囲の反対を押し切って結婚をし、リタは異国の地である日本へやって来た。日本文化に溶け込もうと懸命であり、誰よりも日本人らしくいた。それでも、戦時中は毎日のように警察から尾行され、竹鶴の前で髪の毛も眼も黒くありたいと泣いていたという。

 そして、2人は多くの苦難を乗り越え、1940年にニッカウヰスキーを世に送り出した。スコットランドでウイスキーづくりを学んでから22年後のことであった。ウイスキーに人生を捧げた竹鶴と、その竹鶴に人生を捧げたリタ。2人がいたからこそ、今日のジャパニーズウイスキーがある。

◆プロフィール
 黒瀬稜太(くろせ りょうた)
 中津市在住。1991年生まれ。「今日もお酒日和」を執筆して1年が経
つ。メディアプラットフォーム「note」にて過去作やその他記事を掲載。

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